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2004年09月13日

薬師寺音舞台

2004年9月11日 第2ステージ 20:00開演

薬師寺
Data:Canon A-1 FD135mmF2.5 1/500秒 F8.0 コダックMAX400 フィルムスキャニング:Canon FS-4000US トリミング処理

今回、monpan副館長が仕事の都合で行かれませんでしたので、私が代理人として出向させていただきました。
現地に着くとJALパックで参加されている面識のある方々とお会いできて、公演までの時間、プチオフ会に参加。みんなハイテンションです!

法相宗の始祖 玄奘三蔵が法を求める旅に出たところを音楽を交えて構成されています。

静まり返った空間に虫の声が響き、鐘の音が鳴り、僧侶が現れ舞台は始まります。
天理大学雅楽部の奏でる音のあと、玄奘三蔵(中村勘太郎)が現れます。
1400年前、中国黄河の流域、河南省に生まれ、13歳で当時の都洛陽の寺にて出家しました。様々な寺で学びましたが、さらに仏の教えを極めるため、仏教発祥の地、天竺を目指しました。
その中での過程を追って演じられています。(長くなりますのでここでは割愛。というより覚えていません

まずはじめに演奏されるのは、ハンガリーから来た歌手・マルタセベスチェーンと、伝統民謡演奏家・ムジカーシュです。
たくさんの民族楽器で奏でる音楽は哀愁があり、聴いていて優しい気持ちにさせられます。初めて見た楽器ばかりでした。
曲目は『ラヴ、ラヴ』他。

次はテノール歌手、ジョン・健・ヌッツォ。
舞台は大講堂側から変わって反対側の金堂です。舞台下のオーケストラピット(?)で演奏がなされています。
その堂々と張り上げる歌声に私の周りにいる女性客らはじっと目を閉じて聴いているのが印象的でした。
曲目は『歌劇「フェドーラ」より 愛さずにはいられぬこの思い』『竹田の子守唄』他。

玄奘三蔵(中村勘太郎)が天竺に達し、悟りを開いた瞬間、客席、ステージ一面に四方から紙吹雪が舞います。
そして聞き覚えのあるイントロ。

そうです。全国ツアー、日本公演2004「奇跡」のオープニング曲です。
それに合わせて女子十二楽坊メンバーが2列になって大講堂側から登場です。でもこの時、まだ彼女たちに照明が当たっていません。
そして奇跡の演奏が始まり、彼女たちの素敵な笑顔が映し出されました。
曲目は『奇跡』『茉莉花(ジャスミン)』『紫禁城』『輝煌』の4曲です。
実はこの時、私事ですが、復帰された廖 彬曲さんしか見ていませんでして、すでに放心状態でした。
これ以降のレポは、ここで他の方のコメント記入を待つか、女子十二楽坊資料館に行ってください。
本当に自分が情けないです。
「副館長、やっぱり私じゃレポートになりません・・・」

記事担当 keidoh : 11:22 | コメント (6)

2004年08月17日

Twelve Girls Band 全米デビュー

去年の下半期、日本の音楽界を揺るがした女子十二楽坊。ついに世界の舞台への第一歩をのぼり始めた。

日本には彗星のごとく現れ、天女のごとく国民を癒し、夜光虫のように私の心に舞っていた。
全米向けカバー曲「Clocks」を聴いた時、私は哀しい気持ちになった。先日発売された「ベストセレクション~日本公演2004”奇跡”より~」のCDで、コンサートの余韻を数十秒も残した後、「Clocks」が流れる。それはなぜか私にとっては、みんなに愛された鳥たちが翼を広げて巣立っていってしまう情景を想像させるのだ。
「アメリカでしっかり頑張って来い!」とエールを送る半面、
「いつでも戻って来ていいんだぞ」と安心感を与えたくなる。
もちろん彼女たちや彼女たちの周辺の人たちが立派である事は百も承知だが、そう思うことくらいでしか応援できない自分に多少のもどかしさがある。今回の全米デビューは自分にとってはそんな感じなのだ。
この1年で自分の環境を大きく変えてくれた13人の実力者が、アメリカで伸び伸びと演奏し、また日本の空を旋回しながら舞い戻ってくる日を心待ちにしている。

記事担当 keidoh : 13:17 | コメント (2)

2004年08月10日

「よみがえる四川文明」テープカット

女子十二楽坊は9日、東京・上野の東京都美術館で、10日に開幕する「よみがえる四川文明~三星堆と金沙遺跡の秘宝~」のオープニングイベントに出席してテープカットを行いました。


同展のイメージソングは茉莉花(ジャスミン)、VTRで館内のモニターに登場し、ナビゲーター役を務めているそうです。
四川省成都出身の殷焱さんは自分のふるさとのことを紹介できることに嬉しさを表し、他のメンバーも遺跡や文明の大切さを再認識した模様です。

なお、笛担当の廖 彬曲さんはこのイベントには参加しなかったようです。
(記事が偏っていてすみません)
参照リンク 東京都美術館<企画展>

記事担当 keidoh : 06:40 | コメント (3)

2004年08月06日

2004年08月04日

女神がくれた宝石 (7カラット最終話)

2003年3月27日、神田。
関東/東京地区オフ会の開催日。
仕事を終えて、春の風を感じながらせっせと自転車をこいだ。14時から開かれている昼の部にはやや遅れての参加。
コーヒーショップに入り辺りを見回す。
「えぇっ!もしかしてこの集団?」

私なんか比較的若い方ではないのかと思うくらいの壮年の方たちが、店のレジ前に所狭しと座っている。
すぐに私はnk氏を探し、その横に座った。一人一人ハンドルネームを伺っていくとみんな掲示板投稿者のイメージと違うので、それが非常に面白い。(多分私もそう思われているのだろう)
『nkさんとは本当に仲が悪いの?』などということも訊かれた。(大笑)
顔は初めて会わせるものの、今までに何回か会った事のあるような感じが不思議で、話をしているうちにすぐに夜の部の開催時間になってしまった。

夜の部のセッティングを早々と始めたnk氏と私。参加者を迎い入れて人員整理。あと5~6人来れば全員という時に、背丈は私と同じくらいの人が来た。参加費を集めている私はお名前を伺った。もしかしたらとは思っていたのだが、私が今まで待ち望んでいたその人だった。
「(軽く会釈をして)失礼ですが・・・?」
「monpanです」
「うわぁ、お会いしたかったです!!!」
私は感激のあまり、とっさに握手を求めてしまった。これがmonpan特派員(現 副館長)との出会いである。
オフ会の撮影担当だった私は念願だった廖 彬曲さんのファンの「ビンちゃん村村民」の記念撮影をけんたろうさんにお願いし、レクリエーションを交えた3時間はあっという間に終わってしまった。

***************

「何でここにいるんだろう」
翌朝、気がついたらサウナ施設の通路で寝ていた。
理解不能のまま、店外に出ると御徒町だということが判り、慌てて帰った。(このとき同行していた他の人たちが、まだ店内にいるとは思ってもいなかった)






春の日差しが眩しく、辺りには桜の花が咲いていた。







撮影した写真を啓道館にアップロードしたあと、私はオフ会の板に書き込んだ。

139投稿者:keidoh  投稿日:2004/03/28(日)19:35:51

keidohに真面目な書き込みは似合わない
3次会でそういう意見をいただきました(笑
今回は勘弁してください、次回からきちんとふざけます。
 
関東/東京オフ会は大成功に終わりましたね。参加者の皆さん、幹事さん、本当にお疲れ様でした。
私が幹事に立候補してからの二ヶ月余りが、あっという間に過ぎてしまいました。
その間、幹事同士で日々メール会議を開き、様々な提案を出し合いました。
ぶしつけで生意気な意見を出させていただいたことも覚えています。
この場をお借りして他の幹事の方々にお詫びを申し上げ、そしてお礼をいたします。
この資料館を通じてお会いでき、今回の開催に至った事に感謝し、
これからもたくさんの方々と一緒に楽しいオフ会を開いていきたいと思います。

今だから言えるのですが、自分自身の周辺環境の変化により、一時期、幹事を降板させていただこうかとも考えていました。
精神的に落胆していて、先々の事を考えるのを放棄していた時でした。
そんな時、たくさんの方からの激励のお言葉をいただき、自身の弱い部分を一喝できたのです。
この方々に恩返しできるもの・・・・・それは現状を継続すること・・・・・そう信じて今回に至りました。
私は皆様にお会いできたこのご縁をさらに拡大・充実させ、次回のオフ会につなげていきます。
この資料館で”皆さん”というかけがえのない宝物を手に入れることができました。
本当にありがとうございました!

参照リンク 女子十二楽坊資料館 【いい日旅立ち@女子十二楽坊日本板】関東/東京オフ会のお知らせ











女神がくれた宝石は一生私の胸に輝いています。





















記事担当 keidoh : 05:54 | コメント (19)

2004年08月01日

女神がくれた宝石 (6カラット)

父の手術の3日後、3月14日。
千葉県船橋市の教会で、妹は白いウェディングドレスを着飾った。

親族の控え室で、参加できない父の代わりに、私はシン(新郎・仮名)のお父様に挨拶をした。
「今日はせっかくの日ですが父の代わりとして来ました」緊張して上手く口が回らない。
控え室や通路を縦横無尽に走りまくる甥(妹の子供)たちは、今まで見せなかった明るい表情になっていた。式までの待ち時間に時々戻ってくるシンと妹。甥たちはごく自然にシンのことを『パパ』と呼んでいる。それが実に微笑ましかった。

教会内で私は前列に甥たちと並んだ。パイプオルガンの流れる中、甥たちもじっと式を見守っていた。私はといえば、シンに感謝の気持ちで胸がつまり、涙をこらえるので必死だった。
その後の披露宴は重苦しくない手作り風の式だった。最初にシンの挨拶から始まる。途中シンが、『こっちおいで!』甥たちを呼んだのだ。私の隣に着席していた甥たちは一目散に正面に駆けて行った。
シンは子供二人を自分の前に立たせ、『ご覧のとおり、妻は再婚です。・・・・・』と綴った。彼の誠実な言葉に会場からはもらい泣きがあふれ始めた。私はひとり病院で留守番の父が心配で仕方なかったのだが、シンに信頼を寄せる気持ちでいっぱいに変わった。
「シンくん、妹をよろしく頼んだよ」

待望の日は3月23日にやって来た。父が退院したのだ。嬉しかった!まだヨチヨチ歩きの父の世話で追われたり、自分が実家に戻るために、リフォーム業者の手配や実家の要らないものを捨てたりと色々せわしかったが、それでも一安心であることは間違いなかった。
職場に戻り、父が退院できたことをみんなに伝えた。その時、ある方に言われた一言が急に私の目を覚まさせてくれ、勇気を与えてくれた。
「高橋さん(私の名)も、そういう歳になったのね」
人生で誰もが訪れる、越えなければならない壁だということを間接的に教えてくれた一言だった。優しい穏やかな言い方なのだが、この言葉に共鳴し、奮い立たせられた。
「よし、なんでもやってやる!」
今までの現状を継続していこうと心に誓った。
参照 かけがえのない宝物

その4日後に第一回関東/東京地区オフ会が行なわれるのであった。
(次回最終話)

記事担当 keidoh : 12:48 | コメント (3)

2004年07月29日

女神がくれた宝石 (5カラット)

明るく振舞うのが精一杯だった。ほかの事を考えていないと辛くなってくると言ったほうがいいと思う。
心配疲れが重なってきたようで、何をしても集中できない。

関東/東京地区オフ会の準備もメール上で地道に行なわれている最中、東海地区ではオフ会が開かれ、私も個人的にミニオフ会を開いたりしていた。女子十二楽坊資料館掲示板もさらに賑わいを見せている。気分を転換させるのに最高の場所のはずなのだが。

いつの間にか国際フォーラムオフ会の幹事役を務めることにもなってしまい、正直、どうしようか迷った。
「関東のほうは他に幹事もいるし自分がいなくても何とかなる。でも国際フォーラムオフ会のほうはどうしよう」
仕事中も自分を追い詰めるようになり、情緒不安定に陥ってしまった。
その時期ちょうど会社で人事異動の話が来たが、今の状況では新しい仕事を覚えようという気にもならず、
「お断りいたします。この業務放棄に関してはいかなる処分もお受けいたします」と部長の前ではっきり言った。自分の今の環境を理解しているはずの上司が余りに無情に感じ、初めて反抗した時だった。その瞬間、私は上司の前で泣いてしまった。それは現実から逃げようとしている自分が情けなくて悔しかったからだった。

その夜、私は国際フォーラムオフ会に参加を希望している方々にメールを送信した。

Sent: Thursday, March 11, 2004 7:12 PM
Subject: こんばんは
お元気でしょうか?すみません、自己PRです。私の両親が最近、二人とも病気がちで実家に戻ることになりました。
(略)父は先月意識不明で運ばれ、本日心臓の手術でした。でも、東京国際Fへは今よりも近くなります。(笑
今のところ引越し時期は未定ですが国際Fオフ会のときは住所が変わっているかもしれませんのでお知らせいたします。
今後ともよろしくお願いいたします!
今だから言うがこの時、実は『自分にはもう期待しないでいただきたい』という暗示をしていた。全てのことを投げ出したい気分でいっぱいだったのだ。
ネットで交流している面識のない方々に弱いところを見せたくなくて、今までどおり接していたのだが、自分でもその限界が来てしまったのかも知れない。
たくさんの方からすぐに返信をいただいた。
激励の言葉をいただき、中には自分と似た境遇の方もいらっしゃることを知り、再度返信のタイピングをしていた時、目の前が涙で見えなくなった。
・・・狭い部屋の片隅でしばらくむせび泣いていた。

記事担当 keidoh : 23:14 | コメント (4)

2004年07月28日

女神がくれた宝石 (4カラット)

2004年3月3日、待望のニューアルバム「輝煌」が発売された。もちろん、前日にCDショップで購入。
楽しみにしていた、と言いたいが、別にどうでも良かった。
ただ自分を平静に装うための、また、話題に乗り遅れないようにする手段だったのかもしれない。

今までは、帰宅してすぐにプレイヤーで聴く&見るのリズムが、今の自分には奏でられない。買ってCDを単に再生しているだけで、ほとんど聞き入ってなかったと思う。
何か違うことを考えていたくて、仕事から帰るとずっと啓道館の改良(多言語表示化など)に着手していた。

この頃を境に職場の業務日誌も著しく内容が薄弱になり、今読み返すとこの時の自分の精神状態が分かる。毎日のように書き込んでいた資料館の掲示板も断続的にしか書き込んでいない。みんなの楽しそうな雰囲気を見ているのも嫌になり始めた頃だった。
それこそ明るく努めるのがやっとだったと思う。

この時期、まだ関東/東京地区オフ会も開催していないのに、国際フォーラム公演の際のオフ会の話が持ち上がり、私も参加の表明をした。高校時代から銀座・有楽町周辺が遊び場だった私にとっては、女子十二楽坊のコンサートを鑑賞しに東京まで来る方がいることを凄く嬉しく思った。

数日後、父が一般病棟に移り、私も精神的に落ち着いてきていた。自分も国際フォーラムオフ会の話に乗ってすでに場所を考えていた。
「昼にオフ会となると喫茶店かぁ・・・じゃあ高校時代によく溜まり場にしていたあそこがいいな。有楽町では一番分かりやすいし!」
「夜は以前から会社単位で使っているあのビルが一番いいな、しかも東京駅の真ん前だし!」
次第に煮つめていくのが楽しみだった。

そんな矢先、何か虫が知らせたというのか、仕事の途中見舞いに行きたくなった。父の検査結果が出る日だということを知らされていなかったのだが、心筋梗塞を併発しているとのことだった。父はそれを私に伝えたがっていたという。
当然ながら多額の手術費用も要る、しかも家計が苦しいので父の蓄えだけでは全く無理だ。
私「今のうち悪いところ全部治しちゃえよ、生き返ったと思えば安いもんだろ」
父「頼みがあるんだけどよぉ、狭いとこだけど、また一緒に住んでもらえねぇかぃ」
あんなに弱気な父を見たのは初めてだったし、見たくもなかった。
涙声で話す父の前で、私は快く同居を引き受けた。

記事担当 keidoh : 06:29 | コメント (2)

2004年07月25日

女神がくれた宝石 (3カラット)

2月25日
叔母から電話があったのは正に出勤しようとした直前の朝7時ちょっと前だった。
「お父さんが意識不明なんだって、すぐに病院行ってあげて!!!」

頭の中の整理がつかないまま、妹に連絡、急いで自転車のペダルを回し、まず職場に行き引継ぎをしたが、はっきり言ってあまり覚えていない。
職場から自転車でも15分くらいの築地の聖路加国際病院だが、何時間もかかる場所にあるような心理状態だった。
「もしかしたら間に合わないかもしれない」
自分の胸に最悪の場合の覚悟を言い聞かせていた。

CCU(冠状動脈疾患集中治療室)に運ばれた父は看護師の話によると最悪の状態は乗り越えたそうだ。誰もいない狭い待合室で一人取り残された。一緒に救急車に添乗した母の姿が見えない。入院の手続きに呼ばれた時、どこからともなく母が現れた。のんきな態度で「大した事ないのに」と言い放った。(母についてはここでは割愛させてください)
妹が旦那と子供二人を連れて来たのは10分後くらいだったと思う。妹は既に泣いていた。
私「大丈夫だってよ、一命は取り留めたって」
妹「病因は何なの?」
母「心臓の薬を飲み続けなかったから」
・・・・・父は以前から降血圧剤を服用しているのだが、職業上、トイレに行くことが限られているため、利尿作用のある薬を飲まずにいたという。そのため肺に水が溜まり、窒息状態で意識を失ったのだそうだ。
母を責めるわけにはいかなかった。

CCUには妹と二人で入室した。面会したときはつらかった、父は人工呼吸器を装着し、まるで無理矢理生き延びさせられているような器具だらけの身体だった。妹はその場で泣き始めた。自分も涙をこらえるのが必死だった。
呼吸器の機械音が一定の間隔で響く静かな部屋の中、久しぶりに父の顔をじっくり見た。いつも元気でちょっとだけ強情なオヤジがベッドで横たわっている。頭は白髪が増え、あごの無精ヒゲまでも白い。
「いつの間にかこんなに老けてたんだなぁ・・・」
私は平然を装い、啓道館の更新と資料館への投稿を続けていた。

記事担当 keidoh : 21:44 | コメント (5)

2004年07月22日

女神がくれた宝石 (2カラット)

Sent: Sunday, February 22, 2004 12:38 AM
私の体験談の話ですが、いいんですか?書いちゃっても? ほんとに書いちゃいますよ? あとで後悔しちゃいやですよ(笑)。
今読んでも笑ってしまうmonpan氏からの返事だった。

自分のHPを拡大しようとリニューアル構想を描いていた私は、女子十二楽坊のコーナーを設けようとした。それはたくさんの人に見てもらいたい理由からではなく、自分をはじめ少人数の人に楽しんでもらうためのもので、女子十二楽坊が好きだから自らやろうとしたものだった。

2月21日、土曜日、仕事帰りに自転車で東京駅へ。
八重洲ブックセンターで写真集がすでに入荷しているとの情報があり、資料館の総合掲示板が賑わっていた。
もも太郎さんと職場が近い私は、彼が買いに行くらしい書き込みをしているのに気付き、レスを入れた。
一人では買いに行くのは恥ずかしかった、中学生の頃、ちょっとエッチな雑誌を買うドキドキ感に近いものがあった。(今でも嘘つきと言われるが)
「あった!これかぁ」書店で待ち合わせた私たちは仲良く購入し、隣駅の神田の飲食店(関東オフ会の開催予定場所)で杯を交わした。

帰宅して、PCの電源を入れるやいなや資料館を見ることが日課になっていた私は、掲示板が変わっていたことに驚いた。新しいシステムに戸惑いながらも「我们爱廖彬曲」のスレッドを立てた。
参照リンク 女子十二楽坊資料館「我们爱廖彬曲」

「ビンちゃんへ、私たちはあなたを愛しています。今までは独占欲が強かった私ですが、これからはみんなであなたを愛し、お守りしていきます。それが私の使命です、もうあなたしか見えません!」
(「仲 宝 多漂亮~とてもきれい~」のスレッドも私が立てたということはここでは目をつぶってください。)
参照リンク 女子十二楽坊資料館「仲 宝 多漂亮~とてもきれい~」

翌日、自分もリニューアルすると宣言したので編集に終われていたが、夜遅くまで掲示板で遊んでいた。

2月22日、なんとかリニューアルオープン。
もちろん女子十二楽坊資料館へのリンクがあり、jingshang Art Gallaryができあがり、翌日23日、monpanレポート掲載。
参照 女子十二楽坊 上海ツアーレポート
自己満足の世界とはいえ、いろいろな人から好評でmonpan特派員が誕生したのであった。「おめでとう!(←無理矢理)」
同時にグループ運営HPの幕開けでもあったが、その2日後、喜んでいられない現実に直面する。

記事担当 keidoh : 06:13 | コメント (3)

2004年07月20日

女神がくれた宝石 (1カラット)

【全7話】(1~2日置きに連載予定)

「ビンちゃん、ただいま~」
2004年2月11日から15日まで上海経由で南京へ出かけていた。

4泊5日の小さな旅は一緒に行った友人が下痢になる散々な目に会った。
参照 まるごとアジア「南京」
旅行に出かける一週間前に楊松梅さんが資料館に書き込んだことで大変な騒ぎになっていたが(自分も騒いでいた)、旅行中廖 彬曲さんが書き込んだらどうしようとくだらないことで心配していた。(=そのことでみんなにもイジメられたが降臨しなくて良かった!)
帰ってきてからすぐに、自分の心の中にある「廖 彬曲ちゃんを中心に12体の女神がとり囲む13体が描かれた楽坊曼荼羅」に礼拝し(意味不明)、しばらく資料館で書き込んだりして楽しんでいた。
啓道館を見に来る数人のために一週間くらい時間を要し、必死で編集して写真をアップロードした。

このころ啓道館はまだ更新もダラダラとやっていて、私のことを知っている人のみにURIを教える個人的に情報を公開しているHPだった。だから見ている人は一日4~5人くらい。中国から帰ってきたことを知っている人も10人くらいだったと思う。
現在の当館スタッフjingshang氏もこのころから見てくれていて、いろいろ技術的なことを教えてくれていた。(はじめ何を書いてあるのか用語すら解らなかった、でも彼のお蔭でこのHPが拡張したのは言うまでもない)
親しくなったのは女子十二楽坊資料館のお絵描き掲示板のコーナーだった。彼が徹夜で描いた孫婷さんの画で、誰だか正解した人に赤カレンダーを差し上げるっていう書き込みに、朝早くから見ていた私がすぐ正解を書き込んだ。あの日あの時あの場所であのコーナーなかったら僕らは見知らぬふたりのまま(パクリ)。いまでも郵送してくれたカレンダーはアルミ枠の額に入って壁にかけてある。今ではここのなくてはならない重要な技術者にさせてしまったけど(笑)、自分もそれからというもの必死に勉強している。
「いつもありがとう!」

このころちょうど女子十二楽坊の上海公演があり、私はそちらを鑑賞しに行ったと勘違いされていた。行った人・・・・・
緻密に上海公演の様子を資料館に書いている人、monpan氏。
彼のこれまでの書き込みを読みつづけていた私は彼の緻密なレポートと独特の表現が気に入り、はじめてのメールを送ったのだった。

記事担当 keidoh : 05:51 | コメント (3)

2004年07月16日

題名のない音楽会21 公開収録レポート[keidohヴァージョン]

続きは読まないでね!
ガ~ン!ビンちゃん療養中のため不在。








○| ̄|_







収録開始。
ガ~ン!バオちゃんはスン・ティンちゃんの後ろで自分からは見えない。








○| ̄|_
























記事担当 keidoh : 08:56 | コメント (8)

2004年07月15日

2004年07月14日

女子十二楽坊を知ってから(その10最終回)

keidoh

2004年2月7日、東京の寒空の下、自転車にまたがり神田に向かう。
今思い起こせば全く不要な緊張感がちょっとだけあった。

コーヒーショップについたのは待ち合わせの15分くらい前だった。
軽く店内を伺う。それらしき人は誰もいない。
私以外の待ち合わせの4人はお互い面識があるのに対し、私にとってはみんな初めて会う方だ。
4人は武道館公演のオフ会に参加した方なのである。
一度店を出て、時間つぶしに辺りをうろついて再度店内へ。
誰もいない様子なのだ、私と目が合った男性がいたが他の人を待っているようだ。再び店を背にしようとした時、
「keidohさ~ん」
私と目が合ったその男性の横にいる、来たばかりのもも太郎さんが声をかけてくれた。
私はHPで自分の肖像を少しだけ公開していたので、それに気付いてくださったのがもも太郎さんだったのだ。
目が合った男性、その人物こそnkvalensia氏(現nk)。イメージとかけ離れた、どちらかというと大人しげな青年だった。
(私が想像していたのは、あることないことやたらと喋りまくる、アイドルに関しては右に出る者がいないおたく男)
低い声で張りがあり、私と同じ年代のようだ。(この後で自分より若いことが分かったのだが)
名刺交換をしてみると・・・・・(驚!!!)


「拝啓 廖 彬曲様。寒い日が続いております。あなたに恋焦がれて早五ヶ月余りが経ちます。女子十二楽坊の中にあなたがおられたお蔭で私はあなたの虜になり、インターネットを通じてファンの方たちと知り合え、現在、オフ会でたくさんの方と楽しいひと時が過ごせるようになりました。あなたがこの世にお降り注ぎになる慈愛のエネルギーは、現代物理学では解明できない万人を幸せにする効力を有しているのですね。あれから宝宝とは妄想の世界ではありますが、既に夫婦となり新たな航海をはじめています。しかし、妄想とは はかないものです。虚しさが募るだけなのです。
・・・・・・・・・・よろしければ現実の世界で私と結婚していただけないでしょうか?」



協力
nk

参照リンク
女子十二楽坊資料館






記事担当 keidoh : 05:08 | コメント (7)

2004年07月13日

女子十二楽坊を知ってから(その9)

keidoh

2004年1月18日、私は浮気した。

この日曜の朝からやたらと早く目がさめて、DVD録画のチェックを何回もしていた。
テレビ朝日でオンエアされる「女子十二楽坊のすべて」を録画するためだ。
総合掲示板にすでにスレッドが書き込まれているし、自分も準備したことを書き込んだ。
シャワーを浴びて身を清め、放映時間がくるまでソワソワしながら待っていた。

「ビン様、ビン様、ビン様、ビン様、ビン様」
ひたすら念仏のように唱えていた。(嘘です)
あまりに有名な番組になったので内容を説明するまでもないが、ビン様のコーナーでは北京でのお休みの一日を映していた。

「前略 廖 彬曲様、羊肉好きですか?私も好きです。私はこの五ヶ月間、あなたに仕えて来て幸福な境涯を得ることができました、ただひたすら感謝申し上げます。ご自身の目標をきちっとお定めになり、精進されていかれるお姿に唯一不二のご神仏であることを確信いたしました。しかしその反面、私には廖 彬曲様が手に届かない存在になってしまったように思えるのです・・・。そしてこの場で申し上げるのは、下品であり畜生の命であると罵られても仕方ないのですが・・・・・・・実は仲 宝さんに恋心を寄せてしまいました。ゴーヤチャンプルを美味しそうに頬張り、写真集撮影での美しいお姿に一目惚れです。あの沖縄の遠浅で煌輝の曲をバックに仲 宝さんと戯れたい。。。どうか私達二人をブランコにお乗りになりながら見守ってくださいませ。必ず彼女を幸せにします!」
お許しをいただき、方向転換を余儀なくした。

資料館を荒らしまくるように私の書き込み暴走が始まった。nkvalensia氏をはじめ、いろいろな方と交流できる楽しさが病み付きになったのだ。
この時期ちょうど総合掲示板で関東/東京地区オフ会の企画が出されていて、普段書き込んでいる方たちにもお会いしたくなった。コメントボードや掲示板など初心者であり、オフ会などというものは当然参加したことはない。しかし、幹事募集の投稿に反応し、すぐ立候補したのだった。
最終回につづく

記事担当 keidoh : 05:41 | コメント (4)

2004年07月12日

女子十二楽坊を知ってから(その8)

keidoh

投稿者:keidoh[2003年12月22日 20:57] いままで書き込まずにじっと眺めていたけど、 自分以外にもこんなにファンがいるとはビックリ。 ~Beautiful Energy~でPVとコンサートのメイクのギャップにも驚いた。
(参照リンク 女子十二楽坊資料館 廖 彬曲1)

今読んでも・・・・・となる初投稿。無表情とでもいうべきか、ただ書き込んだだけの文。

その夜、次に書き込まれるコメントを待ち続けていた。
もちろん、自分の投稿に反応してくださる方なんていないと解っていたが。。。しかしその約3時間後、私に対してのレスをくださった方がいた。
嬉しくて嬉しくて次の日も休日出勤だというのに我を忘れて夜遅くまで心の中ではしゃいだ。
それから書き込み常連に変貌していったのは言うまでもない。自分の心をどんどん開いていった。

25日、クリスマス、もしやと思いCDショップに足を運んだ。明日発売の「プレミアム演奏会」のDVDが案の定陳列されていた。

「廖 彬曲様。あなたは美しすぎます。はっきり申してやばいです。私、いてもたってもいられません。今までの人生で笛に嫉妬したのは初めてです。あなた様のお膝下にわたくしをお置きくださいませ。もしこの世に神と仏の二つの姿を一緒に持っておられる方がいたとすれば、それは廖 彬曲様ただお一人でございます」
ビン様を自分の恋人以上の存在にする目標から、この時を境に崇拝対象に変わっていったのである。

仕事のストレスなど感じるどころか、ビン様がお振り注ぎになる癒しエネルギーを浴び、順調に年末の慌しさを乗り越えていった。
家に帰ればすぐに「プレミアム演奏会」のDVDで恵比寿でのビン様のお姿を拝んでいた。(特にメンバー紹介のところはビン様のところで何回もリピートして)

DVD、そして女子十二楽坊資料館、二つの楽しみで年末を有意義に過ごすことができた。
しかも年末はテレビ番組に頻繁に出演し、録画予約が忙しかった。
そんな中、書き込みを何度かしているうちにあまり接したくない人からレスが来てしまった。
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投稿者:keidoh[2003年12月29日 22:17]
女子十二楽坊写真集が発売になるそうで
アイドル路線を走るのか、と、ちょっと心配。
わたしにとっては仕事から帰ってきて、家で癒されるためのCD,DVDなんですが。
とか言ってビンちゃんのこと可愛いなんて言ってる男です。

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投稿者:nkvalensia[2003年12月29日 22:32]
keidoh1さん,keidoh1さんのビンちゃんへの熱い思い,しっかり存じております。
楽坊さん自らおっしゃっているように,ビジュアルも楽坊さんの重要な一部かと思います。
ただ,その辺のアイドルと決定的に異なるのは,彼女たちが「本当に」実力を兼ね備えているということだと思います。
大丈夫ですよ,楽坊さんに限って中途半端なことにはならないと思います。目から耳から,今後も我々を癒してくれることでしょう・・・。

----------------------------------------(ご本人の許可を得ています)
(参照リンク 女子十二楽坊資料館 廖 彬曲1)

「・・・・・俺のハンドルネーム間違えてるし」


年が明けた2日、ついに武道館公演の日がやってきた。
鑑賞できない悔しさから自分を冷静に保つだけで精一杯、
「今ごろ開場したな」
「始まったな」
などと酔いながら考えていた。
資料館で鑑賞された方の書き込みを見て、行かれなかった悔しさが倍増し、そのあと数日間閲覧しなかった。
落ち着きを取り戻した日、オフ会が行われた様子が掲載されていた。その中にnkvalensia氏のお姿も掲載されていて、私は彼の容姿を見るなり、
「おれの推理に間違いない!!!」(謎)

本来、掲示板ではないコメントボードが年明けと同時にあちこちで賑わってきていた。
今までの生活を大きく変えた年末年始だった。
つづく

記事担当 keidoh : 05:18 | コメント (8)

2004年07月11日

女子十二楽坊を知ってから(その7)

keidoh

その日は朝から家にある全ての時計を寸分の狂いもなく合わせた。
12月7日午前10時00分00秒、戦いの火蓋を切った!
末尾番号をアクセスするときに00秒になるようゆっくりチケットセンターの電話番号を押す。

「畜生!もう一回」
「もう一回!」
「まだまだこれから!!」
「笛ふきビンちゃん、待ってろよ!すぐ迎えに行くから!!!」
「どんとこい、どんとこい!!!!」
「つながんねぇなぁ・・・」
「無理かなぁ・・・」
「ダメだぁ」
「諦めようかなぁ」
今までの勢いは次第に失せていった。

13時25分頃、ようやく繋がった。
それは喜びというには程遠い、完全な疲労だった。
すぐに近くのローソンに行き、チケットと交換した。ネットで東京国際フォーラムの座席位置を確認する、4月18日(日)18時の部、1階35列目中央、音響としてはいい場所だ。疲れも一気に吹き飛んだ。
「この喜びを誰に伝えようか、そうだ、しばらく会ってない妹にメールしようっと」
すでに私の周辺から友人は消えていた(泣)。妹からは返事がすぐに返ってきた。
”バカじゃないの”

気を取り直して資料館を閲覧した。
「あ、やっぱり自分と同じくチケットセンターに繋がらなくて困っている人いるなぁ」
この日を境にコメントの書き込み数も段々増えていったようだ。笛ふきビンちゃんページもその週から驚愕の書き込み数になっていった。
まだ情報コメント数0件のメンバーもいるのに笛ふきビンちゃんのところだけ数十件。

皆さんのコメントを読むのが日課になっていた、誠実なやりとりと穏やかな雰囲気が心地よく、職場でも閲覧するようになる。
チケットを入手できた嬉しさもあってか、自分も投稿に参加したい気持ちが高鳴ってくる。
二週間後の12月22日20時57分、私は勇気をもって投稿ボタンをクリックした。
つづく

記事担当 keidoh : 06:03 | コメント (3)

2004年07月09日

女子十二楽坊を知ってから(その6)

keidoh


投稿者:nkvalensia[2003年12月02日 20:06]
(冒頭略)
DVDの廖彬曲さんを見るたびに,
「あ,笛ふきビンちゃん・・・」
と頭の中で思ってしまいます(^^ゞ
笛ふきビンちゃんが演奏中に見せる色っぽい流し目,あれは反則でしょう(>_<)
感謝年華なんかドキドキしちゃって。

(↑ご本人に引用の許可を得ました)

「なんかイヤなアイドルおたくみたいの来ちゃったなぁ・・・・・」

現在では私と仲のいいnk氏の初めての笛ふきビンちゃんコメントだった。
(参照リンク 女子十二楽坊資料館 廖 彬曲1)
彼の書き込みを巡回・監視(?)するかのように、他のページで"nkvalensia"の文字を探した。
あちこちに広がるnk氏の書き込み。
「やっぱり、おたくに違いない!」勝手に断定していた。

笛ふきビンちゃんが瑶族出身だということがここで分かり、すぐに瑶族について調べたのは言うまでもない。
この頃から書き込みが増え始め、私も頻繁にこのサイトを閲覧するようになった。
「愛しの笛ふきビンちゃん、今いずこ」

ちょうどこの頃、輸入版CD&VCD「女子十二楽坊専輯」を購入した。
日本デビュー前の違った一面を見ることができて楽しかった。と言っても見ているのはやはり笛ふきビンちゃん!
最後の歌曲「康定情歌」で笛ふきビンちゃんが間奏の後、



カワイイッ!!!!!


仕事も年末のバタバタ状態に突入し、生活の中で唯一癒される女子十二楽坊。
7日に先行発売される2004年全国ツアーのチケットと、26日に発売される恵比寿で行なわれた「プレミアム演奏会」のDVDを入手することが楽しみだった。
つづく

記事担当 keidoh : 05:25 | コメント (9)

2004年07月08日

女子十二楽坊を知ってから(その5)

keidoh

2003年11月下旬、女子十二楽坊資料館で廖 彬曲ちゃんのページ以外はほとんど見ていなかった。
まだ情報といってもアルバムに記載されていること意外はほとんどなく、コメント欄も寂しいものだった。
廖 彬曲ちゃんに書き込まれているコメントはたった一つだけ。
「笛ふきビンちゃん?かわいいネーミングだな。」

内心、ちょっとだけ ”ウサマ・ビン・ラディン”や”赤尾敏”のイメージがついて回ったが、自分にとっては親しげなニックネームだった。

ここで「彬」という字について私事をひとつ。
私が生まれたとき、両親を始め祖父母が名前を考えていて、祖父が「成彬(なりあき)」にしようとしたそうだ。
しかし、この時すでに「彬」は人名用漢字として認められてなく、現在の名前になったそうだ。それくらい親しみのある漢字なのである。
(もうひとつちなみに今は亡き祖父の名前は「高橋 彬」でした)
これは単なる偶然の一致ではないのではないか?
「笛ふきビンちゃん、僕達は赤い糸で結ばれているんだね、さぁ、高橋家に嫁いでおいで」
  ↑勘違いモード・フルスロットル

「そうか!広西チワン族自治区だったら漢族ではないかも、同自治区の雷滢さんはDVDの自己紹介で自分は少数民族って言ってたぞ」
いろいろ興味を持ち始めた頃だった。

まだ資料館は毎日のようにはコメントも寄せられてなく、数日おきに閲覧すれば充分だった。
総合掲示板というのもあったが笛ふきビンちゃん以外、別に興味もなかった。
「えっ?俺の笛ふきビンちゃんにこんなにファンがいるの?」
このあと、そう思い始めるのであった。
つづく

記事担当 keidoh : 04:55 | コメント (7)

2004年07月07日

女子十二楽坊を知ってから(その4)

keidoh

「うん、いい曲ばかりだ!!!」
2回連続でDVDを鑑賞した。
2003年11月、待望の2枚目のアルバム「奇跡」が発売された。

発売日の前日6日、入荷しているかもしれないと近くのショップに足を運んだら案の定陳列されていた。
迷わず買ったのは言うまでもない、それどころか知り合いのお通夜に参列したあと、お清めもしないで喪服のまま真っ直ぐ購入しに行ったのだから自分でも呆れる。
着替えながらDVDを再生、最初オープニングでステージに映し出されている映像だと知らずに見たので、
「なんだ?ずいぶん画質の悪いDVDだなぁ・・・」と誤解した。
香典返しにもらった海苔をつまみに発泡酒を飲みながらの鑑賞、曲によってメンバー構成も違うことが初めて分かった。
完全に虜になったのは言うまでもない、特に「香格里拉」と「新古典主義」に惚れ込んだ。

同月下旬、「なぜ武道館に行かれないのか」と疎外感に襲われた時期であったが、2004年春に全国ツアーをやるという情報を入手、ローソンチケットで12月7日に先行発売するという。
「絶対チケットをゲットして見に行ってやる!」
なぜか映画「たそがれ清兵衛」を思い出し、
「男は必ず戦わなければならない時(乗り越えなければならない壁)がある!」と大袈裟な構えだった。
「どんな些細な情報でも入手したい!」再びYahoo!JAPANで”女子十二楽坊”と検索。

”女子十二楽坊資料館”・・・・・その敷居を跨いだ瞬間であった。
つづく

記事担当 keidoh : 04:38 | コメント (5)

2004年07月06日

女子十二楽坊を知ってから(その3)

keidoh

一ヶ月以上、同じCD&DVD(Beautiful Energy)を視聴していても飽きないわけがない。
2003年10月、テレビではミリオンヒットになったという話題が通り過ぎた程度で本人達の出演は乏しかった。

仕事にも追われ、週末は自宅でレンタルDVDばかり見ていたと思う。
「チェン・ミンさんのCDもしばらく聴いていなかったな、うん、やっぱいいねぇ。中国小姐最高!」
この時期、女子十二楽坊とはしばらくかけ離れていた。

”翌年の1月2日に日本武道館で一日だけのコンサートを行う”
どこで聞いたか忘れたが早速インターネットで調べた。でも時期が遅かったのだ。
某チケットセンターで入手しようとしたが終了、抽選で販売というところもあったが見事落選。
「武道館、どうせ音悪いし」なんて根拠のないことで自分を納得させていた。
「せめて廖 彬曲ちゃんのことをもっと知りたい!」
Yahoo!JAPAN や雅虎中国(Yahoo!CHINA) で検索しても見つかるのは女子十二楽坊のメンバーであるということ、出身地、学歴、経歴くらいだった。

同月中旬、11月7日に北京コンサートの収録CD&DVDが発売になるとわかり、嬉しさが込み上げてきた!
「僕だけの廖 彬曲ちゃんのお姿が拝見できる、うふうふうふうふ」
私はアイドルおたくではない!松浦亜弥ちゃんが歌が上手く、可愛さ余ってDVDとか買っちゃったが。
(あ、書いちゃった・・・・・)
つづく(大汗

記事担当 keidoh : 04:56 | コメント (2)

2004年07月01日

女子十二楽坊を知ってから(その2)

keidoh

2003年9月、自分が女子十二楽坊にハマってから初めて出演するTV番組がテレビ東京の「たけしの誰でもピカソ」だった。
廖 彬曲ちゃんにお熱を上げているkeidohのオッサン(35歳)、視線は彼女一点だった。いろいろなメンバーさんの日本での生活を放映している。

「あ、銀座の山野楽器店ね、中学生の頃、ベースにあこがれて毎週弾きに来てたよ、・・・ちょっと待てよ、その前に○○さんて美脚ねぇ」
「ふーん、ウィークリーマンションで生活してるのね、あらら口論始まっちゃった・・・でも向こうの人はいつでもどこでも誰とでもやってるからねぇ、普通じゃないの、日本人女性のように腹には溜めないからストレスも少ないようだし」
なんて思いながら「早よ廖彬曲 出さんかい!」と心の中で怒鳴っていた。
結局、演奏時くらいしかアップもなく、1時間番組なのに前半で出演終了。あらかじめDVD録画しておいたので、再生して廖 彬曲ちゃんのところで一時停止。
「うふうふうふうふうふうふ、カ~ワイイ。。。おじさん不純でゴメンね、でも君のファンなんて誰もいないんじゃないかな?もう僕だけのものだよ・・・」

(その3ヵ月後の12月、某サイトでビックリすることになったのであった)
つづく

記事担当 keidoh : 18:53 | コメント (1)

女子十二楽坊を知ってから

keidoh

なんて素敵な曲なんだ!?初めて聴いたその瞬間、全身に鳥肌が立ち、スピーカをじっと見つめた。

2003年8月、例年にない冷夏。週末になると妹の子供達に会いたくて、いつも出掛けていた。
そこのベランダでプランター野菜を育てていても成長が遅く、蝕ませるための栽培のような感じだったが、ビールで喉を潤しながら野菜を作る楽しさは格別だった。
当時はそれほどPCでネットサーフィンを頻繁にするほどではなく、野菜を育てる情報を得ることはあっても、書き込んで楽しむことなどしていなかった。
妹に素敵な男性が現れたと聞かされ、母子家庭である妹の家に、恋人(現在の旦那)が頻繁に来るようになった、別に気にするほどの事はないのだが、私もどことなく遠慮して週末は自宅にいることが多くなった。
何気なしにCDショップに足を運び、テレビCMで見た女子十二楽坊のCDに目が止まった。中国女性といえば私が黙ってその場を通り過ぎることはあり得ない。手に取って「Beautiful Energy」を見つめる、DVD付、2980円、日本の曲のカバーもやってる、「買おう!」

家に帰り、プレイヤーにCDを入れた。
”奇跡”・・・・・なんて素敵な曲なんだ!?初めて聴いたその瞬間、全身に鳥肌が立ち、スピーカをじっと見つめた。
ジャケットを見た時、「なんだかパッとしない娘ばかりだなぁ」と思っていたのだが、同梱DVDの”奇跡”のコンサート収録を見た瞬間、電光石火のごとくビビビビビビビビビビビビビビッ!!!!!!!廖 彬曲ちゃんカワイイ。。。

自分の生活が大きく変わってからもうすぐ1年が経とうとしています。
このシリーズ続きます。。。。。

記事担当 keidoh : 11:41 | コメント (11)

2004年04月14日

静岡市民文化会館レポ




























シャイニングエナジ-のステップかわいいーー!
あとはウ○コしたいのを我慢していたのでよく覚えてない・・・ゴメンネ
--おわり--

記事担当 keidoh : 19:51 | コメント (0)