父の手術の3日後、3月14日。
千葉県船橋市の教会で、妹は白いウェディングドレスを着飾った。
親族の控え室で、参加できない父の代わりに、私はシン(新郎・仮名)のお父様に挨拶をした。
「今日はせっかくの日ですが父の代わりとして来ました」緊張して上手く口が回らない。
控え室や通路を縦横無尽に走りまくる甥(妹の子供)たちは、今まで見せなかった明るい表情になっていた。式までの待ち時間に時々戻ってくるシンと妹。甥たちはごく自然にシンのことを『パパ』と呼んでいる。それが実に微笑ましかった。
教会内で私は前列に甥たちと並んだ。パイプオルガンの流れる中、甥たちもじっと式を見守っていた。私はといえば、シンに感謝の気持ちで胸がつまり、涙をこらえるので必死だった。
その後の披露宴は重苦しくない手作り風の式だった。最初にシンの挨拶から始まる。途中シンが、『こっちおいで!』甥たちを呼んだのだ。私の隣に着席していた甥たちは一目散に正面に駆けて行った。
シンは子供二人を自分の前に立たせ、『ご覧のとおり、妻は再婚です。・・・・・』と綴った。彼の誠実な言葉に会場からはもらい泣きがあふれ始めた。私はひとり病院で留守番の父が心配で仕方なかったのだが、シンに信頼を寄せる気持ちでいっぱいに変わった。
「シンくん、妹をよろしく頼んだよ」
待望の日は3月23日にやって来た。父が退院したのだ。嬉しかった!まだヨチヨチ歩きの父の世話で追われたり、自分が実家に戻るために、リフォーム業者の手配や実家の要らないものを捨てたりと色々せわしかったが、それでも一安心であることは間違いなかった。
職場に戻り、父が退院できたことをみんなに伝えた。その時、ある方に言われた一言が急に私の目を覚まさせてくれ、勇気を与えてくれた。
「高橋さん(私の名)も、そういう歳になったのね」
人生で誰もが訪れる、越えなければならない壁だということを間接的に教えてくれた一言だった。優しい穏やかな言い方なのだが、この言葉に共鳴し、奮い立たせられた。
「よし、なんでもやってやる!」
今までの現状を継続していこうと心に誓った。
参照 かけがえのない宝物
その4日後に第一回関東/東京地区オフ会が行なわれるのであった。
(次回最終話)
keidohさんは私より10歳以上年下なのに、私の何倍も苦労され、波乱万丈の人生を経験していますね。その苦労がkeidohさんを大きくしているだなと思います。私なんか少々の苦労はしてますが、この歳になるまで大きな挫折の経験がないままここまできてしまいました。何か、自分がぬくぬくと歳をとってしまった様で、少し恥ずかしくなりました。やはり人間、苦労しないとダメですね。私は根が内気で臆病者なので、何でもチャレンジして人格改善を目指します!。
Posted by: YASU : 2004年08月02日 22:47泣きました。
Posted by: 漁師 : 2004年08月03日 00:23啓さんごめんね、むりに幹事頼んだりして、日比谷を離れて早13年、東京音痴になってしまったので気楽に頼んでしまいましたが、かなりの心の葛藤があったんですね。敬さんが気づかせない程の力量なのか気づかない私が唐変木なのか、何れにしても気づけなかった自分が恥ずかしいです。
Posted by: non猫 : 2004年08月06日 20:24