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2005年09月19日

つづかない線路 貨物線(追記)晴海・豊洲

以前に掲載した“つづかない線路 貨物線『晴海→亀戸』”の追記です。
この日がいつか来るのは分かっていましたが、ついに晴海線が通っていた場所の再開発事業が始まりました。
晴海・豊洲周辺は工事が進み、少しずつ違った風景になってきています。

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晴海の車庫跡を出てすぐのカーブ部分にて。
写真では分かりにくいがショベルカーが線路の上に乗っています。

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役目を果たした枕木が山積されています。

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トラ柄のポールや信号装置などが横たわっていました。

「今あるがままの姿を写しておこう」
無くなりつつある子供の頃の記憶をこれ以上失わないようにとあちこち撮影していた時、悲観的な心の隙間に一筋の光が差し込みました。
豊洲地区で巨大なホームセンターがオープンし、その建物の脇の歩道に線路がオブジェとして遺されていました。
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それまで工事フェンスで覆われていたため立ち入りできなかった場所でしたが、このような形で出会えたことに驚き、長年捜していた友人に出会えたかのような感激がありました。

Posted/发表于 keidoh : 20:59 | Comment/回复 (0)

2005年08月17日

東京湾大華火祭2005

今年もやってきました。外に出られない日。8月13日土曜日
前の晩、雨が降り、当日の開始数時間前には雷雨が発生しました。
そのせいで、私の家の玄関先には雨宿りの人の群れ。浴衣姿の女性が天を眺め雨が止むのをじっと待っていました。
でも、開始1時間前には回復し、お盆時期恒例の花火大会が開催されました。
下の写真は住宅の屋上から撮ったものです。
実はこのフレーム外の右には大きな清掃工場の煙突があり、全ての花火をここからは見られません。
構図もこれしか作れないという辛い撮影でした。

東京湾大華火祭2005.jpg
DATA: Canon AE1P , FD135mmF2.5, 1/2秒 , f8 , コダックエクタクロームE100GX 三脚使用

Posted/发表于 keidoh : 08:56 | Comment/回复 (0)

2005年08月06日

住吉神社大祭 -東京-

油の神様として知られる佃島の住吉神社。徳川家康ゆかりの土地でもあります。
三年に一度の住吉神社大祭を、もんじゃで有名な月島西仲通り商店街で見物してきました。

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太鼓の鳴り響く中、各地域の神輿が担がれてきます。

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担ぎ手も見物客も興奮状態です。通りに撒かれた打ち水のおかげで、周りは結構涼しくなりました。

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この祭は神輿本体に思いっきり水をぶち撒くことでも有名です。
カメラには当然、水避け対策を施して撮影したので難は逃れましたが、
下の写真を御覧になれば私の衣服がどうなったか想像できるでしょう。

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Posted/发表于 keidoh : 16:12 | Comment/回复 (0)

2004年10月18日

つづかない線路 貨物線『晴海→亀戸』

私が生まれたこの地には、貨物列車が往来していました。
普段から見慣れていた光景だったので気にもとめませんでしたが、最近になってようやく、古き良いものを撮りたくなってきました。
でも、この撮影を実行した日、すでに遅かったことに気付いたのです。
その中で自分が歩いた道のりをご紹介いたします。


晴海二丁目。
晴海通り沿道の路線跡、ここから越中島を経て、
亀戸に向かって進んでいきます。
かつて遊んでいた車のほとんど通ることのない車道も、
現在は通行止めになってしまっています。
この左の高台になっているところが停車場です。
この先数百メートルに分岐点があり右側にそれると
晴海埠頭沿岸に続く線路があります。



高台になっているところに避難用階段があったので上ってみました。
線路どころかブルーシートがかけられ、不可解なことからの始まりでした。
奥にそびえるのは豊洲にある日本ユニシス本社ビル。


過去の記憶にある筈の、線路がないことから始まったこの珍道中で、
セメント工場の出入り口に入ったらやっとありました!
草が生い茂っているのは分かりますが柵の奥に木まで生えている。
(ビックリ)


トラックが運んだであろう砂などでレールの溝は埋まっています。
でもこの時、なぜか嬉しくなってきて、子供の頃の楽しい思い出が蘇ってきました。


橋のたもとに着き、後を振り返ったところ。
「この先に時間を超越した世界がある」っていう感じですね。


で、前に向き直ると柵の向こうに晴海橋。


今でもモデルの撮影などに使っています。


晴海運河に架かる晴海橋の全景。
子供の頃はもっと空色だったと思うのですがはっきり覚えていません。
この橋と奥のセメント工場、貨物船は物心ついた頃から好きな光景でした。
後方に晴海アイランドトリトンスクエアがそびえます。


橋を渡りきるとススキの穂がお出迎えしてくれました。
江東区豊洲。奥は石川島播磨重工跡地。


晴海橋を真っ直ぐ進んだところ。橋はあるのに線路がない。
しかもこの先・・・


車道なのにすでに線路も無くなっています。ここに踏切があったことは覚えています。
この晴海通りに対して斜めにのびていました。


豊洲運河。
豊洲と塩浜に架けられていた橋もすでに無くなっています。奥には豊洲橋や佃の大川端リバーシティが見えます。
豊洲運河を渡り、塩浜に着きました。
橋があったと思われるたもとを探して・・・
あ、これだ!
工事しているところの柵の間にレンズを入れて撮影。
うむ、枕木らしきものが点在して集積してある。
線路を残して欲しかったような愛着すら感じてきました。


通りを一つ越えて、来た方向を振り返って見ると、
アスファルトの色の違いに気付きました。
かつて線路があったことの証ですね。


で、そのまま後ろ向きに歩くと・・・(実際はそんなことやっていません)
また線路の名残りです。


で、ここで運河に差し掛かってプッツリ途絶えました。
お約束の家庭菜園がありますね。


運河の向こうに渡って線路の断面をパシャ!


先を見ると三ツ目通りの上に首都高速深川線が見えます。
ここは線路がありませんね。建設予定地でもなさそうです。
三ツ目通りから後方をみたところ。
柵の隙間から人が入り込んでいます。
なぜかけもの道ができていて、犬が小便していたところをパシャリ。


三ツ目通り。かつてはここにも踏切がありました。
確かに記憶にあります。


その先に線路がまたお出迎えです。なぜかホッとしました。
柵を越えて入ってしまいました。(ごめんなさい)


で、今までは地面よりやや高い位置に線路があったのに、ここは線路の両脇が高くされていることに気付きました。
ここで、学んだことを一つ。
実は晴海からここまで延びていた線路は、東京都港湾局晴海線という東京都の管轄だそうです。
ここから先がJR貨物越中島線になるそうです。
私は鉄道に詳しくないので定かか分かりませんが、鉄道マニアのHPにそう書かれていました。


さて、進行方向へ。
住居のすぐ前に敷かれているレール。
癒される人も多いかも知れませんね。


そうこうしている間に到着しました。越中島貨物駅(所在地は塩浜)。


何両にも連結されたレール輸送専用車輌。奥に京葉線が走っています。


先に進むと、晴海から来てようやく初めて現存する踏切に出会いました。


ここの交通整理の方達、1日にちょっとしか往来しない車輌のためにずっといるのでしょうか?


この新砂踏切を越えると亀戸までほぼ真っ直ぐ線路が続きます。


新砂一丁目の踏切。
こんな標識、自分の地元にあることすら忘れていました。
後ろに見えるビルと妙にマッチしているかも。


さらに北へ向かって進んで行きます。


永代通りと交差しました。
この通りはここから永代橋を越え皇居まで続いています。


最近では線路の描かれた標識も段々姿を消そうとしています。
物資の輸送手段が時代とともに変わってきました。またそれは貨物列車にだけいえる事ではありません。
江東区には碁盤の目のように張り巡らされた運河も、埋め立てが進んでいます。
下の写真は葛西橋通りのすぐ横を流れる仙台掘川公園。
この貨物路線の所だけこのようなユニークな使い方をしています。


清洲橋通りと交差しました。
ここは歩道・車道が深く掘られていて貨物線をくぐるように通ります。


その先に今は無き、JR貨物・小名木川駅。
画面右側がすでに更地になっています。


小名木川駅のちょっと手前の道路。自転車で通ると頭をぶつけてしまいそうです。


第2八ヱ門架道橋という名称ですね。
この辺の住民で知っている人どれくらいいますかね。


小名木川駅を越えると高架になっていきます。
名称の由来の小名木川に架かる橋。


その右側の車道の橋桁がレンガで外装されています。
線路が消えていく一方、こういうレトロなものはできるだけ残して欲しいですね。


大島一丁目。枕木丸見えの架橋です。
列車を下から見上げると落ちて来そうで怖いでしょうね。


大島周辺に差し掛かるとこのような下町を横目に線路は続いています。
ここの人たちにとって家の前を通る貨物列車は当たり前のものなのでしょう。


新大橋通りと交差しました。
ここは私にも馴染みの深い、以前暮らしていた所の近くです。
特に変わった様子のない下町ですが、亀戸駅に用があるとき、この架橋の表示はいつも目にするものでした。


首都高速小松川線の下に堅川に架かる橋がありました。
この堅川は今では広範囲にわたって埋め立てられています。


今はなき川を越えたところ。


まもなく亀戸駅に到着します。
この辺から線路は徐々に東の方向に曲がり始めました。


京葉道路に対して斜めに架かった橋。
そして今回の探訪はまもなく終わりに近付きました。


総武本線と合流するかのように亀戸駅に到着しました。
総武線と成田エクスプレスがお出迎えです。


亀戸駅交差点。奥が総武本線、手前が貨物線です。
この駅を越えると更に橋桁は高くなり、総武本線を跨ぐようにして交差し新小岩まで続いていくのでした。

段々なくなりつつある子供のころの風景。
そんな時、ある歌を思い出しました。
森高千里:『この街』
♪でもこの街が好きよ 生まれた街だから・・・

<終わり>

続きはまたいつか・・・

この記事の追記があります

Posted/发表于 keidoh : 21:31 | Comment/回复 (5)

2004年08月14日

東京湾大華火祭

私の家は東京都中央区晴海です。
毎年、この時期になると花火が上がります。
観客
打ちあがる二時間前(17:00)の家の前で。


私の家は1階の角部屋でして、今、これを投稿している最中にも車道のお客さんの声が聞こえてきます。
花火1
私の家の沿道。(19:00)もう、歩くことすら困難な状態です。

花火2

花火3
写真下側のアーチはレインボーブリッジ。今回花火は初のデジカメ撮影だったので全くダメでした。
やっぱりフィルムにはかないません。

Posted/发表于 keidoh : 20:24 | Comment/回复 (3)

2003年08月09日

隅田川に架かる橋

記述2004.2.4 私は岸・運河・川に囲まれた東京の晴海に住んでいます。
当時は築地、銀座、有楽町、日比谷が最寄の駅でしたので、この隅田川を渡らずには生活できませんでした。
私は当然の如く勝鬨橋を何度も渡り歩いてきましたが、橋の形状に興味を持ったのはごく最近です。
通常、上流から河口へと表記される事が多いようですが、今回あえて私の育った環境から遠くへ出かけてみるように表にしました。
本格的な橋として架けられたのは江戸時代初期の1594年、千住大橋が初めだそうです。当時は”大橋”と呼んでいたそうですが、その後隅田川に次々と大橋と呼ばれる橋が(両国橋・新大橋など)架けられたことから、日光街道の千住宿の名を取って千住大橋と呼ぶようになったそうです。
当時はみな木製の橋で、土地柄もあってか、火事が多く何度か燃え落ちていたそうです。
隅田川の初めて鉄の橋は、明治20年の吾妻橋だそうです。しかし、床の部分が木製だったので、関東大震災で焼け落ちてしまったそうです。
橋名 河口側より 橋の長さ(m) 形式
勝鬨橋 246.0 双葉跳開式鋼鈑桁
鋼タイドアーチ
佃大橋 576.3 3径間連続鋼床版箱桁
3径間連続鋼鈑桁単純鋼鈑桁
中央大橋 146.6
相生橋 7径間ゲルバー式鋼鈑桁
永代橋 185.2 ゲルバー式タイドアーチ
単純鋼鈑桁
隅田川大橋 385.8  3径間および
2径間連続鋼床版曲線箱桁 
清洲橋 186.6 3径間自碇式吊橋
新大橋 170.0 2径間連続斜張橋
両国橋 164.5 3径間ゲルバー式鋼鈑桁
総武線隅田川架橋
蔵前橋 173.4 3径間2ヒンジ鋼アーチ
厩橋 152.0 3径間鋼タイドアーチ
駒形橋 149.1 2ヒンジ鋼アーチ
吾妻橋 150.1 3径間2ヒンジ鋼アーチ
東武伊勢崎線
隅田川架橋
言問橋 238.6 3径間ゲルバー式鋼鈑桁
桜橋 169.5 3径間連続箱桁
白鬚橋 168.8 ゲルバー式タイドアーチ
鋼トラス
水神大橋
千住大橋 91.7
502.5
(副橋・昭和47年完成)
鋼タイドアーチ
3径間連続箱桁
常磐線隅田川架橋
京成線隅田川架橋
尾竹橋 131.7 5径間ゲルバー式鋼鈑桁
東京電力荒川専用橋右岸
小台橋 122.0 3径間ゲルバー式鋼鈑桁
尾久橋 431.0 3径間連続鋼床版箱桁
豊島橋 100.0 3径間ゲルバー式鋼鈑桁
新田橋 114.0 5径間単純鋼鈑桁
新神谷橋 463.1 3径間ゲルバー式鋼鈑桁
岩淵水門

Posted/发表于 keidoh : 00:00 | Comment/回复 (0)

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