2008年07月18日
江南周遊4日目
この日は杭州から中国版の新幹線に乗り上海へ。

杭州駅。中国の駅はどこに行ってもデカイっす。

”新幹線”の切符。ここ杭州から上海までは1時間半ほど。切符は54元である。

車内で偶然知り合った少姐。この時は日本で中国語の勉強を始めていて、しかも関口知宏の「中国鉄道大紀行」を見ていたときだったので、何気に話しかけたら予想以上に会話ができたので、意気投合してずっと世間話とかしてました。
ちなみに少姐は太湖(といっても安徽省の)出身の馬ちゃん。
・・・しまった。連絡先聞いとけばよかった。

今回のツアー参加者。上海博物館にて。
そういえば、今までの海外旅行はフリープランばかりだったが、はじめていく場所や言葉が不自由なところはこのような観光ツアーも修学旅行のようでまた楽しい。

上海といえばこれ。
・・・前回食べた上海ガニがあまりにも立派だったので今回のカニを見て脱力感がどっと押し寄せてきた。
なにせこのカニ、自分の握りこぶしよりも小さいのである。
その後、上海雑技を見に行ったのだがなかなか楽しめた。
2007年05月21日
山水旅游 ~最終章~
今日は”山水画”の街、桂林から、”食の街”、広州への移動&広州観光である。
その為、桂林のホテルをチェックアウトするのは、まだ空も暗い朝の5時過ぎだ。
毎度のことながら、「六甲おろし」のアラームで起き、そそくさと支度をしてロビーに向かう。
劉さんは既に迎えに来ていた。
朝早いこの時間ではホテルで朝食を、なんてのは無理なのでホテルが作ってくれた「弁当」を各自手にしてバスに乗り込むのだった。
バス内にてまだ完全に開ききっていない瞼をしょぼしょぼさせながら弁当を頬張るオレ。
ちなみに弁当の中身は、固めのロールパンに野菜サラダ、自分の握り拳より二周りは大きいネーブルオレンジ・・・。硬くて皮もむけんっちゅーの。
朝の7時前に桂林の空港に到着。
景色を見渡すと朝日が昇りはじめ、うっすらとオレンジの光を背に桂林の奇山のシルエットが浮かび上がっていた。
山水画の違う世界を垣間見た瞬間。
空気がとてもウマイ。
ここで完全に目を覚ました自分は広州行きの飛行機に乗り込み、まだ見ぬ「食在広州」といわれる広州の市場に想いを馳せていた。
閑散とした朝の桂林空港ターミナル
空港内にあった看板。「北京時間」が表示されていたが、中国内に時差ってあったっけ・・・。
機内から望む奇山が織りなす峰
1時間ほどで広州に到着。
早速ツアーバスに乗り込み広州観光である。
少しは休憩したいのに・・・。
最初に向かったのは「陳氏書院」。
ここはもともと広東省に住む陳姓を名乗る一族が子弟のために建てた学校であり、1894年、つまり113年前に建てられた。
・・・自分が現在住んでいる借家も築70年と、かなり趣があるのだが、陳氏書院には歴史の深さで負けた。なんのこっちゃ。
中国南方形式で立てられていて、書院の数は19ある。
書院内の回廊や手すり、そして屋根などにも”三国志”や”水滸伝”、そして”八福神”の見事な彫刻が施されていた。ちなみに”八福神”の中の年老いた酒豪である神が、日本へ渡来する前夜、あまりにも嬉しくて深酒をし、当日は酔いがたたって起きる事が出来ず、結局7人の神で日本へ渡ったため、日本では”七福神”と呼ばれている、と中国内ではまことしやかに囁かれている、と劉さんが言っていた。どんだけぇ~。
その後、境内にガジュマルの木が6株ある、ということで名付けられた”六榕寺”という
寺に立ち寄り、待ちに待った昼食タイムである。
高さ58メートル、9層からなり、別名、”花塔”と呼ばれる八角形の六榕寺。
なかなかイケた飲茶。しかしこの時は、レストランから少し離れたところにあった建物の壁一面に「唇」のオブジェが施されていた建物が非常に気になっていたオレ。帰国後ネットで調べたら果たしてムフフなスポットであった。どんだけぇ~。
レストランを後にして広州の市街地を徒歩で散策。
広州市内を縦断している大きな運河、「珠江」のほとりでしばし休憩。
この運河では夜になると、「ナイトクルーズ」と呼ばれる夜景を楽しむ舟下りがあるようだが、昼に見た運河はスケールが大きいだけで水は濁っていて汚く、タイのチャオプラヤ河のようだった。
茶色な運河。だが、自分の地元でもそうだが、街の中に川や運河など、”水”が身近にある環境は癒される。毎日の日課でもある散歩も、いつも堤防を歩いているし。
散歩を終え、次に向かうのは中国大陸をはじめて統一した”秦”が漢に敗れ、当時秦の将軍であった「趙陀」が起こした国、”南越”の第二代王である文王の墓と出土品が展示されている、「西漢南越王墓博物館」である。こういう施設を見学するのは無上の喜びであるおいら。
見学をしつつ、ついつい写真を撮りまくるおいら。
王や婦人、側室などの棺が納められていた場所。
1191枚の玉片と赤い絹糸で作られた玉衣。
王の遺体と共に玉衣が納められていた棺。
玉衣の中には骨が残されている。変色しているので毒殺された、という説が根強いらしい。
この博物館で2時間くらい過ごした後、いったんホテルへ向かい旅装を解く自分達。
ちなみに泊まったホテルは、広州の市街地の真ん中にあり立地条件も良い★★★★★ランクの”東方賓館”である。
といっても明日には帰国するので、立地条件が良かろうが、部屋がゴージャスだろうがあまり関係ないような気がしてきます。
ホテルを後にして、いよいよツアー最後の夕飯へ。
向かった先は、北京ダックで有名なレストランである。
本場でもある北京でも食べた豚。個人的には”鳥皮”の串の方が好きである。果たしてその後は・・・。
あまり腹も満たさずに。いや、無理やりビールで腹を満たした自分たちは帰国を控えた明日に備えホテルに戻りました。
先ほど頂いた夕飯といえば、”ウマイっ”という味覚の食材はございませんでした。
”ウマイっ”というよりすでに用意されていて「チン」するだけのマックのような食材ばかりでした。
ホテルに戻り、まだ寝るには早いのでホテル周辺を徘徊する自分&コウちゃん。
道すがらレストランの軒先にある珍しい食材を眺めつつ、マッサージ店へ。
★あまりいただきたくない食材とゆかいな仲間達。
お~、クロコダイルわに君。
これ食ったら「スネーキーモンキー」になれるかな?
めめ・・・いやミミズちゃん。ここで立ちションしたら腫れちゃうね。
あまり”こみあげてくる”ものが無い食材を眺めつつ、店頭で可愛的小姐が迎え入れてくれたマッサージ店へ。
ここでたっぷり2時間のマッサージを終え、次回の訪中の話に花を咲かせる自分達。
個人的には九賽溝に行きたいのだが、休みも予算も足りそうにないのでとりあえず自分が見てみたい兵馬俑や華清池、衛青の墓などがある西安へ行こう!ということで話がまとまった。
ホテルへ戻り、すっかり帰国モードになった自分はベッドに横になった瞬間、眠りの縁へ落ちていった。
翌朝は5時に起こされ、またもあまり食欲の湧かないホテルの”弁当”を手にバスに乗り込み空港へ。
「もっと中国、探索したいやんっ!」
という想い、いや、誓いを胸に秘め次回の訪中へ期待を込める時分だった。
アップがかなり遅れました。
住んでいる環境もパソコンも資料もなにもかも変わってしまったので、記憶を手繰り寄せながらの執筆となってしまいました。
次回の訪中の記事は、体験が新鮮なうちにアップしたいと思います。
・・・ということで、6月末にまたまたコウちゃんと西安へ行く予定です。
再見!!!
2007年04月06日
山水旅游 ~第四章~
ツアー3日目の今日は桂林市内の観光である。
集合時間は8時半なので、時間に余裕を持って朝食を摂り、部屋でくつろいでいた。
いつも海外旅行へ行くときは、主にフリープランなので行動は束縛されていない分、毎朝、
とりあえずのビール
を飲むのだが、今回のような観光メインの旅行の時は、朝のビールはおあずけだ。
折角の観光中に酔って眠くなったり、トイレで格闘したり、なんてのは懲り懲りだからだ。
ちったぁ、成長したかな?
時間きっかりにホテルを出発。
バスは川沿いの公園で朝の太極拳や剣舞などをしている人たちの集団の横を通り抜けていく。
朝の街の風景を眺めながら、劉さんが桂林の街について説明を始めた。
桂林市街地の人口はおよそ68万人。
気候は、年中曇りが多く、夏にはスコールが降る。
又、桂林の”桂”という字はモクセイの木を意味しているとのこと。
確かに街路樹や公園などにはキンモクセイやギンモクセイばかりが目に付いた。
しかも目に付く木にはすべて根から白いペンキのようなものが塗られている。
「あの白い塗料はなんじゃいな?」
と劉さんに尋ねると、
桂林の山といえば、数億年前に海底が隆起して出来たカルスト地形の石灰岩。
この石灰がたくさん採掘できるので、腐乱防止や防虫効果のある石灰を塗ってあるとの事だった。
また、桂林の街自体は小さいので歩いてでも観光が出来る、などとのたまっている劉さん。
さっきから自分の目に映る、無駄に広い車道や歩道、大きな公園に長い橋エトセトラエトセトラ・・・。
「道が広い」
で有名な名古屋の街と比べても遜色ない。いや、メイン通りどころか路地ともいえる道まで充分に広い桂林の街。
中国人である劉さんと日本人である自分達とでは、「規模」に対する認識に100マイルくらいの開きがあるのだろう。
それはさておき、
まず最初に向かったのは、幾多の詩人に「江山会景」と詠われている、桂林きっての景勝地である”畳彩山”である。

入り口。周りには少数民族の衣装を着た”物売り”が何人もいた。そして物売りに取り囲まれていたコウちゃん。笑
この山は高さが223mあり、山頂に行くには500段の階段を登らなければならない。
また、入り口にある風洞には唐から宋代に彫られた仏像や石刻、碑文などがある。
階段の勾配は急なのだが、以前登ったことのある万里の長城と比べると全然余裕である。
休むことなく歩を進め山頂にたどり着いた。
山頂から望む桂林の街や漓江の景色は、
「日本で例えると言ったら・・・」などと比べることの出来ない絶景だった。

山頂の展望台にて。珍しく”シラフ”の自分。

展望台から眺めても水が透き通っている漓江。写真では解りにくいが、水着で泳いでいる人がいた。12月だというのに(気温15度くらい)。
山頂からの景色を眺めていたら、展望台の手すりに沿って掛けられてある鎖と無数の南京錠が目に付いた。
南京錠を見ると、釘などで彫ったのだろうか、名前と願い事が書いてあった。
まるで絵馬のようである。
「折角だしっ!」
と思い、自分も展望台にある売店で南京錠を買おうと思ったら、
劉さん曰く
「この南京錠は年末に全て処分されます」
だって。
ここで南京錠を買ってもわずか10日間の寿命である。
しかも、年末に取り外された南京錠には多くの銅が含まれているのでリサイクル業者に引き渡し、収入を得るそうな。
南京錠を買うのは諦めて、漢字一字を彫った携帯につけるストラップを物色するコウちゃん&自分。
数多くある漢字の中から自分の欲しい漢字一字を探すのだが、漢字を捜すのに表記されているのがピンイン表記なので、なかなか獲物にたどり着けない自分達。
自分は名前の一時でもある、”仁”の字を買い、さっそく携帯につける。
辺りを見回すと、劉さんどころか他のツアー客の姿も無い。
「え、もう降りちゃったの?」
と思い、未だピンインとにらめっこしているコウちゃんをせかすオイラ。
自分は一個しか買わなかったが、コウちゃんは自分や奥さん、子供の分まで購入するようである。
「俺、先に行って劉さんに言っとくね!」
とコウちゃんに言い残し、軽快な足取りで階段を駆け抜けていった。
山を降りる途中で劉さんに遭遇したので、山頂でコウちゃんが未だお土産を買っている旨を告げる。
するとまだ時間に余裕があるとの事なので、数多くある売店などを冷やかしていた。
しばらくすると、息を切らしてコウちゃんがやってきた。
なぜか顔色は暗い。
どうしたのか尋ねたら、あせって階段を走り降りてきたのはいいが、途中で見事な、
ひとりバックドロップ
よろしく、豪快に転んだようで腕をさすっていた。
ププッ、それは”ヤンヤン”の祟りだよぉ、君ィ。(ちょっとクドい自分。それだけ後悔(心残り)している不純な俺。苦笑)
畳彩山を後にして次に向かうのは、桂林でも一番大きな公園である”七星公園”である。
この公園には4つの峰がそびえる普陀山と3つの峰がそびえる月牙山があり、合わせて7つの峰がの並び方が北斗七星に似ているので七星公園と名づけられたそうである。

大きな駐車場に面している公園入り口。
この公園の一番の名所といってもいいのは、その形がラクダに似ているということで有名な駱駝山である。
☆らくだやま90
☆本物ラクダ93

見た形そのまんまの駱駝山。以前ここを訪れた事のあるクリントン元米大統領が演説した演壇も残っている。この演壇に上りスピーチよろしく、熱弁を振るっているパフォーマンスをしていたら大勢の観光客に指を指されて笑われている自分。シラフなのに・・・。

そして演出なのか、駱駝山の麓にたたずむ本物の駱駝。
また公園内には動物園もあり、ラクダやパンダ、レッサーパンダ、虎などもいる。

小学生の時以来目にする本物のパンダ。餌である笹を噛んだり舐めたりしている仕草が、”もんのすごく”可愛いっ!(はぁと)
そして、この公園に生息している虎は日本の動物園で見る、”情けない”虎と違い、正真正銘100%のベンガル虎であり、身体もかなり大きく逞しかった。
しかも、この動物園の”売り”なのだろう、虎にまたがって記念撮影も出来るようである。
ちなみに値段は20元。
日本では無類の”虎(タイガース)”ファンの自分は、この時ちょうどタイガースのTシャツも着ていたこともあり、どうせならと言うことで携帯で”六甲おろし”の歌を流しつつ、虎にまたがってコウちゃんにビデオを撮ってもらおうかとも思ったが、虎にまたがったせいで今シーズン、タイガースが優勝できんかたら嫌だし、なにより携帯から流れる”六甲おろし”の冒頭の、
虎の雄たけび
に本物の虎が反応して、牙をむいたら怖いし・・・。
ということで現地の観光客が虎にまたがり写真を撮っているのを眺めつつ公園を後にした。
杖を持った調教師みたいな人が合図をすると、虎はものすごい大口開けてた。牙デカすぎっ!
自分達一行は公園を後にして途中でレストランに寄り昼食を摂る。
その後は、桂林市街から少し離れたところにある光明山の山腹にある巨大な鍾乳洞、”蘆笛岩(ろてきがん)”に向かう。
全長はおよそ2キロほどあるのだが、実際に歩けるのは500mほどである。
各鍾乳石には、「大宮殿」「きのこ山」「水晶宮」などと、名前が付けられていた。
この鍾乳洞も赤や青、黄色などの照明が施されていてとても幻想的だ。
その中でも、一番見所があるのが青一色に照らされた「水晶宮」であり、鍾乳石の手前には大きな池があるので、天井や鍾乳石が水面に映し出されてとても綺麗である。
そのときに撮った写真を自分のパソコンのデスクトップに使っているのだが、あまりにも綺麗なのでプロが撮った写真か、最初からパソコンにプリインストールされている画像と見間違うほどである。

水晶宮。これほど綺麗な鍾乳洞は日本でも見た事が無い。
この後、1時間ほど劉さんの細かな説明を聞きながら鍾乳洞内を巡り外に出た。
この鍾乳洞も良かったのだが、光明山はいかにも田舎の小さな農村、というところにあり時間がゆっくりと流れているような雰囲気がとても気に入った。
自分の周りに群がってくる物売りたちの声をBGMに遠くの山を眺めつつ黄昏る自分。

蘆笛岩前にて。ここの景色を見ていると、熱いお茶や酒などを嗜みつつ、友人と清談でもしたくなるような雰囲気だ。
その後バスは再び桂林市街に戻る。
河にせり出した形がまるで漓江の水を飲んでいるかのような象の形をした奇岩、”象鼻山”や、日本の金閣寺、銀閣寺を模して造られた”金塔””銀搭”、又、名前は忘れたが、たくさんの人でごった返している歩行者天国などを散策した。

象鼻山。象鼻山の向こうにはさらに”マンモス”の形をした岩が見える。

金塔と銀塔。この周辺がおそらく桂林一の繁華街のようであり、家族連れやカップルの姿が目に付いた。

「プチ王府井」のような歩行者天国。多種多様の店があり活気が凄かった。余談だが、見た目がいかにも”日本人”なのか、歩いている途中、常に「ショートで○○エンでオーケーよ!」と言い寄ってくる客引きババァにまとわりつかれているコウちゃんだった。
その後夕食を摂るために少しはなれたレストランへ移動。
”ぐるぐる円卓”
にはいい加減、飽きがきていたのだが今夜の夕食は、辛いものには目の無い自分が、「アイ・ラブ・ユー」と囁きたくなる”四川料理”である。
円卓に次々と運ばれてくる以下にも辛そうな料理。
とりあえずのビールを飲みながら、目の前にある豆板醤をすこし舐めてみた。
・・・・・。
この後はひたすらビールが進むだけであり、何を食べても味が分からなかった。
恐るべしっ、本場の四川料理。
思い出しながら書いてたら、汗が出てくる。マジで。

サウナより汗の出る四川料理(首から上限定)。この時の料理が、今までの食事の中で一番食べ残しの多い円卓だった。
食事の後は、オプショナルツアーの”足つぼマッサージ”である。
明日は広州へ移動するので朝が早い為、あまり夜の街を徘徊できない。
又、今日の観光で幾分疲れていたので、劉さんに自分達もマッサージを行く旨を告げる。
日本で事前に予約すると3,500円との事だったが、このときは100元(約1,500円)を支払うだけでよかった。
劉さんに100元を支払う自分達。
この時、日本で事前に予約したのであろう他のツアー客の冷たい視線が浴びせられているような気がした・・・。
ツアー初日と2日目の夕食を摂った桂山大酒店の中にあるマッサージ屋に入り、全身マッサージを注文する自分。
中国では少数民族の一つ、「苗族」という”エンクミ”似の女性が施してくれるマッサージは、
「え、もう1時間経ったの?」
と聞き返したくなるくらい、絶妙の技であった。
これで100元なら毎週、通いつめたいくらいである。
地元の自分のアパートから徒歩5分くらいのところにある中国式マッサージは1時間6,000円もするし(上海小姐や桂林出身の小姐もいる)。
マッサージを終え、ホテル近くのコンビニでバスから降ろしてもらう自分達。
ここでビールとつまみを買い込み、部屋に戻る。
シャワーを浴び、バスローブに身を包む自分。
次回、バスローブなんて小洒落たモノに身を包むのは何年後だろう・・・。
最後の桂林の夜に乾杯しつつ、明日は早いので朝の5時にアラームをセットする。
ビールもそこそこに早めに寝ようと思いつつ、部屋に来る前にロビーで貰った無料の情報誌を眺めていたら、つい時間を忘れてしまった。
ページをペラペラめくっていたら、その殆どが明日訪れる広州の
ナイトスポット
の広告ばかりだった。
桂林最後の日だけは別々の部屋のベッドに潜り込んだのだが、それは深夜2時を過ぎた頃だった・・・。
山水旅游 ~第三章~
おはようございます。
いよいよ以前から憧れていた山水の風景に出会う日がやってきました。
前から期待していたこともあって、朝の目覚めは最高!といいたいところだが、
携帯のアラームではなくコウちゃんに安らかな眠りを打ち砕かれてしまいました。
コウちゃん曰く、
「何で朝の6時から”六甲おろし”で起こされないかんのや!」
だそうです。
そういえば時差が1時間あったっけ。
昨夜の深酒のせいで少々重い頭を瞼を無理やりこじ開け、朝食の為レストランへ向かう。
レストランへ入ると、さすが他のツアー客は高齢の人ばかりのせいか、すでに食事を完食しており談笑などしていた。
このようなホテルの朝食はありきたりの洋風のメニューである。
ベーコンやら、目玉焼きやら、トーストetc・・・。
あぁ、納豆が食べたい。
朝食を終え部屋に戻ったのだが、集合時間までにはまだ余裕があるのでバルコニーなどで街の景色を眺めつつ少しくつろいだりしていた。


【上】バルコニーからの眺め。自分が想像していた田舎町と違い、最近新しく造られた街との事である。
【下】ホテル前景。ホテルというよりマンションである。
集合時間より少し早めにロビーへ行き、すでに迎えに来ていた劉さんと少し話し込む自分。
その後バスに乗り込み一路、船着場へ。
ホテルからは1時間くらいの距離との事なので、車窓から街並みを眺めようと思っていたのだが二日酔いと寝不足がたたったせいか、船着場に着いて劉さんに肩を揺すられながら、「マルヤマさーん、マルヤマさーんっ!」と強制的に起こされるまで熟睡している自分。
しかも風景を録画するために持参したハンディカムは、帰国してから自宅でチェックして分かったのだが、韓国旅行で客引きババァに壊されそうになったバリ島カバンの中でレンズにキャップをかぶせたまま録画状態だった。
船着場にて船を目の当たりにすれば、いやがうえにも気分は高まるんかいな!と思ったが、自分の頭と胃はノックダウン状態。
船着場にある土産物売場を通り抜けトイレへ猪突猛進する自分だった。
ちなみにここの土産物売場でも、「センエーン、センエーン!」という日本語が飛び交っていた。


【上】外国人専用の竹江埠頭。そして佇む自分。
【下】河下りはこのような3階建ての船で下る。ちなみに1階と2階はトイレつきの客室だ。
10分後。
すっかり頭と胃の中を空にした自分は、スッキリした顔で船に乗った。


河を下り始めるとすぐにこのような景色が広がる。
この河下りは途中で下船して鍾乳洞を散策したりするので、小六時間ほど船上の人となるのである。
持参したガイドブックにも書いてあったが、さすがに途中で飽きがくるらしい。
が、一つとして同じ形の山が無い、といっていいほどの奇山、奇岩がおりなす景色は時間を忘れさせてくれる。
又、河原は漓江沿いの村の人達の生活の場になっており、牛や馬が水浴びなどをしたり、地元の子供たちが遊んでいたり、河にせり出した桟橋で洗濯をする主婦がいたりと、のどかな風景を目にすることも出来る。
河の水はとても澄んでおり川底がはっきりと見えるくらいだ。
しかし、「え、この大きな船でこんな浅い河を下って、途中で座礁でもしないんすか?」
というくらい渇水期であるこの時期の漓江は川幅がとても狭いのだが、船は幾度も蛇行する細い河を延々と下っていく。
その途中で冠岩という鍾乳洞に立ち寄った。

川沿いにこのような鍾乳洞がいくつもある。ここは”冠岩”という鍾乳洞。

鍾乳洞前の埠頭&コウちゃん。見渡せるのは、何も考えなくても”ボーッ”と出来る絶景の連続である。

鍾乳洞内部はこのようにいろんな色でライトアップされていて綺麗だ。
ここの鍾乳洞は歩いて小一時間、また途中でトロッコに乗ったり小さなボートに乗ったりと、とても広い鍾乳洞である。
様々な色にライトアップされた鍾乳石などを眺めつつ歩いていると、途中で土産物を売ったり記念撮影を進めてくる女性が何人もいた。
途中、大きな鍾乳石が林立している広い場所で他のツアー客と一緒に記念撮影をするようだ。
自分はその後、自称チワン族という若い女性を見つけたので声をかけ、コウちゃんにデジカメで写真を撮ってもらった。

この写真を撮った後、彼女に10元を要求された。この商魂逞しさが中国を大きくするのだろう(笑)。いつまでもその心意気を忘れないでっ!
鍾乳洞を出てしばらくしてから昼食の時間になった。
このときは珍しくビールを飲まずにすませた自分。その横でなぜかオプションですっぽんのスープを注文するコウちゃん。
・・・え、夜どっか行くの?

食事中に飲み物やら陶芸品やらをやたらと売り込んでくる物売りが何人も来た。船内って乗務員と乗客だけではなかったのね・・・。
早めに食事を済ませ、再び屋上のデッキに上がる自分。
しばらく三階にある屋上のデッキにいると、水の上ということもあって少々風が冷たいので殆どの乗客は船内に戻っていくのだが、昼の食事の時と、船と同じように下っている自分の腹を癒す為にトイレへ行く時以外はずっと屋上のデッキに佇んでいる自分。
その後も飽きることなく風景を楽しんでいた。
ふと後ろを振り返ると、コウちゃんが不敵な笑みを浮かべながら劉さんとなにやら密談していた。・・・すでに”すっぽん”の効果が現れたのかいな。

たそがれ丸兵衛。

船に乗っていて、「この山に気づかない人はいないっ!」というほど大きな一枚キャンバスのような”九馬画山”。岩肌の白っぽく剥き出した部分を9頭の馬に見立てた山であり、9頭を探し当てると試験にトップで合格できる、と言われているそうである。

写真を見て気づく人もいると思うが、数年前、サントリーのウーロン茶のCMで使われた場所である。

劉さん曰く、中国人民元の20元札の裏にかかれた風景と同じ場所。写真では分かりにくいが、全くその通りの風景だった。
朝の9時過ぎに始まった河下りも午後3時半、陽朔という街で終点を迎える。
実に楽しい6時間だった。
船を下りた自分たちは西街という商店街を散策した。
ここは地元の人よりも欧米人のバックパッカーの方が目立つくらいだ。

河下りの終着点、陽朔埠頭。

埠頭から歩いてすぐの西街商店街。日本語の看板も結構目立つ

桂林と違って、陽朔は街中でも奇岩が目立っていた。
メインストリートの両側には無数の屋台や露天が並んでおり、ここで半日くらい過ごしたい気分になる自分。
だが、一時間も経ってないうちから早くもバスに集合のようである。
ここから再び桂林へ戻るのに2時間以上かかるのでしょうがないのだが・・・。
桂林へ戻る途中、車内から景色を眺めながらバスに揺られているうちに再び熟睡する自分。

山の中腹にぽっかりと大きな穴の開いた月亮山。このような景勝地を数箇所まわったそうだが、寝ていた自分はあまり記憶に無い。
空に星が輝きだす頃に桂林に到着。この後は夕食である。
到着したレストランは昨夜と同じ桂山大酒店である。
また例のぐるぐる回る円卓だ。

この日は桂林の郷土料理である”ビーフン料理”がメイン。なかなかイケルぞっ!
夕飯の後は、オプショナルツアーにての雑技団観賞である。
日本で事前に申し込むと3,500円で参加できるのだが、このような現地でのオプショナルツアーは日本で予約していなくても当地で直接ガイドに頼めば、日本の旅行会社に支払われるバックマージンが必要ないので安く参加できるのである。
当然自分たちは日本では予約していない。
当地で参加するつもりだったのだが、雑技団といってもサーカスのようなそれではなく、クラシックバレエのようなダンスショーだったのであまり興味は無い。
それよりホテルに戻って夜の街を散策しようということになり、自分とコウちゃんはホテルで降ろしてもらった。
ホテルのロビーに入ろうとすると、後ろから劉さんの「 ちょっと待ったぁー!」コールがかかった。
劉さん曰く、
「9時40分ごろに迎えに来ますからね。それまでおとなしくしててください」
どうやらコウちゃんと劉さんの密約はすでに交わされているようだった。
5つ星ホテル内で営業されているマッサージ屋へ行くとの事。
値段を聞けば、1,000元とのこと。
・・・・・。
「え、一万五千円んっ!?」
と、やおら素っ頓狂な声を上げる自分。
「5つ星ホテルでのマッサージならさもありなん」
などと思うわけも無いのだが、右も左も分からない街を徘徊しても、目的は達せそうにないし、ツアー中、丁寧な解説をしてくれる劉さんへのご祝儀、ということで無理やり納得する自分達。大半は劉さんの懐に入るであろうことは想像に難くないのだが・・・。
外での相場は恐らく十分の一程度である。
その後、シャワーを浴び、リビングでビールを飲みつつ現地のテレビ放送などを見ていたら、ツアーの疲れが出たのか両方の瞼がくっつき始める自分。
そんな時にロビーから電話がかかってきた。
数十分後、あるホテルの入り口に着く。
タクシーを降り、劉さんの後に続く自分達。
エレベーターで三階にあがると、「按摩」と書かれた大きな看板がすぐ目に入った。
どこからどう見ても、普通にホテル内で営業されている健全なマッサージ屋にしか見えない。
劉さんはおもむろにマッサージ屋のカウンターにいる店員とかなり時間をかけて交渉をしているようである。
なにやら計算高いような匂いのする会話のようだが、それよりも疲れきった身体を早く癒して欲しいので勝手に店内に入る自分。
交渉を終えた劉さんに前金を支払い、再会を約束して店の奥に消える自分&コウちゃん。
最初は普通のサウナにもあるような休憩室に案内された。
部屋の中には大きなテレビ、そして向かい合うようにリクライニングシートが並んでおり、この時は先客の日本人が2人、普通のマッサージを受けていた。
煙草を吸い終わる頃に、男性の店員が自分たちを店の奥にある小さなスペースに案内してくれる。
目の前にある扉を開けると、そこには若い中国小姐が10人ほどソファーに座っていた。
自分は扉を開けた瞬間から一方向しか見ていなかったのだが、どうやらコウちゃんとブッキングしているようである。
その後、小姐たちに背を向けて
「なんで桂林でこんな事しとるの?」
と思いつつ、真剣な顔でジャンケンをしている自分達だった・・・。
数時間後。
疲れきった身体へのマッサージは最高でした。
しかも数千年の歴史を誇る中国では房中術もかなり豊富で、日本では味わったことの無い、「ピンファ」とかいう技まで堪能しました。これ最高っ!
すっかり身も心も軽くなったコウちゃんと、身だけ軽くなった自分達はスッキリした面持ちでホテルに戻るのだった。
・・・自分は心は軽いどころか、いつまでも悔いが残り、ジャンケンに勝ったコウちゃんを恨めしそうに見ているだけだった。
あぁ、ヤンヤン、ジャンケンに負けてゴメンよー。
ホテルに戻る前に近くのコンビニに寄った。
ここでビールを10本とツマミのスナックを買う。ちなみにコンビニでは缶ビールが1本2元40角。約36円である。
部屋に戻り、リビングで乾杯しつつ、今日のツアーを回想しながら、「河下りなら、もっかい来てもいいなぁ」などと話していた。
しかし、酒が進んでくるとコウちゃんは、まるで戦に勝った大将が兵を語るように、
ヤンヤン
との回想録を始める。しかも表情は至ってご満悦である。
酔いの回ってきた自分は、「敗将は兵を語らず」との格言どおり、無言でコウちゃんの勝ち鬨を聞きつつベッドに潜り込み、枕を濡らすのだった。
しかも何故か又同じ部屋で寝ようとしてるし。
こうしてツアー2日目の夜は更けていくのであった・・・。
山水旅游 ~第二章~
2006年12月19日、自分的には今までの海外旅行の中でも一番期待している旅行へ旅立つ。
以前、何度かバリ島を訪れていた時には、「あ、またあの場所へ帰るのか」というような気持ちになっていたものだが、
やはり旅立つのなら行ったことの無いところへ新鮮な気持ちで行くものだ、と中部国際空港のチェックインカウンターで一人ほくそえむ自分。
離陸するまでにはまだ時間に余裕があるので、腹ごしらえをすることに。
ちょうど昼飯時ということもあって、レストラン店内は混んでいた。
といっても客の大半は空港職員である。
生ビールの大と味噌カツ定職を注文しレジへ行くと、なんと¥2,280円。
値段の高さに少々驚いたが、それよりもこのレストランで毎日昼食を摂っているだろう空港職員は自腹で食べているのか、ある程度補助をもらっているのか、
などと、余計なことを考える自分。
ちなみに自分の会社の昼食弁当はご飯大盛り味噌汁つきで330円である。笑

カツ定職食べるなら、やはり味噌カツ定職である。毎晩食べてもいいくらいの大好物だ。
食事を済ませ喫煙室でくつろごうと思っていたら、登場時刻よりも早い時間に空港職員が自分達を探しているようだった。
今回は中国南方航空に搭乗するのだが、乗客が少ないのか早めに搭乗してくれ、との事。
乗客は何人くらいか尋ねたら、37人だそうである。
まるで会社の慰安旅行の貸切のような人数に喜ぶ自分。
自分達と南方航空、そして何故かJALの空港職員と搭乗口へ急ぎ歩きつつ、コウちゃんは、
「まだ時間あるから煙草吸いたいのに」
「37人の乗客で元が取れるのか?」
「なんでJALにはいらんかったの?」
などと、爆笑問題の田中(ちっちゃい方)似の南方航空の職員と押し問答していた。
田中君曰く、
「いやぁ、僕もJALに入りたかったんだけど、試験に落ちちゃったんですよぉ~」
・・・搭乗口へ自分たちと併走!?しているJALの空港職員のお姉さんが微笑んでいた。
さらに田中君のスピーチが続き、
「こないだなんか乗客は9人でしたよぉ」
「着陸時に車輪が出なかったなんて事もありましたっけ」
JALのお姉さん、口に手を当てて笑いを堪えきれないようである。
ちなみに実話です。
それはさておき、168人乗りの小さめの飛行機に乗り定刻通りに離陸しました。
離陸してからそれほど時間も経っていないのだが、機内食が配られた。
まだ味噌カツ定職を消化しきれていないのであまり腹は減っていないのだが、目の前のローストビーフやそば、そして米も白米ではなく五穀米なので、
急に小腹がすいてくる自分。

この米がとにかくンマイッ!もっかい食べたいっす。
食事の後、青島ビールで喉を潤しつつ外の景色などを眺めていたら、すでに広州上空との事である。
東南アジアの旅行と比べると中国は近いので、機内禁煙といっても我慢の出来る時間なので愛煙家の自分としては非常に助かる。
ほどなくして飛行機は広州へ着陸した。


【上】最近出来た新しい広州空港。
【下】相変わらずアジアの空港の規模は無駄に広い。出口にたどり着くまでに20分弱かかった。
この後、広州空港を経由して国内線で桂林へ行くのである。
ターミナルの出口を抜け今回、自分達を色んな意味を含めてサポート!?してくれるだろう現地係員を探すと、今回の旅行会社の旗を手にした中年男性が目に付いた。
「あぁ、ガイドが男でよかった!」
と喜ぶ自分とコウちゃん。普通なら女性の方が嬉しいだろうにね。笑
彼の名は劉耕さん。頭がちょっぴり光っていて人ごみの中から彼を探し出すのも簡単そうである。
劉耕さんと自己紹介などをしつつ、今回のツアーに参加する他の客を待っていたら集まったのは自分達を含めて計7名。
しかも自分達以外はすでに還暦を迎えた人達ばかりだった。
桂林ツアーへ行く人達ならさもありなん、と思う自分。
桂林ツアーに参加するような自然を愛する素敵な女性との出会いがありますようにっ!というわずか100パケットくらいの淡い期待を抱いていた自分・・・。撃沈しました。
この後、桂林行きの飛行機に搭乗するまで数時間あるのだが劉耕さんこと、劉さんの話などを聞いていたら時間はあっという間に過ぎていった。
この日の夕飯は桂林への飛行機の機内食なのだが劉さん曰く、食事というよりおやつ程度のものしか出ない、と言っていたので、
劉さんがあらかじめ用意しておいた両替用の中国元を1万円分両替してもらい、空港内で夕食を済まそうと思っていたのだが、どうやら桂林へ着いてからレストランへ連れて行ってくれるようである。
しかも食べ放題で2,000円との事。
中国で食べ放題2,000円って高いような気が・・・、と思ったが(飲み放題付なら言うことないけど)、現地へ着くと夜の10時は過ぎる上に、それから食を求めて街を徘徊する元気も無いので自分たちもレストランへ行くことに。
しかも他のツアー客も全員レストラン希望なので、和を乱しちゃいかんしね。
ほどなくして飛行機に乗り込み桂林へ向かう自分達。
機内から桂林の景色を眺めようと思ったのだが、すでに外は暗く漆黒の闇しか見えなかった。
奇山が映える風光明媚な景色は明日の楽しみにとっておこうと思い、
「え、本来これが夕食だったのか?」
と思える一切れのパンとフルーツジュースを腹に流し込み、座席に深くもたれこむ自分。
桂林に着いたのは夜の10時少し前だった。
空港から出て外を見ると、自分がイメージしていた田舎の小さな空港、と言う雰囲気ではなく、
電飾が施されたヤシの木などが林立していた。まるで東南アジアのイメージを彷彿とさせる雰囲気である。
すでに迎えに来ているミニバスに乗り込み桂林市内へ。
小一時間ほど車窓から外の景色を眺めていたら、桂山大酒店 と言うホテルに着いた。
このホテルのレストランで夕飯をとるようである。
ツアー代金の安い今はシーズンオフなのだろうが、ロビーもレストランも客足は無く、無駄に広い空間がより一層静寂さを醸し出していた。
案内された席に着くと、目の前にはぐるぐる回る丸い円卓があった。
以前、北京へ行った時の記事にも書いたが自分はこれが苦手である。
が、この時は機内食では腹が満たされていない自分は、その後次々と運ばれてくる食材をツマミながら、ビールを飲んでいた。
ここのビールは桂林の地ビールである。値段は20元と、北京や台湾など、中華圏のどこのレストランで聞いても判で押したように同じ答えしか返ってこなかったが。
ちなみに外で飲めば、ほぼ10分の1の値段である。

毎度お馴染みの”グルグル円卓”。いっそのこと寿司を乗せればいいのに。
腹を満たしつつレストラン店内を改めて見回してみると、
「おぉっ、中国小姐サイコー!」
と叫びたくなるほど、エロカワ、いやマジカワの可愛い小姐がいた。
あ、写真撮るの忘れてたヨ
食事を済ませ、その小姐と自分のつたない北京語&広東語で会話を試みたのだが、広東語は全く通じないようである。
「え、桂林って広西地方なのに広東語通じないっすか?」
などと軽いカルチャーショックを覚えつつ、時計をみるとすでに11時を回っていた。
「明日の河下り、ちゃんと起きれるんかいな?」
などと思いつつ劉さんに自分たちが泊まるホテルの場所を聞くと、ここから歩いていける距離らしい。
可愛い小姐とハグして別れを惜しみつつ(嘘)、レストランを後にして自分たちが泊まるホテルへ。
車から降りホテルの外観を眺めると、ホテル、というより高級住宅街の一角にある高級マンション、と言う感じだった。
コンドミニアム、と謳っているから当然自分が想像しているホテルとは違うのだが。
ロビーに入り劉さんとホテルの人から注意事項や明日の予定などを聞きつつ部屋のカードキーを受け取る。
この時は奈良出身の野村さん(26歳)という日本人のホテルスタッフがいた。
海外のホテルでは日本語の出来る現地スタッフより、正真正銘の日本人スタッフの方が痒い所まで手が届く!?的なリクエストや相談が出来るので大変助かる。
フリープランの旅行の場合は特に。
その後各自部屋に戻り明日の観光に備え英気を養うのだが、部屋に入ったとたん何故かテンションが上がってる自分。
普通、ホテルの部屋の扉を開けると目に飛び込んでくるのは、右手や左手にあるバスルームやクロゼットの扉なのだが、この時は最初に目に入ったのは、
「 え、これ30畳くらいあるんちゃう?」
とのたまいたくなるようなリビングだった。

ホテルのリビングにて。この部屋だけで普段、自分が住んでいるワンルームの部屋が4個くらい入るっす。
ここはホテルというよりマンションの1室、と言う造りであり、広さは133ヘーベーとの事。
普段ワンルームマンションに住んでいる自分はホテルに泊まっている、というより広いマンションに引っ越したというような感覚に陥り、
カウンターのあるキッチンでは「ご飯できたよ、早く来なさいっ!」 、
リビングの片隅にあるデスクに座っては「君、これを速達で出してくれたまえ」、
ツインルームが2つもある寝室でバスローブを羽織り、グラスを傾けながら「君の瞳に乾杯」、
などと一人で奇行を繰り返す自分。
その後も、リビングのソファーで一人静かにビールを飲むコウちゃんを尻目にしつつ、寝室やリビングに広いバルコニーが設けられているのに感心してはしゃぎまわっている自分。
一通り広い室内の探索を終え、冷蔵庫にあるビールに手を伸ばして改めてコウちゃんと乾杯をしたのは午前1時近く。
「こんだけ広いのに野郎2人ってどういう事?誰か呼べ、っちゅう事やね」
などと、この時はまだ見ぬ桂林の景色よりもホテルの快適さにすでに満足していた自分だった。
その後シャワーを終えバスローブに身を包み、再びビールを飲みつつソファーに腰をうずめる。
明日のツアー2日目は、いよいよ待ちに待った【漓江下り】である。
ロビーでの集合時間はAM8時半なので、少し余裕を持ってAM7時に携帯のアラームをセットした。
その後、ビールを片手に再び部屋の中をうろつく自分。
コウちゃんはすでにベッドの中である。鼻をつついても起きやしない。
ちぇっ、一人で酔っても面白くないのに。
そろそろ自分も寝ようかと思い、2つある寝室で空いているほうを使えばよいのだが、なぜかコウちゃんと同じ部屋で寝る自分。
貧乏性なんだか、寂しがりやなんだか、広い部屋に慣れていないのか・・・。
こうしてツアー1日目の夜は更けていった。
山水旅游(桂林&広州) ~序章~
2006年12月、かねてより中国の中でも、
「いつかは行きたい!」
と思っていたところへ行くことが出来た。
山水画の景色でも有名な桂林&おまけで広州である。
11月の中ごろにコウちゃんが、「北京か上海に行かへん?」と聞いてきたので、
今の時期ならツアー2006年12月、かねてより中国の中でも、
「いつかは行きたい!」
と思っていたところへ行くことが出来た。
山水画の景色でも有名な桂林&おまけで広州である。
代金も安いな、と思い快諾する自分。
その後、自宅のパソコンでツアー代金などを調べていたのだが、ふと「桂林」の2文字が頭をよぎったので、桂林ツアーを検索してみた。
「普段なら桂林は15万円前後のツアー代金だしなぁ」などと思っていたらパソコンには、
>【全室スイートルーム「ザ・フォーチューン・コンドミニアム」に泊まる桂林と広州5日間 ¥56,800より】
というタイトルの画面が映し出されていた。
え、マジで?
ツアー代金が、4泊5日でなんと56,800円である。
しかも、桂林ではコンドミニアムのスイートルームに3連泊、広州でも5つ星ランクのホテルに滞在である。
ちなみにこの時のホテルのランクを調べたら、バリ島で同じランクのホテルだと、
リッツカールトン
グランドハイアット
インターコンチネンタル
である。
こんなん、新婚旅行くらいでしか泊まれんっ、と思うようなホテルである。
いいホテルに泊まって、食事もついて観光もついて飛行機代もついて・・・
「これ、赤字ちゃうの?」
と思わず、いらん世話を焼きたくなるような値段である。
翌日会社にてコウちゃんに、桂林について猛アピールする自分の姿があった。
その後ガイドブックで桂林や広州の名勝地などを調べつつ、すでに忘れかけている中国語、しかも何故か広東語を勉強している自分だった。