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April 17, 2005

海外旅行デビュー【22】

”初海外旅行”のネタ。
初日だけで、【21】回も記事を更新(笑)。

それほど、自分にとっては新鮮かつ、驚きだったのである。

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初日以降は、基本的に昼はプールサイドやビーチでビールを飲みながら日焼け。
夕方にシャワーを浴び、喉を潤しつつ繁華街などをブラブラしていた。

カトちゃん&ナベちゃんは”日焼け”メインのようだったが、自分は4日目くらいに「寝るばかりでは勿体無いっ!」と思い、
アブディの運転するレンタカーでバリ島の主な観光地に連れて行ってもらったりしていた。

何度かアブディと会話しているうちに、”現地語”で会話をする楽しさに気付くオレ。
その後ホテルの部屋でガイドブックを片手に、呪文のようにブツブツとインドネシア語でひとり言を唱えながら(笑)、トイレで用を足したものを流すのを忘れたり、
早寝のナベちゃんの安眠妨害などをしながら、少しずつインドネシア語の単語を覚えていった。

以前にも書いたが、インドネシア語は日本人にも馴染みのあるローマ字表記なので、言葉の意味は分からなくとも、”読む”ことは出来るのでとっつきやすい言語である。

何度かアブディと顔を合わすうちに、ガイドブックに乗っている”一言インドネシア会話”では物足りないので、
帰国したらマジモードでインドネシア語の勉強をして、そう遠くないうちに再びバリへ来る気満々のオレ。

帰国するまで、アブディの実家にお邪魔して現地の人の生活などを垣間見たり、トイレでは”手動ウォシュレット”を初体験したり、
バリ島の田舎での川でマンディ(沐浴)を体験したりと、初の海外旅行ながら、ディープな体験が出来て楽しかった。

この旅で感動したのは、ヌサ・ドゥア地区にあるヒルトンホテルでの食事だ。
日本食のレストランがあるのだが、前菜に始まり、天ぷらや刺身、伊勢海老の鉄板焼、ステーキ、アイスクリームのから揚げ等、全部ひっくるめて3,000円だったのでビックリした。
リゾートホテルでの食事が現地の庶民の生活に触れ合うより感動するって、なんて貧乏性な自分・・・。

その後、出発前とはうって変わって肌の色が”現地人”化しているほど肌が黒光りしている自分達。

カトちゃんは「また近いうちにバリに行こうぜっ!」と言っていたのだが、帰国して3ヶ月たった12月に我慢しきれずに、ひとりで再びバリ島へ向かったオレ。
その3ヶ月間は、マジでインドネシア語を”モノにする”つもりだったので、地元で留学や仕事に来ているインドネシア人を探し、無理やり友達になり、
毎週会う機会を作っていた。

・・・ちなみに、知り合った友人に「会話で日本語は使わないでっ!」と言ったのは言うまでも無い。
自分が分からない単語などは、別のインドネシア語の単語で教えてもらったり、どうしても分からないときは”絵”で描いてもらったりして、徹底的に”日本語”は排除していた。
外語を勉強するときに慣れ親しんだ”日本語”を使うと、現地の人との会話の中で、単語を日本語に置き換えて理解する、という”2度手間”が生じる弊害を無くすためである。
この方法が良いか悪いかは分からないが、自分が始めて”外語”を勉強するに当たって、直感的に思ったことである。・・・偉そうなこと言いながら英語は今でもさっぱり出来ないが・・・。

年末でもある12月に、まだ消化していない有休が10日以上あったので”渡バリ”の決意をするオレ。
この3ヶ月、寝る前もベッドでインドネシア語の本を”友”にしていた。ある程度の会話はできるつもり!?である。

初めての”海外ひとり旅”の不安を覚えながらも、「ひとり旅で、どこまで自分の”言葉”が通じるだろうか?」という好奇心をも併せ持ちながら、”初ひとり旅”の日へ指折り数えるオレだった・・・。

☆あとがき

・・・なにはともあれ、【1日分】 だけで、かなりの期間を要しました。
出来るだけ忠実に当時の感動や感想などを書きたかったので、”引っ張りまくり”、でした(笑)。

ここまで読んでくださっている方がいれば(笑)、ありがとうございました&稚拙な文章と表現、失礼いたしました。

今後も機会があれば、旅ネタを書きます。てか書き続けます。(といっても、もうすぐ渡バリだが・・・)

「旅」っていいですね・・・。

投稿者 maru : 09:33 PM | コメント (1)

March 24, 2005

海外旅行デビュー【21】

ビールを飲みつつ、部屋のテレビをボーっと見ていた。
テレビから発せられる言葉は魔法の呪文のようにチンプンカンプンで意味不明なので、チャンネルを変えまくるオレ。

「カトちゃん、うちらの地元って番組7コしかないよね・・・」
などと言いながら、テレビのリモコンでチャンネルを変えまくるのだが、放送局の多さに驚いていた。

ここ、インドネシアは東西4、000キロ近くあるのでテレビ放送も衛星が主流のようだ。
また、インドネシアは衛星を飛ばすには都合のよい赤道近くに位置しているので、各国の衛星放送を”盗み見”することも可能だ。

ドラマやクイズ、歌番組、通販番組等、日本とは味の違うテレビ番組に興味を持ちつつ、なぜか日本語の番組を探していた。
だが、このまま部屋で過ごすのは時間を捨てているようで勿体無かったので深夜徘徊に出かけるカトちゃんとオレ。

・・・ナベちゃんはすでに夢の中である。

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レンタサイクルにまたがり、カフェやディスコ、クラブなどが集まるレギャン通りへ。
時間はすでに深夜の0:00近くなのだが、カフェなどの近くでは主に欧米人などの団体が騒いでいた。

まだ閉店していない店は多数あり、レギャン通り沿いに延々と続いているので適当なところに自転車を停め、歩き出す自分達。

歩き出してすぐに目に付いたのだが、店内に入れずに外の歩道にまで客で溢れているバーがあった。
客層はほとんどがオーストラリア人である。店内はおろか、歩道で飲んでいるオーストラリア人もやたらと陽気で騒ぎまくっていた。
・・・ここには近所の住人に対する安眠妨害、なんて言葉はないんかいっ!

歩道から店内を見ようとしても、たむろしているオーストラリア人は男性はおろか女性でも”でっかい”のである。
身長170センチの自分が女性の前にたっても顔を見上げなければいけないほどの高さである。
身長2メートル級の群集が目の前に立ちはだかっているので、店内の様子を見るなんてことは無理な話である。

だが、皆楽しそうに飲んでいるので、お祭り騒ぎが好きな自分たちは店内へ入ろうと試みたのだが、
英語がろくに出来ない上に、”でっかい壁”に阻まれて断念せざるをえなかった(笑)。

「いつかはこの店に来るぞっ!」と店を後にしつつ、(この女の子達とメイクラブしたら、シックスナインの時”位置調整”で難しそうだな)などど考えていたオレ・・・。

その後、ディスコやカフェなどを覗きがてらマタハリ・レギャンというショッピングモールへ。
ショッピングセンターはすでに閉まっているが、1階にあるマクドナルド、通称”マクディ”(現地の人はこう呼ぶ)はまだ空いていたので小腹を満たしに店内へ。

レジカウンターの上にあるメニューが記載されたパネルを見ると、日本とは違ってハンバーガーより”フライドチキン”がメインのようである。
また、セットになった商品も現地の人がフライドチキンを好むので、フライドチキンとご飯、ジュースがセットになっているのが一番売れているようだ。
・・・マックで白米に出会うとは思ってもみなかった。

自分も試しにそのセットを頼んでみた。
出てきたものはフライドチキンが2ピースと、カップに盛られたご飯を皿の上にあけて、カップの形に固まっている白米、そしてコーラだ。
が、よく見るとスプーンもフォークもない。

自分たちの座ったテーブルの周りを見渡すと、同じものを注文していた現地のカップルがいたので、そのカップルの”獲物”を凝視するオレ。
が、どうやらそのカップルもスプーンやフォークは持っていなかった。

「どうやって食べるのか?」と観察していたら、なにやら二人で愛をささやきながら”手”でフライドチキンの肉をつまみ、”手”で白米をすくって食べていた。
・・・そういえば、アジア諸国で食器を使わず”手”で食事するところがあるとは知ってはいたが、まさかこの時、自分の目の前で繰り広げられるとは思っていなかったうえに、
自分がそれを体験しようとはケツの毛、いや耳の穴の産毛ほども思っていなかったので、自分の獲物を食べるのも忘れ、カップルの”食事作法”をウットリと見ていたオレ。

このときの衝撃体験を元に、いまでは主に東南アジアを訪れたときに、よく”手”で食事をするオレ。
食器を使わずに”手”で食べる食事は、(味)の他に”手”から伝わる素材の手ごたえが感じ取れて、余計に美味しく感じるのである。
”ハンドシャワー”並みに”手で食べる食事”がマイブームになっているのだ。・・・もちろん日本では実行しないが(笑)。

”フライドチキン”セットを食べ終え、イマイチ腹が満たされていないのでもう一度レジカウンターへ突進するオレ。
・・・その後なぜかソフトクリームを2コ手にしていた。もちろん自分用だ。
酒飲みの自分は辛いものは当然、”大”が100コ付くくらい好きだが、”甘党”でもある。
クリスマスのケーキもシャンパンよりはビールと共に食べるほどだ。しかもあの丸いケーキ、一人で食べちゃうし(笑)。
このときのソフトクリームも日本円にして当時わずか7円ほどだったのである。

ソフトクリームを愛撫しつつ再び歩き出す自分達。時間はすでに2:00をまわっていた。
明日の予定は、「ひたすら日焼けする」である。

「そろそろ帰ろっか」

どちらからともなくそう言い、再び自転車にまたがり蛇行運転するカトちゃん&オレ。

ホテルに着き、部屋でベッドに倒れてからは、コンマ何秒の世界で夢の中に落ちていった・・・。
”早寝世界選手権”なるものがあったら、この時の自分は確実に金メダルだっ!(笑)

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☆「外まではみ出しちゃう、来店客120%の”オーストラリア人御用達”のバー」
 
 この店、【SCバー】という店なのだが、この旅行以後バリ島を訪れる度に行こうとして、あまりの客の多さに未だ入ったこと無し。
 「今度こそは!」と思ってたら、永久に入ることが出来なくなってしまった・・・。
 まだ記憶に新しい、「バリ島爆弾テロ」の事件現場になった店なのである。
 一昨年、”現場”を訪れたらまだ事件の後が生々しく、歩道沿いに立てられたフェンスには犠牲になった人の写真や、未だ身元が判明していない人を探しているメッセージカードなどがたくさんあった。

・・・いつだったか、ジャカルタへ旅行したときに立ち寄ったショッピングモールの駐車場。
自分が車を停めた下の階下で「ドーン!!」という轟音が。
爆弾テロである。この時は2人死亡したようだが、”階違い”とはいえテロ現場に出くわして幸運にも無事だった自分。

どこの国でも絶対安全、は保障されていないのものであると思った瞬間だった・・・。

投稿者 maru : 06:53 PM | コメント (1)

March 21, 2005

海外旅行デビュー【20】

アブディと別れ、一旦ホテルの部屋に戻る自分達。
部屋に着くなり、好奇心旺盛でホテル内の探索を始めるオレ。・・・海外のホテル、初めてだし。

ホテルのロビーや階段、通路などで、「ガイジン」さんやホテルの従業員とすれ違う度に、「ヘロー!」と愛想笑いを浮かべつつ、

「オーッ!ここが朝メシ食うレストランかっ!」
「エッ、美容院やマッサージルームもあるんかいっ!」
「お、ここがプールか・・・って、えっ!?ビーチとつながっとるやんっ!!」

・・・などと、言葉にこそ出さないが、胸の内で叫びまくりつつホテル内を落武者のようにウロウロするオレ。
しばらくしてから興奮しつつ部屋に戻り、先ほど買い溜めしたビールを手に再びバリの「あつい」夜に乾杯を始める自分達だった。

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ここで簡単にホテルの概要を書くと、ツインの部屋に泊まったのだが、エキストラベッドを追加して3人一部屋に。
このホテルは4階建てのようだが、自分たちの部屋は1階である。
いちいち階段を上り下りするのは面倒なので、1階の部屋に喜んでいたら”特典”はそれだけじゃなかった。

・・・なんと、部屋の奥の”庭”に面した部分に大きくとられた窓から外へ出れるのだが、外へ出て30歩も歩かないうちにプールに到達するのだ。
これなら、水着のままプールへ移動できたり、プールサイドから部屋にビールを取りに行ったり出来るのだ。しかも、”超速”で(笑)。
しかも、ここのプールから外へ出ると、そこは”サンセット”で有名な、バリ島でもっとも人気のあるスポット、【クタ・ビーチ】である。

プールや海へのアクセス、バリでもっとも賑わっている繁華街へ徒歩3分、リコンファームしなければいけないガルーダ航空のオフィスがホテル内にある、
という(好条件)が全て揃っているのが、ここ、”ナトゥール・クタ・ビーチホテル”だ。

すでに10回以上バリへ渡航した今でも、このホテルが一番好きである。
”ハードロック・ホテル(1998年オープン)”と共に。

あまりのロケーションの良さに興奮と感動を覚えつつ、ビールをガンガン飲みまくるオレ。
気づいたら、自分の分のビールはもう無かった・・・。

ビールの追加分を買いに行きつつ、バリで一番賑わっている、「クタ・スクエアへ行こう!」という事になって千鳥足でホテルを後に。
・・・朝の早いナベちゃんはこの時すでにまぶたが重そうだった。

酔って足取りがおぼつかない状況でも5分とかからずクタ・スクエアへ。
が、時間はすでに夜の11時である。昼は賑わっているであろうショッピング・モールもすでに閉店していて、人影もまばらだった。
しばらくあたりをウロウロしていたら疲れてきたので、近くのコンビニでビールの補充をして部屋に戻る自分達。

「オレぁ・・・、明日はプール・・・・モガモガフ~ンムニャ・・・・」

部屋に着くなりベッドに倒れこむナベちゃん。
「そんなに早く寝なくても、ここだったら朝の洗車しなくてもいいんだよっ!」、と”洗車魔”のナベちゃんに声をかけるカトちゃん。
・・・自分はそんな二人のやりとりを見つつ、「夜はこれからですぜっ、大将!」と缶ビールを手に、レンタサイクルのある外へ再び出て行こうとしていたのであった。

投稿者 maru : 07:33 PM | コメント (1)

March 14, 2005

海外旅行デビュー【19】

”ペンジョール”でビールと辛い料理、心地よい音楽と優雅な踊りに至福感を覚え、初海外の夜を満喫するオレ。
2時間ほどレストランで過ごし、再びアブディの運転する車でホテルへ戻る自分達。

アブティって、さっきビールをガンガン飲み干していたような気がするんだけど・・・。

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来たときと同じバイパスを通り、やがてホテルも近い繁華街らしきところへ。
ここでカトちゃんが、「アブディ、ストップ!」といきなり叫んだ。コンビニの前である。
ホテルに備え付けてある冷蔵庫のビールは高いとのことで、ここで買い溜めしていくようだ。

とりあえず今夜と明日の朝の分のビールを3人分、18本と、肴代わりのスナック菓子、洗面用具などを買いこむ自分達。
また日本と違って”蚊”も強烈に存在を誇示しているようなので蚊取り線香を探すオレ。
が、全然見当たらないので店員に聞くことに。

オレ「カトちゃん、蚊取り線香って英語でなんて言うの?」

カトちゃん「キンチョウ(金鳥)で通じるやろ。」

オレ「エクスキューズミー。キンチョー、ウェア?・・・ウェア イズ キンチョー??」

店員「?????」

・・・初めての海外のうえに、初めて外国人と目の前で異国の言葉を交わすオレ。頭の中が真っ白だった。

なかなか出てこない、使い切ってしまった歯磨きのチューブをねじり出すように、脳味噌をフル回転させて英単語を並べるオレ。
たいした英会話も出来ないうえに、かなり酔っていたので流暢な会話などは無理である。この時は日本語でも怪しいもんだが。(笑)

「ひらめいたっ!!」

一休さんばりに手を叩くと、いきなり満面の笑みでジェスチャーを繰り広げるナベちゃん。
右手の指を空中でフラフラさせ自分の左腕へ。そして腕を掻くしぐさの後に、再び指先で円を書き始めた。

「なるほど、これなら酔ってるオレでも分かるわいっ!」と思いつつ店員を見たら、すぐに理解したようで商品を持ってきてくれた。

・・・旅先にて会話で苦労してもどかしい時もあるが、このようにジェスチャーで会話を試みるのも楽しいものである。
で、今はインドネシア語が出来るのだが、たまに分からないフリをしてジェスチャーでの会話を楽しんだりしているオレ。(笑)

買い物を終えホテルへ戻る途中、アブディが、「オッ、ホッホッホッ・・・、ちょと寄り道シマス。」と言いつつレンタカー会社の前で車を停めた。
このとき知ったのだが、どうやらアブディはこのレンタカー会社で働いているようで、今乗っている車も”借り物”らしい。

アブディがレンタカー会社のオフィスで仲間と談笑している間、自分たちは外に出て隣にある屋台へ。
屋台の前では、この屋台を経営している人の子供であろう数人がコインで遊んでいた。

当然、「こんな小さい子が英語が出来るわけ無いっ!」と思いつつも、自分もたいしてインドネシア語が出来ないのでニコニコしながら子供の輪に加わろうとする自分達。
・・・やはり、どこの国でも子供は可愛いものである。
何も話さず、無言で笑みを浮かべる怪しいオヤジ3人組に対しても無邪気な笑みを浮かべ、一緒に戯れようとしてきたのである。
道端でコインで遊びつつ、「シアパ ナマニャ?(名前は何ですか?)」などと何回も自分たちに聞いてきたのだが、当時は意味が分からなかったので、「OK!OK!!」と会話のキャッチボールで暴投しまくるオレ。
これでは自分の名前は、「OKおじさん」 である・・・。

ここで、喉が渇いたのでコーラを注文するオレ。
「ハウマッチ?ハウマッチ?」
と自分でも分かる英単語をオウムのように並べていても、屋台のおばさんから帰ってくる返事は、「スリブー!スリブー!」である。
その後も「ハウマッチ?ハウマッチ??」と連発していたら、おばさんも負けじと「スリブー!!」 と連呼しながら、こめかみに青筋をたてていた。悪気は無いのにっ!

このまま、”へたれ英語”と流暢なインドネシア語では会話にならないと思い、アブディを呼びに行きコーラの値段を確認するオレ。
どうやら「スリブー」 は1,000の意味であるらしい。すなわち1,000ルピア、当時のレートで約50円である。

・・・冷えたコーラを飲みつつ、先ほどの子供との会話、コーラの値段でのやりとりを思い出しつつ瞑想するオレ。(笑)
「今後買い物でボられるのも嫌だし、もう少し会話が出来ればよりもっと深いところまで旅が出来るのでは?」と考えていた。
この時点ですでに”海外”にハマっていたのである。

その後しばらくしてからホテルへ。
ホテルへ戻る道中、カトちゃんやナベちゃんとアブディの出会いについて聞いてみた。

どうやらアブディは以前、クタのリゾートホテル、”ビンタン・バリ”でマリンスポーツのインストラクターをやっていたようである。
その頃にカトちゃんとナベちゃんがバリに来た際、泊まったホテルが”ビンタン・バリ”でホテルのプールで知り合ったようだ。
が、そこでは28歳になると強制的に退職になるようで(インストラクターの場合のみ)、今は自分と同じ28歳(当時)である。
その後、退職後に今のレンタカー会社に就職したようだ。

そのようなことを話しながらホテルへ。
ホテルへつくと、自分たちの現地の”足用”にと、レンタサイクルが3台用意されてあった・・・。

「オッ、ホッホッホーッ!!」
と一段と高いアブディの笑い声が。

以前のホテル勤めのせいで気配りがきいているのか、(レンタル)業の商売に”抜け目”ないのか・・・。(笑)

ここでアブディと別れを告げる自分達。
次にアブディと再会するのは、3日後の”ガルンガン”の日である。

「カトさん、ナベさん、マルさんっ、マタネ。オッ、ホッホッホーッ!!」

窓から手を振りつつ、「KATANA(ジムニー)」と共にアブディは闇に消えていった・・・。


『知っとこ!インドネシア』
ガルンガン(Galungan)=日本で言う”お盆”。祖先の霊を迎える祭り。バリ島全土で各寺院に参拝する姿が見られる。また各家庭の門前には竹で作られた飾り物があり、特別な料理も作られる。
バリのヒンドゥー歴、”ウク歴”の1年である、(210日)に1回行われる。”ガルンガン”の10日後には”クニンガン(Kuningan)と呼ばれる祖先の霊を送り出す祭りがある。

投稿者 maru : 07:45 PM | コメント (0)

February 23, 2005

東南アジアひとり旅~macan編~【8】

いよいよmacanさんの~ひとり旅~も大詰めです。

今回、お届けするのは【第8弾】。
長い時間を過ごしたインドネシアから再びシンガポールへ。

今回はどのような体験が待ち構えているのか!?
お楽しみください。

January 5,2005

[ 親友が好きなプトゥリ島 ]
今日は特に予定がなかった。どうしようかと思いながら、朝食に出かける。
いつも朝は、ミーゴレン(焼きそば)かナシゴレン(チャーハン)かスープ。飽きた。たまには、パンも食べたい。
いつものレストランにはないので、少し離れたチャイニーズ系のレストランに入った。
チャイニーズ系の店はよく清掃されていて綺麗である。また、店員の応対もしっかりしている。

ここで、トーストとコーヒーで食事しながらテレビの話をした。バタムの番組は多い。
TVは30chぐらい設定されているが、重複分も結構あるので、実際は半分の15番組ぐらいか。
中国系の放送がダントツに多い。字幕に漢字が結構出てくる。難しいな。世界で一番難しいと思う。中国人でも読めるか?
ホテルの従業員はいつも中国語放送をみている。前に友人に聞いてもらったことがあったが、やはり読めないと言っていた。

スケベも無料で見れる。友達にスケベのインドネシア語を聞いた。

”ポルノ”。

なんだか面白みのない言葉でガッカリした。このスケベ番組、毎日放送されている。
前に見た番組は、日本の映像で、前の方にはボカシがあった。
この国も、ボカシを入れるよう規制されているのかと思っていたが、昨日見た欧米の映像では、ボカシはなく、全部丸見え。

友達に「ポルノの番組あるなぁ。どんな感じに思う?」と聞いてみた。ばかな質問をしていると思いながら、どう返事するか興味があった。
首を横に振りながら、「見てると”うぇっ”となる」と言った。そうか。私の想像通りの答えだった。

朝食が終わって、「これからどうする?」と聞くと、親友のところに行こうと言うので、彼が好きかと尋ねたら、にやっと笑って、「友達だから」と言う。嫌いではないらしい。
友達のところに行くと、忙しそうだった。私は「忙しそうだからぶらぶらするか?」 と聞くと、「大丈夫!」と言って、彼の時間が空くのをまっている。
さすが、友達はよく観察している。暫くして、ちょっと間が開いたので、「どう、忙しい?」と聞く。
親友も人が良いから、僕の友達の、しかも女性では誘いを断れない。小さい声で、「相棒は優しいから大丈夫。昼から凄く綺麗なビーチに案内する」と言ってくれた。

インドネシアであまりバスに乗ったことがない。「バスあるか?」と聞くと、これから行くところはバスで行けるという。
バスは安いし乗ってみたい。だが、今日はちょっと暑いからとても乗る気分になれなかった。

タクシーを拾うか。次々にタクシーがクラクションならしている。始めの白タクは4万ルピアと言う。
親友が「どう?」と聞く。「普通はどれくらい?」と聞き返した。親友は高いと思っているのが感じられた。
私は後ろのタクシーを指差すと、慌てて白タクの兄ちゃんは3万ルピアと言う。私はこの手の駆け引きが大嫌いであった。
ましてやインドネシアの運賃は高すぎる。シンガポールの2倍ほどの運賃に思えた。親友は「アンコタにする?」と聞く。

「OK」。

ちょっとニコッとする自分だった。望むところである。アンコタ大好き。

行き先は、プトゥリ島。親友が好きだと言う島である。結構遠かった気もする。一人5000ルピアだった。
運賃からみても距離は長いんだ。平日だから遊びにくる人はいない。桟橋周辺に誰もいない。親友は近くをうろうろして現地の人を探した。
幼い娘を連れたお父さんがそばを通ったので、船を出してくれる人を呼んでもらった。
島の滞在時間を1時間で交渉する。料金1万ルピア/人。安い。上手に乗っていないと海に落とされそうな船に乗って行った。
     
プトゥリは本当に小さな島。1時間あれば一周出来そうだ。島には、小さいロスメンらしき建物や店もがあるが、平日でだれも来ないからやっていなかった。
でも、島に来るなら静かな平日が良いと思う。気持ちの落ち着く島だ。水も浜辺も綺麗。波の音が優しい。
遠くにはシンガポールが見え、反対側にはバタムが見える。 ゆったり物思いにふけってみたくなるようなところだ。


両側がすぐ海のプトゥリ島

(プトゥリ)とは、(姫)の意味だと親友が教えてくれた。そこで、友達がジャカルタのブカシーに住んでいるので、

「プトゥリ ブカシー、プトゥリ ブカシー(ブカシーの姫)」

と呼んでみた。

親友はクスッと笑ったが、友達の反応はなかった。というより、無視したと言った方が当たっているかもしれない。
ここが最後。これでバタムともお別れ。明日は友達はジャカルタへ、私はシンガポールへと行く。
最後に良い所に案内してもらった。このプトゥリ島は決して忘れないだろう。




インドネシアのテレビ。
私も宿の部屋のテレビでよく見ます。チャンネル数は日本のテレビより遥かに多い。

ここは赤道をまたいでいるインドネシア。
当然、衛星放送用に打ち上げられた衛星がインドネシアの上空にたくさんあります。

日本でも見かけることのない、ありえないような大きなパラボナアンテナ。
宿やレストラン、民家にさえあります。空に向かって大輪の花を咲かせているように(笑)。

この大きな(花)で、各国が打ち上げた衛星の放送を”盗み見”出来るんです。
チューナーも別に取り付けているのだろうか・・・。 [maru]


January 6,2005

[ さようならバタム そしてシンガポールへ ]
朝10時に親友がホテルに迎えにきた。いつも笑顔で挨拶してくれたホテルの従業員。カウンターの可愛い女性従業員は愛嬌があった。
私がホテルを出る時、「また来てくださいね」と言ったことを親友が教えてくれた。もちろん、バタムに来たときはこのホテルにするさ。

10:30ごろ空港に着く。でも、友達が乗る飛行機は1時間遅れの13時出発になったとのこと。
時間もあるので、友達は親友と一緒に、今度は私を見送りにバタムセントレまで行ってくれた。
シンガポールへの船便は、約1時間毎にある。船の運賃は10万ルピア。外国人にはタックスが含まれる。12:40発の便にした。
皆とはもっと一緒にいたいが、シンガポールでの英語やホテルや電車などについて勉強しておきたかったので、あと1時間あるが、もうチェックインして別れることにした。

ここから、一人旅である。13:20にシンガポールのハーバーフロントセンターに着いた。ここで、US$をシンガポールドルにチェンジする。
そして、近くをうろうろしていると「タクシー、タクシーと」同じ人が何度も声を掛けてくる変なのがいた。

マネーチェンジャー近くで、外へ出たすぐの場所で煙草を吸っている人が結構大勢いた。
シンガポールは煙草を吸うと罰金と聞いていたが、吸えるところはちゃんとあるのだと知った。冷静さを保つために、ここで煙草を一服する。

落ち着きを取り戻した14時ごろ、MRTの駅へ向かった。MRT駅へは表示が分かりやすく、難なく行くことができた。
だが、まだどこのホテルでどこの駅まで行くか決まっていない。大きな荷物を持っていると厄介だ。通行の邪魔にならないよう駅の隅に寄って本を見る。
安いホテルを探す。が、ドミトリーには泊まりたくない。ホテルだと3000円以上は覚悟しないといけない。この時期だともっと高いかもしれない。駅に近いホテルにしたい。

ハーバーフロントセンター駅から1駅のところに、シングルでシンガポール$49(約3000円)のホテルがあるが部屋数が少ないし駅からちょっと歩かないといけない。
行ってもこの時期泊まれるかどうかも分からない。
次に駅から徒歩1分という便利なホテルが2駅目のところにある。ホテル81という中国系のホテルで、シングルで$59、ダブルで$69。
少し高いけど、チェックイン後遊びに行きたいので、この便利なホテルに決定する。

駅の自動販売機で切符を買いたいが、買い方が分からない。少し触ってみたが上手くいかないのでじっと考えていると、中国系の若いカップルが親切に教えてくれた。
このカップルも旅行者のようだった。操作の順番を指差ししながら英語で「ディス、ディス」と。そうか。ディスだけで会話が成り立つのかと知った。
そして、駅員からポケット路線案内カードを貰ってくれた。

今回の旅行は中国人に縁がある。みんな親切だ。
親友もシンガポールに遊びに行ったことがるが、シンガポールの人は親切じゃないと言っていたが、私にはみんな親切にしてくれた。

あっという間に2駅目のチャイナタウン駅に着いた。チャイナタウン駅の上に出て周囲を見渡すと、ホテル81は横断歩道を渡ったところにあった。
本のとおり1分のところにある。ホテルに入って、今日泊まれるか聞くとOKという。
1泊いくらと聞くと、$95でチェックアウトのとき$20リターンと言う。(結局一泊4500円)
(おいちょっと高いぞ)、と思ったが2泊だけだし、遊びに行く時間がほしいからOKして部屋に入る。
部屋は綺麗だが小さい。本に書いてあるとおり、カップラーメンやインスタントコーヒーが用意されてあった。

早速、ハーバーフロントセンターに行くことにした。ケーブルカーに乗ってセントーサ島へ行く。
ケーブルカーから見渡す景色は最高だ。何回でも乗りたい気分にさせる。美しい。シンボルのマーライオンタワーも見える。
次にモノレールに乗って一周する。綺麗だ。初めて観る人には十分満足感が得られそうだ。
また、カップルや家族連れにはもってこいの場所だと思った。
私は夕暮れ時を待ってケーブルカーに乗った。シンガポールのネオンの輝きと港をぼーっと眺め、いつまでもこうしていたい、時を忘れていたい気分だった。




シンガポールやマレーシアにも華人系の人は多いようですね。
インドネシアのジャカルタでも華人系が集まる、”コタ”地区に何回か泊まったことがあるのですが、屋台や道端で知り合った人も気さくな人が多く、
一緒に”サンタイ”していても楽しかった思い出があります。

しかし、”ネイティブ”のジャカルタ人やバリ人など、生粋のインドネシア人からの華人系の人に対しての印象は良くないようです。

経済面などでの「格差」が、両者に隔たりをつくっているのでしょうか・・・。

以前のジャカルタでのデモ(当時のスハルト大統領への施政に対する不満が爆発)で、”コタ”地区が真っ先に襲われ、多数の華人系の人が犠牲になり、
駐在している日本人は中国人と間違われないように、”日の丸”の旗を持って外出していた事が。

「~の国の人は」とか「~人は狙われている」とか良く耳にしますが、旅先などで個人的に触れ合えば、1対1の人間同士の付き合いで何のわだかまりもなく談笑できるのに、と思ってしまいます。
・・・私の考えが甘いのでしょうか。 [maru]


January 7,2005

[ クロコダイル ナイト競馬 ]
風邪を引いてしまったようだ。すこしだるくて元気がない。シンガポールはそんなに暑くない。夜だと涼しいくらい。Tシャツ1枚じゃ寒く感じる。
それなのに、ホテルはACでバンバン冷やしてる。従業員のためのACかなと思ってしまう。空調設備はホテル全体の一括調整で、廊下で既に寒いから、室内を30℃に設定しても効果がない。また、ACの風向きを調整してもベッドに直接当たる。

バタムでは裸に近い格好で寝れたのに、ここでは持ってきたカッターシャツとジャンパーを着て、長ズボン履いて、シーツを被って寝た。
こんな寒いホテルにおれない。シャワーで身体を温めてから、朝ごはんを食べに外に出た。中国系の店で、コーヒーと肉まん2個とウオータードリンク1本を注文する。
$3(180円)と安い。バタムと同じくらいだのようだ。

今日はクロコダイルを見て、夕方から競馬観戦する予定。ジュロン・クロコダイル&レプタイル・パークには、電車とバスを利用して行くことにした。
電車に乗るのは全く不安はないが、バスにうまく乗れるかどうかは実際に体験してみないと分からない。

バスに乗るのは、運賃が安いからという理由ではない。なるべく庶民の生活に触れたいからである。また、シンガポールのバスは行き先表示が分かり易そうだからだ。
もし、もたもたしてクロコダイルのショーに間に合わないようならタクシーで行くことにした。

7:00に出発する。チャイナタウン駅からアウトラム・パーク駅(NE銭で一駅)でEW線に乗り換えて終点のブーン・レイ駅で降りる。
結構遠いが、運賃は$1.7(約100円)と安かった。
本には、ここのバスステーションからNO.194,251と表示されているバスでジュロン・バード・パークのバス停で下車。
料金は¢80と書いてある。まだ時間に余裕があるので、駅周辺のレストランで食事して、精神を整えてバスステーションに行った。

バスステーションで切符をどこで買えば良いのか、どこの列に並んだら良いのか分からず、ちょっともたもたしていると、
欧米人カップルがNO.194のバスが到着したのを見つけ駆け出したので、私も二人に付いていって乗った。
バスステーションには沢山の人が並んでいたが、このバスに乗ったのは4人だけだった。
欧米人は運転手に運賃のことで何か言われていたが、運転手は英語が出来ないらしく払わなかったようだ。
私はちょうど$1あったので、運転手に見せると「OK、箱に入れろ」と指差しで指示された。

バスもちょっと長い時間乗ってたような気がするが、無事ジュロン・バード・パーク停留所に到着した。
すぐそばにジュロン・バード・パークの表示が出ていたが、私の行きたいクロコダイルの方は見当たらない。
ジュロン・バード・パークのチケット窓口で、クロコダイルへ行きたいと言うと、向こうと指差しした。
パークを出て周囲を見渡すと、真っ直ぐ遠く向こうの方にそれらしき建物があった。でもなんて分かり難い。(この辺りに表示ぐらいしてほしいな)とつぶやく。
いよいよクロコダイルに会える。ランカウイのクロコダイルショーは素晴らしかったがここはどうだろうか。

ジュロン・バード・パークの前から真っ直ぐの道がない。パーキングらしき中を首をかしげながら歩いて行くとクロコダイルの建物が見えてきた。
早過ぎたか、まだ誰も来ていないようだ。窓口でチケットを買う。$8.5。

規模はランカウィよりも2まわりは小さいような感じがする。園内は一人だけ、ぶらぶら2周りする余裕があった。
ワニの他にヘビ、トカゲ、イグアナなどもいる。暇だったので、持ってきた今人気のマジックで使うイタチのようなぬいぐるみで、ヘビやトカゲに近づけて遊んだ。
ガラス越しにヘビの顔にイタチの顔を近づけると反応した。するすると木と木の間の隙間の奥に逃げっていった。遠ざけると顔をだし、近づけると引っ込む。変なやつだ。

徐々に子供連れの欧米人家族などがやってきた。暫くすると動物たちとのふれあい記念撮影が始まった。面白い。いろんな表情を見せる。
全く近づこうとしない子もいれば、ニコニコしながら抱っこしてホッペをワニにこすってポーズを撮ったり、ヘビにキスしたりする子もいる。
また、そうしたいけど手にもったときワニやイグアナが動くと離してしまう子もいる。子供のそんな表情や動きは可愛いくて見ていて楽しい。

そのあとクロコダイルショーが始まった。クロコダイルを大きく持ち上げたり、口の中に頭を入れたりという見せ場はあるが、ランカウィのショーより少し物足りない感じだ。
でも初めて観るお客は十分満足するかもしれない。


シンガポールのクロコダイルショー

さて、これから競馬観戦に行く計画だが、まだ14:00で時間が早いので、一旦ホテルに帰って一休みすることにした。
早く帰りたいのでブーン・レイ駅までタクシーに乗った。$3($4かも:240円)でバタムより安いと思う。
ブーン・レイ駅からMRTに乗る。チケットの自動販売機で$10を入れるが受け付けない。全く不便なチケット販売機だ。
そこで、近くの売店でWinKupという中国語で書かれた日本人アーティストの月刊誌を購入して小銭を作った。

電車に乗ると、様々な人種の人がいて、見てるだけでも面白い。隣に中国系の男性2人とインドネシア(マレー?)系の女性が楽しそうにおしゃべりしていた。
中国語でも英語でもない。インドネシア語で喋っている。どうやら最近行ったバリ島について話してるようだった。

難なくチャイナタウン駅に着いた。ホテルに直行、休憩した。2時間ほど休憩したので、疲れは取れていた。
競馬観戦に行くためチャイナタウン駅に向かう。

駅で切符を買うとき、横腹あたりに人が触れる感じがした。子供が覗いて見ていたのだった。振り向いて、「なに?」と言ったように思う。
女の子は隣の自動販売機に行って、切符を買おうとした。その子の家族は、女性ばっかりのマレー系の人達だった。
いろいろ操作し、何回もコインを入れるが、販売機はコインを受け付けない。ストンと落ちて戻ってくる。私もやったが同じ結果だった。
どうやら機械がおかしいだろうということで、さっき私が使用した販売機でやってみたが、同じくダメだった。
(はて、なんで?)と冷静になって、ふとコインをみると、 な~んだぁ~、マレーシアドルのコインじゃないか。母親も笑って、マレーシアドルって言っている。

女の子が両手に小銭を一杯広げてくれたので、 私は一つ一つコインを入れてあげたら、無事チケットが出てきてくれた。
私が、その場を離れるとき、12~3歳ぐらいのお姉さんが、「テンキュウ-」とお礼を言ったので、「サマサマ」とインドネシア語で返答してみた。
お姉さんは「キャーッ」と微笑んでびっくりした面持ちで、お母さんに、「あの人、サマサマ言うた」と言っているのが分かった。楽しく、嬉しい瞬間であった。

シンガポール競馬場は朝乗ったEW線ブーン・レイ駅近くのジュロン・イースト駅でNS線に乗り換えて、5つ目のクランジ駅で下車するとすぐそばに入口があった。

皆が入場券を買っている列に並んで、窓口でハイビスカスルームと言う。窓口の姉さんは、ここでは入場券買えないと言っているみたい。
「向こう」と入場口の方を指差す。それで、そっちの方に行ってみると、横に綺麗な窓口があった。

ハイビスカスと言うと、ペラペラ長い英語で何か説明しだした。多分、あまり好ましくないことみたいと感じるが、さっぱり意味が分からない。
きっとルームには入場できるけど、席がないとか、今日は投票できないとか言っているのだろうと想像した。首を傾げる私に、姉さんは「OK?」と言う。
分からんけど、「OK」と答える。$20と言うので、渡すとチケットが貰えた。
横の入場口のチケット投入口にチケットを入れるが全く扉が反応しない。(えぇ入場出来ない)。係員がチケットを見て、手動で扉を開けて中に入れてくれた。
チケットにはバーコードが付けてある。(なんで読めないの?)。 もう、競馬する前から疲れた感じだ。
中に入ると、ハイビスカスルームへの案内表示版があり、迷うことなく、その方向へ行くことが出来た。

ルームのあるエリアに入ると、ここにも窓口があった。 う~ん、よく分からん。ずーと進んで行くと、オーナールームがあった。
だが、ハイビスカスルームの表示がない。向こうの方に、大勢の人が見える。でも、なんだか場が違う感じがする。
みんな正装している。私は、一応パダンで買った靴を履いてきているが、スーツじゃないし、ネクタイもしていない。ちょっと場違いの感じがした。
でも、ハイビスカスルームはどんなところか見ておきたかった。まっすぐ進んで行くと、正装した警備員と案内員から、「ここに入れない。今日はクローズ」と言われた。
どうも、今日は特別の招待客がお目見えしているらしい。そうか、入場口横の窓口で、姉さんが英語でペラペラ長く説明していたのは、このことだったのだろうと思った。

少し戻って、オーナールームのところにくると、私と同程度の服装の人達が大勢入って行ったので、追い出されるかも知れないと思いながらも、皆にくっついて入って行った。

オーナールームにすんなり入れた。係員のような人がいたが、チケットのチェックもない。ただ、不審物を持っていないかを観察している程度のようだ。
中に入いると、凄く大きなルームだった。豪華なレストランがあり、主に観戦する側にあるシートも、ゆとりのあるテーブルで仲間と食事しながら競馬を楽しめる。


パドックを撮影

オーナールームから馬場を望む

レースは1200Mが多い。投票の方法は本に丁寧に書いてあったので助かった。
馬や騎手は分からないので、モニターテレビのオッズを参考に、感を頼りに投票するしかない。
1レースのオッズをみると、どれも高配当である。ちょっと日本のレースと違うな。単勝でもみな8倍以上ある。これは、どの馬もどんぐりの背比べということかと思った。

オッズをみて、単勝に2頭選ぶ。ただ、1レースは様子をみるだけで、投票はしないことにした。
レースが始まった。モニターから競馬場の大スクリーンの方に目を移す。

「オオ~ッ!!」。

おおきな歓声が飛ぶ。団体旅行で来ている欧米人の歓声も凄い。

ゴール!私の選んだ馬は来た。

喜びの歓声があった右横のテーブルでは、大きく儲けたのか、二人は飛び上がったり、抱きついたりしてた。最終オッズは8倍。買っておけばなぁ。
2レース目は絶対買うぞ。2レース目は$20で単勝1本勝負したが外れた。3レース目は$40で複勝、$10で連複を各1本勝負したと思う。
思うと言うのも変だがもう忘れかけてきている。このレースはみごと複勝が当選した。これで大もうけ。$200ぐらいかけとけよって自分に言う。

当たり投票券をもって、みんなが並んでいる窓口に行く。ちょっと横から覗く。この窓口で払い戻しができるようだ。
投票券を姉さんに渡すと、少しフンとした表情に見えた。(なんなのこの姉さんは?)と思いつつ払戻金を受け取ると、思っていたより全然少ない。
掛け金よりちょっと多くなったなぁぐらいで、これじゃトータルでマイナス。ショックだった。
オッズと掛け金、払い戻し金について考えてみると、ここの競馬場のオッズは絶対金額表示だったのだ。
最小投票金額は$5から。オッズ表示が10なら2倍が正解で10倍じゃなかったのだ。
そうだよなぁ~。日本と同じで、そんな高い倍率あるはずない。

このあと、ホテル周辺の中華街を探検したいので、4レースまで観戦して、ホテルに戻ることにした。
チャイナタウン駅に戻って、すぐそばに札幌ラーメン店があったので入った。あまり日本人が入ることがないのか、店員は緊張している。
「えぇっ日本人が来た!」というような表情が顔に出ていた。カレーラーメン、ウーロンティーっと言って注文した。女性店員は緊張していて言葉が出ない。
きっと、日本語でしゃべりたいのだけど、自信がないのだろう。

隣りのテーブルには中国人家族が5人いて、にこやかに美味しいと言って食べてるようだった。ラーメンを持ってきた。
置いて無言でさっさと行ってしまう。さあ食べようとすると、スプーンだけでお箸がない。しばらくどうしようかと考えていた。
ここは、シンガポールだから英語だろうなと思っていると、少しこっちに近づいてきてくれたので、手を打って合図した。
右手で箸を持つ格好をすると、分かってくれてすぐ持ってきた。食べてみると、カレー味の薄いカレーラーメンでガックリした。  

食べ終わってから30分ぐらいホテルで休憩してから、繁華街を見てまわった。欧米人が結構来ていた。
様々な店があり、品物の種類は多い。見ていて楽しい。子供はすごく面白そうに、親の心配をよそに、次々に品物を触りまくって遊んでいる。
私は子供が遊んでいる姿があまりに可愛いのでアハハと笑うと、お母さんはニコッとしてくれた。でも、店のおばさんは少々怒っていた。

「買いもしないのにっ」

と思っているようで、無言でお母さんの頬に品物を押し付けて抗議をしていた。




海外で競馬・・・。私もいつかはやってみたいです。
地元ではJRAではなく、自宅から1時間くらいの”笠松競馬”に通ってましたが。

むしろ海外での賭け事なら”パチンコ”をやってみたいです。

以前、「パチンコ通い」をしていたころ、知り合いから聞いた話。
「台湾のパチンコ店は日本のように規制がなく、連チャンしまくりだぞー!夜中もやってるし」。

去年の台湾旅行、あまり時間の余裕がなかったのですが探してみました。パチンコ店。

「・・・どこにも無いっす」。

未だ野望は達成されません(笑)。 [maru]

投稿者 keidoh : 07:59 PM | コメント (0)

February 21, 2005

東南アジアひとり旅~macan編~【7】

macanさんの~ひとり旅~も、いよいよ終盤へ。

スマトラ島をひとり旅しているmacanさん。
時期的にも去年の「スマトラ沖地震」と重なり安否が気遣われます。

どんな景色や人間模様を見聞きしているのか気になる【第7弾】をご覧下さい。

「yuk,kita dengarin ceritanya(さぁ、一緒に彼の物語を聞きましょう)!!」

January 1,2005

[ バタムに戻る ]
今日は友達を連れてバタムに戻る日だ。
私の友達は年配の人に好かれるようだ。何気な~く、スーッ、と話をはじめだす。オーナーのおばあさんは、一昨年このカルロスに私が来たことを覚えているとのことだ。
年末特別料金(2倍)を通常料金(5万ルピア)にしてくれた。また、朝食を無料にもしてくれた。

8:00にオーナーの車でカルロスを出発。このときも友達は10万ルピアを8万ルピアにしてもらった。押しが強いな。オーナーは困惑気味の表情を見せていた。
空港で、結婚式に一緒に行った友達らが見送りに来てくれた。ブキティンギに住んでいる看護婦志望のデウィさんも来てくれたのが嬉しかった。

9:45にチェックインする。友らは見送りデッキに行ってくれた。
でも10:15発なのだが便が送れるとの案内があった。便はメダンから来る。津波の影響で乱れているのかと思った。
飛行機が着いたのは12時を過ぎていた。もう、見送りデッキには友達の姿は見えなかった。このくらいの遅れは辛抱して待っていてほしかった。

「私は遠い日本から来てるんだぞ~!」 
     
飛行機は無事バタムに到着。空港で親友が待っていてくれた。さっそく前に泊まったホテルクンドゥルに直行した。
友達もこのホテルを気に入ってくれてホッとした。友達は明々後日ジャカルタに帰ることが決まった。お兄さんから電話がかかってきていた。
なんでバタムにいると言って驚いていたようだ。

ホテルの人に近くの旅行会社を聞いてジャカルタ行きのチケットを手配しに行く。明々後日のチケットはある。
Sriwyaya Air料金は約35万ルピアとのこと。安いな。この前友達がジャカルタからバタムの料金は60万ルピアと言ってたのに?
「何で?」と聞くと、Lion Airの料金だと言う。航空会社間でこんなに違うのかと信じられない思いだった。
これにするかと話し合っている間に、ありゃりゃ売り切れになってしまったと言われた。唖然!

そこで、パダン行きチケットを買ったときの大きな旅行会社に行ってみた。今度はすぐ購入するぞ。
先の旅行会社で申し込んだのと同じ飛行機だがチケットはあるとのこと。料金は同じ。即購入した。

夜、食事した後、友達を連れてギターの兄さんのところに行った。妻のリンダさんはもう帰宅していた。残念。
変わりにギター仲間が6名ほどいた。次々に握手する。
彼は次々に4曲ほど歌ってくれた。友達がアルジュナを彼の伴奏で歌うようにけしかけた。急に言われてちょっと緊張している自分を知った。
緊張のせいか歌詞が出てこないわ、リズムがギターと合わない。
(アルジュナ=DEWAの曲。スタッフ書房の”アジアンミュージック”参照。及び【まるごとアジア】の”上海沈没”で私(maru)がバスルームで鼻歌を奏でている曲)

こんなに歌が下手だったのか。友達にエエカッコ見せられなくってショックだった。
帰りに友達に見られないように2万ルピアを渡したつもりでいたが、しっかり見ていた。後で、ちくり2万も渡してと言われてしもうた。
今度は一人で遊ぼうっと。


この時期の日本でのインドネシア関連のニュースは、「津波」の速報で持ちきりでした。
macanさんが、ちょうど津波のあったスマトラ島へ旅行、と聞いてたのでとても心配してました。

macanさんの記事を読んでいて、普通にスマトラからバタムまでの移動が出来たようで、津波の影響があまり無かったようでなにより。

とはいっても、(アチェ)をはじめ、あまりにも被害にあわれた方々が多かったスマトラ島。
タイのプーケット島など、観光地で有名なところでは復興支援が活発で、半年もすればほぼ、再興できるとか。
一方、一番被害の多いアチェなどは観光地でもなく、また(内戦)が先日まで行われていた地域なので、復興を担当するインドネシア国軍と武装勢力の関係もあって、再興のメドはいまだつかないとか・・・。

政治絡みの利権などもあるようですが、一番尊いはずの(人命)(人権)などを無視した復興支援・・・。

【インドネシア】の名を世界に恥じない「楽園」にしてほしいと思います。切に。 [maru]

January 2,2005

[ ボーリングで勝つ ]
朝から大雨。寒いくらい。一日中降っていそうな感じがする。今日は何処にも行けそうにないが,ホテルでぶらぶらするわけにもいかない。
友達を親友の職場に案内する。新年の仕事始めの日だが、開店そうそう忙しそう。仕事は相棒がしっかりやってくれる。
相棒に任せて、昼から3人で暇つぶしに町をぶらぶらすることになった。デパートめぐりも飽きて続かない。

「私はビリヤードはどう?」と誘ったが、したことないから出来ないと断られた。

それじゃ、ボーリングしようということになった。最初に行ったところは休みだった。2軒目に行ったところは満員で、クラブの競技をしていて一般は出来ない。
3軒目に行ったところはOKだった。
私と親友でゲームした。私は1投目で奇跡のストライクがでた。親友は私にいつもしているのかと聞いてきた。
「いやぁ、年に一度ぐらい。若い時はよくやってたけど」と答えた。親友はほんと下手糞だ。フォームが出来ていない。
だが、若いからボールに勢いはある。結果は、私が最後に2連続ストライクを出して完全勝利に終わった。

今日は朝の予感どおり、雨ばっかりの一日だった。

私はインドネシアの友人と遊んでいるとき、よくビリヤードに誘われます。特にバリ島と、ジャワ島のバンドゥンで。
あまりビリヤードが得意でない私は逆に「ボーリングは?」と聞くのですが、答えは、「そんなもの無い」とのこと。マジかいな。

でも、一番誘われてよく行くのは、市場とショッピングモール。
何をするかといえば、「サンタイ(ボーッとする。ゴロゴロする)」。
現地の友人に混じって、ベンチや道端で「ボーッ」とするだけ。

・・・これが悪くないのです。

買い物帰りに、大きな荷物を頭の上に乗せて絶妙なバランスで歩くおばさん(バリ島に多い)。
若い女性の集団に冷やかし交じりの掛け声をかけるニーチャンのグループ(特にバンドゥン)。
信号待ちで停まった車に一斉に群がる子供達(新聞売りの他、花やおもちゃ売り、ギターも持たないプンガメン、勝手にフロントガラスを拭き「お金頂戴!」と言う(笑)」。
小さな赤ちゃんを抱えて、道行く人に(寄付)を望む女性。
ドアの無い乗り合いバスから目的地を連呼しつつ、「さぁ、乗った乗った!今なら座れるぞー!!」と半ば叫んでるバスの助手(運転手とペアで乗っている)。

”マンウォッチング”しているだけでも、普段、日本では見られない光景が繰り広げられていて、いつまで見ていても飽きる事がない。

これも、長期旅行でのなせる業かと思います。
・・・書いてて、3週間くらいインドネシアに「沈没」したくなってきました。(笑) [maru]

January 3,2005

[ バタム島観光 ]
今日は晴れてくれた。私と親友は先日行ったバレラン橋に友達を案内する。
私は、彼女に親友と親しくなってほしいと、できるだけ二人との距離をおくが、でも二人には男と女の匂いが感じられなかった。
お互い友達の輪が広がって、いい結果になればと願う。

バレラン橋はやはり良いところだ。飽きはしない。愛を語れるムードがある。これを書きながら、冗談だが友達に愛を語っている自分を想像してみた。

次に、メヌールというビーチに連れていってくれた。まだ自然の景色が残る小さなビーチで落ち着きがある。
パダンのビーチに比べれば格段に水は綺麗で、これなら泳げる。水着を持ってくればと思った。地元の家族だろう、3家族ほど遊びに来ている。
波は静か。タイヤの浮き輪で結構沖の方に行って戯れていた。

次に大観音寺という仏教寺院に行った。ここは、ベトナム難民が一時避難してきて住んでいたが、今は帰って行ってだれもいなくなったという。
写真が掲示されていて、当時インドネシア政府が難民を助けていた証拠が残っていた。
車で移動中に、あれはここで亡くなったベトナム人の墓だと説明してくれたところを通った。なんとカトリックの墓で、その周辺は学校も教会もある大規模な町であった。

次にスクパンに向かった。左側に大きな港が見えてきた。ここからもシンガポールの便がある。また、ジャカルタやパダンにも行くようである。
この港を過ぎて、シンガポールも見えるリゾートに着いた。

このKYMHOTEL & RESORTにはコテージがあり、その近くに平屋のホテルを併設している大きな海上レストランがある。
結婚披露宴もできるほどの大きさのレストランであり、ちょっと洒落た雰囲気のところである。
このレストランの1画にあった披露宴の飾り付けの台に、友達が上がり、頭に冠をかぶった。そして写真を撮ってほしいと言われたときはドキッとした。
こんなものを触って、見られたら怒られそうだし、もし落として壊れたらどうするのという不安があって、内心ヒヤヒヤしていてたが、何事もなくホットした。


スクパンのコテージから


中国式結婚の冠

今日は平日だからだろうか、宿泊している人はコテージの前で談笑しているインドネシア人若者4人だけのように思えた。
あとは私達と同じ団体さんを3グループ見かけただけだった。

このリゾートからFMラジオ放送局へ向かい、少し見学してから帰宅することになった。
リゾートを出たところで、ニホンザルより小さいサルさんたちが可愛い顔で挨拶してくれて、場を和ませてくれた。


猿・・・。

私はインドネシアの(猿)にトラウマが。(笑)
インドネシアの猿だから(ニホンザル)ではないだろうけど、(ニホンザル)に似た猿が多数いるウルワトゥへ(バリ島)。

ガイドブックの記事どおり、手にしている物(お菓子やジュース)や、かけているサングラスまでひったくられました。
即行で、「何やっとんじゃ、こらー!」と追いかけようとしたら、猿が(逆ギレ)して歯をむき出しながら飛び掛ってこようと・・・。
しかも「仲間」まで引き連れて(推定10匹以上はいたような気が)。

その時点で戦闘不能になった私は尻尾を丸めて逃げました。(笑)

・・・ちなみに私は(申年)生まれです。 [maru]

January 4,2005

[ 帰れない ]
今日は友達がジャカルタに帰る日なので、ホテル周辺でのんびり過ごすことにした。ホテルから空港へは12時過ぎにタクシーで出発の予定。

昨日の晩あまり眠れなかったからか、私は朝9時ごろに目を覚ました。マンディ(沐浴)をしたあとに、友達が10時前にメールを送ってきた。

もう起きたか~。

友達の部屋をノックして覗くと、もう荷物を整理して出発の準備が出来ていた。

私達は遅い朝食に出かける。前一人バタムにいたときは、朝食はワルンでブブールやパンとテーパナスなどを食することが多かったが、今度は一度もワルンで食べていない。
友達が嫌がるからだ。「ワルンに行きたい」と言うと、「綺麗なの?汚いっ」と言われて、結局レストランで食べた。
パサールにも一緒に行っていない。見飽きているからか、臭いからかどうか分からないが、あまり近づこうとしない雰囲気だった。
友達はエエとこのお嬢さんみたい?。そんな風に見えないんだけど。

まぁいいや。今日帰るので、明日からパサールで楽しめる。

朝食が終わって親友の職場に行くといない。近くをぶらぶらしてからホテルに帰ることにした。ホテルに着く直前、12時頃、友達が携帯で話をし出した。

「えぇっ!」。

・・・なにやらただ事ではない様子。ジャカルタ行きの便が19時ごろの出発に変更になったと言う。メダンで飛行機が故障して、修理で遅れるらしい。
友達は、「どうしよう~帰れない」と言う。遅すぎる。家に着くのは23時ごろになる。怖い。

「大丈夫でしょう、お兄さんに迎えに来てもらったら」と言うが、無言。返事がない。ただ、怖いから帰れないと繰り返すばかり。
私は帰ってほしかった。一人でぶらぶら遊びたい。特にギターの兄さん達ともう少し深い付き合いをしたい。

仕方ない。出発は明日以降に変更することにして、さっそく、親友に電話して、便のチェンジの手続きのため航空会社のオフィスに案内してもらった。
結局、翌日は満杯でダメ。明後日の14:00出発になった。その日は私がシンガポールに行く予定日だった。
これで、ぶらぶら遊べない。ガックリ。 明日はどうしよう。どこか行く所があれば良いが。

チケットの変更手続きが終了して、親友は仕事場に、私達はホテルに戻る。友達はそのまま部屋に行き、私はロビーで煙草を吸いながら新聞を眺めて一休みする。
30分ぐらいしてから、一人でぶらぶらしたくなってホテルを出てロビンソンデパートの方に歩いて行くと、親友が後ろから声を掛けてきた。
ちょっとビックリした。手にカレンダーみたいなものを持っている。彼も仕事をするんだなと少し安心した気持ちになった。
彼を引っ張り出してばっかりで、相棒にはすまないという気持ちがあった。

私は、まわりのデパートをうろうろしながら、イワンのCDと最近の新しいCDを探した。そうまだ土産を買っていなかったのだ。
CD店で、(BEST OF THE BEST Iwan Fals)というタイトルのCDを勧められた。
良いのか悪いのか分からないが、何でも良いから土産を買っておきたい気持ちだったので、とりあえず、このCDだけ買うことにした。

午後5時ごろ携帯が鳴った。友達からだ。「もう起きた~?」のメールだった。
(何を言ってるんだろうね。馬鹿だね)。とつぶやく。私がじっとしているわけないだろうに。
「今ロビンソン。すぐにホテルに戻る」とメールをする。戻ると、友達はもうロビーで待っていた。早い。

(何か一言あるかな?)と思っていたが、何も言わなかった。「さぁ、夕食はどうする?」と聞くと、結婚した花嫁の職場を見たいと言うので行くことにした。
今は結婚休暇中でいないが、新婦さんは大きなホテルのレストランで働いている。ジャパニーズ&コーリアのレストランである。そのホテルは私達のホテルから見えるほど近い。

歩いて行くことにしたが、まだ行ったことがなく暗かったため、袋小路に迷い込んでしまった。
見える場所に行って目指すホテルをみると、どうやらさらに遠ざかってしまったようだった。
ここから、目指すホテルは遠いぞと思っていたら、友達は近くにいたバイクのおじさんに声を掛ける。

「えぇっ!この人オジェ(バイクタクシー)のおじさん?」。

こんな暗い、人通りの少ないところになんでいるの?。ちょっと怖い感じだった。

一台だけなので、最初私が乗って、引き返してきたオジェにまた友達が乗る。料金を払うと、オジェのおじさんがもう少し要求してきた。
友達は指でおじさんを指しドスの利いた怒った声で一言、

「マスッ(アバン=兄さん)・・・・」。

ジェスチャーの感じから、遠回りしたと言っているようだった。オジェのおじさんも友達の迫力に負けたか。恐ろしやっ。

レストランの前で店の中を覗いていると、店員に「どうぞ入って下さい」と案内された。
すこし日本語が出来るが、(大して上手でないな)と、話すスピード、アクセントから分かる。これなら、花嫁さんはここでは大威張りできると思った。
    
レストランで私は寿司を、友達は焼肉を注文した。寿司の美味しさは、日本で食べる回転寿司くらいの感じ。
日本でないから、ここならまあこんなもんかなと納得。焼肉は、日本で食べる焼肉をイメージしていたが、大きな肉塊が出てきて剥がして焼いて食べるコーリア料理だった。
友達の元彼がコーリア系だったようで、見てすぐ、「これ日本の焼肉じゃない、コーリアよ」ってガッカリしていた。
インドネシア人の間では、日本の焼肉は大変人気があり、帰国のとき「持って帰りたいよ~」とよく耳にしたのを思い出した。

パサール(市場)。
私は海外旅行へ行くと、必ず市場を覗かないと気が済みません(北京と台湾では行けなかった・・・)。
「どこか行きたいところある?」と渡航先で聞かれたら、真っ先に答えるのはやはり市場(あるいは屋台街)。

一般の人がスーパーで買い物するように自由に物色できます。
カタコトの現地語やジェスチャーを使って値段交渉できます。
果物や魚など、素材本来の(生)の匂いが強烈にパンチを浴びせかけてきます。

未だ、渡航した国は数えるほどですが、(市場)ほど現地の人の個性などを収縮したところは無いと思う私。
「アジアの市場巡りツアー」なるものがあったら、フリープランのツアーでなくても参加してみたい今日この頃・・・。 [maru]

投稿者 maru : 07:29 PM | コメント (0)

February 18, 2005

東南アジアひとり旅~macan編~【6】

macanさんの~ひとり旅~もいよいよ佳境に入ってきました。

今回は第6弾!
現地での「結婚式」や「年越し」のイベントが待ってます。

「selamat menikah&selamat tahun baru(結婚おめでとう&あけましておめでとう)!!」

December29,2004

[ パダンのマネーチェンジャ- ]
今日はゆっくり過ごす。二人だけでカルロス(ロスメン)からアンコタに乗ってマタハリデパートへ行くつもりでいた。
が、出かけようとしたら友達のリタが待っていた。パダンの友達の友達で、昨日一緒にブキティンギへ同行した現役高校生である。
でも24歳ぐらい。学校がカルロスに近いところにある。結局3人でマタハリデパートに行くことになった。

ここで、シンガポールの競馬場で履くズックを買った。出来は良い。日本の半額の値段と思えた。
マネーチェンジをすることにした。パダンでのマネーチェンジはお徳であった。1円が87.5ルピア。バタムでは1円が73.0ルピア。14ルピアも違う。
インターネットで確認した為替から判断すると、パダンの交換レートは真面目な取引で、バタム島内のは異常に思える。

インドネシアにはドルを持って行った方が良いようだ。1ドル 9150ルピア。とりあえず、1万円だけチェンジした。

pm2時に二人でアンコタに乗って帰ることにした。アンコタ前面の表示番号で行き先が決まっている。
私も、いずれは一人で乗れるようになりたいと思っている。
途中、おばちゃんが降りたと思ったら、買い物してまた乗っちゃった。のんびりした生活だ。とても良い。

地方での両替。
バリ島でも繁華街ならともかく、田舎の方へ行くと両替所を見つけるのは難しいですが、レートの方も田舎へいけば行くほど、ドル>円となります。
また、地方でもドルを扱っている店などもたまにありますが、円を扱っている店はほとんど見かけません。

そういえば現地の人、普段はおっとりしているのにハンドルを握ると人が変ったようにスピードを出しまくり(笑)
(私もバリ島でレンタカーに乗ると、運転が(バリ仕様)になり、クラクションを一日に100回近く鳴らしまくりです。笑)
対向車線からトラックが来ているのに、平気で追い越しをかける運転手、信号が変った途端にクラクションを鳴らしまくる運転手、
我先にと交差点に突っ込む運転手、少しの隙間があれば鼻先を突っ込んでくるオートバイ・・・・。

なのに道路のど真ん中で、前の車がスーパーなどの前で人を降ろしたり、迎えに来たりした時(しかも超マイペースでゆっくり)などはずーっと待っている。

・・・あなた方は(せっかち)なのか、(おっとり)なのか分かりません。 [maru]

December30,2004

[ 新郎の家へ ]
今日も3人でマタハリまで行った。先ず、バタムの友達が持っていた日本語の勉強本を買った。
その後、31日に結婚する友人のロビーに会いに行く。リタが既に連絡してくれていて、待ち合わせ場所に行くと、ロビーは既に待っていた。
ここで、家に用事があるというのでリタとは別れる。

3人で昼食を食べる。私はチャプチャイという野菜料理を食べた。名前からインドネシア料理でないように思う。美味くもなく不味くもなく、まずまずの味だった。
(チャプチャイ=野菜炒めのあんかけ。いわゆる”八宝菜”)

ロビーの家は空港を通り過ぎて、ずっと遠くの漁村。家まで3回アンコタを乗り換える。
家の近くを通るアンコタは、町のアンコタと随分違っていた。
家畜を運ぶためのトラックじゃった。道路も悪い。乗り心地は最低。遠かった。やっと家に着いたという感じ。
お母さんは小さな店をしていて、3人ほどお客が食事をしていた。次々に弟達が挨拶に来た。ここも兄弟が多い。兄達は皆バタムで働いているという。

3人で海岸に行く。この海岸見覚えがあった。そうだったのか。初めてパダンを訪れた時に、結婚式のあった海岸と同じ海岸だったのだ。

結婚費用について、ロビーに聞いた。両家で7万円ぐらいで、全部彼女側が出してくれたそうだ。安いな。
以前スラバヤの知人に聞いた結婚費用もそれくらいだった。もう15:00、ロビーはまだ明日の準備がありそうなので、我々二人はビーチに帰ることにした。

ビーチに帰ってから31日に泊まるロスメンを探しに行く。隣のロスメンは見えるところにある。まだ明るいので歩いて行った。
そのロスメンはイマイチだった。海辺から遠いしレストランがない。乗り気じゃないので引き返した。

暫くして、カルロスのオーナーが安い方の部屋が空いているからどうかと言ってきた。隣はドイツ人が入いるようだ。
部屋の質は格段に落ちるけど一泊だけの辛抱と思い、その部屋にする。料金は年末特別価格で通常の2倍(10万ルピア/部屋)。
結局今の部屋と同じ料金。なんというアクドイ商売するねん。夕方になって、ヨーロッパ人が続々食事しにきた。




私がインドネシア以外の国を旅するようになって思ったこと。
(安宿)がいつでも探せて、気軽に手軽な料金でチェックインできる環境。それがインドネシアだと思いました。

中国では一部を除き安宿、いわゆる「招待所」などは外国人は利用できないところもあるとか。
タイでは安宿もありますが、料金の方はインドネシアと比べると割高の感が。

朝食つきで1泊500円~、インドネシアのそこら中にゴロゴロしてるので、(宿探し)の最中も、「旅しているんだなぁ~」という実感に浸れます(笑)。
週末などに、カップルが利用する「モーテル(ジャカルタにて)」は最安ですが、設備は最低、寝心地は・・・【蚊】との無限バトルです・・・。 [maru]


December31,2004

[ 結婚式 カウントダウン ]
いよいよ結婚式の日になった。朝、カルロスのレストランで食事のとき、みんな逃げたと騒いでいた。
津波がパダンにも来るという噂が広まり逃げたという。津波はインドネシア語になっていた。

朝8時に結婚式場に向け出発すると聞いていたが、なんと9:45に来た。これがインドネシアだ。
結婚式は13:30からで、3時間で着くから間に合うらしい。チャーター車はブキティンギのときと違っていた。
搭乗メンバーはブキティンギで会った全員。途中から一人、ビデオ担当の人が同乗した。

やはり3時間かかる場所、随分田舎になってきた。道路も舗装されていないし狭い。川に掛かっている橋も幅が狭い。
チャーター車もぎりぎり通れる幅。婿側親族一同はバスをチャーターしてくるらしいが、この橋通れるかなと心配してしまうほど。
今度のチャーター車の運転手は上手だった。狭い橋に入るところは曲がり角で難しそうに見えたが、一発でスイスイ橋を渡ってしまった。

どうにか、結婚式に間に合った。結婚式は彼女の自宅で行われる。中に入るととても広い大きい家でビックリした。
彼女はちょうど化粧をしていた。私の顔を見たとき、とても嬉しそうにしてくれた。あぁ、来て良かった。ほんとに来て良かったと思った。

私達は奥に案内され、すぐに食事の持て成しを受けた。
私達が食べ終わったころ、新婦側の親族達が集まりだし、間もなく新郎側の親族も到着して、お互い食事を始めた。


結婚式


結婚式での友達

暫くして、友達が「あれ見て」、と言う。5人ほどオカマが来ていた。何か芸でも見せるために呼ばれた人達かなと思ったが、新婦の友達と言うではないか。
唖然としてしまった。こんな田舎になんで? 

そしてある出来事に納得した。彼女は美人で、一見大人しそうに見える。
実際も他の娘達よりも上品で大人しいと思うが、以前、ビデオで彼女の信じられない光景を見たことがあった。
彼女の寮に仲良し友達が集まったおり、あの大人しそうな彼女が大胆な踊りをしていたのである。彼女が胸や御尻を振る度に、ビデオを見ている友達はキャーキャーの大騒ぎ。その彼女の謎がここで解けた。

結婚式の準備が整ったようだ。床にはじゅうたんが敷かれており、玄関側から家の奥に向かって新婦側親族と新郎側親族が平行に相対面して座っている。
その中央に着飾った二人が、緊張した面持ちで座った。私は友達に促されてデジタルカメラで結婚式の有様を写すことになった。私の他にも、カメラマンとビデオマンもいる。

司祭者が書類を出して二人(両家?)の決め事を語っているようだった。
新婦、新郎は司祭者の一言一言に、頷いたり、ときおり首を傾げて考えることもあった。
なぜ首を傾けたりしているのか不思議だった。決め事なんて普通、「しゃんしゃんしゃんじゃないのかい」、と思っていたのだが。
新郎は司祭者と新婦の父に時々確認しているようだった。

決め事らしきことの行事が終わって、新婦、新郎が書類にサインをした。これで、結婚の儀式が終わり、二人は晴れて夫婦になったと友達が言った。
このあと、新婦、新郎を中心に、ジャパン組みで記念撮影をした。

両家が退場したあと、新婦と新郎は寝室に入った。寝室で二人のアツアツぶりが披露され、カメラに収めた。
暫く経って、二人のおばさんが食事を持ってきた。そして、食べ物をいじくって、なにやら説明しだした。
その様子から、あれだ~とピンときた。後から、友達に「あれはセックスの説明でしょ?」と確認すると、なんだか違うような返事だが、はっきりした説明は貰えなかった。


サインしてめでたく結婚


おばちゃんが食べ物で説明

少し離れたフロア-で休んでいると、おじさんがにこにこして寄ってきた。新婦のお父さんだった。
なるほど、お父さんはハンサムだ。彼女は親父似だな。
1枚の写真を見せてくれた。今横浜にいる弟の写真だった。「弟はハンサムだな」と言うと、嬉しそうにニコッとした。
以前弟に電話したことがあるよと言うと、私に握手してきた。人懐っこそうなお父さんである。
お父さんと弟の写真をカメラに撮った。弟とはいつか会うこともあるかも知れないからだ。

新婦と新郎は家の外に出て行ったようだった。どうしてかは聞かなかったが、また戻ってくると言う。
40分ぐらいして戻ってきたとき、大勢の近所の人達が続々と家に入り込んで、ご馳走を食べ出した。


村の人たちも一緒に

これで今日の結婚式は終了ということなので、我々はパダンの町に帰ることにした。

翌日1月1日は新婦の実家で披露宴を行う。その翌日からは、今度は新郎側の実家で披露宴を行うと聞いた。
でもあいにく私は1月1日にバタムに戻る。
折角、長渕剛の「乾杯」をインドネシア語で練習してきたけど、披露出来ずに残念だ。

結婚式が終わって、ロスメン カルロスに戻ったとき、もう暗くなっていた。カルロスの浜辺には、大勢の人がいた。
4,5人単位のグループが6組ほど浜辺で海を眺めながら賑やかに談笑しながらカウントダウンの時が来るを待っているようであった。

遠く海に浮ぶ船の灯かり、静かに揺れる波の音、ロマンティックだ。
浜辺の中央にはメラメラと音が聞こえるほどの大きな火を焚いて神秘的な灯かりで雰囲気を演出してくれている。
レストランには欧米人の他に中国人もいて賑やに会話が弾んでいる。

カウントダウンがくるまでにはまだ4時間ほどある。私達二人は各々部屋に戻って、シャワーを浴びて少し休むことにした。
少し眠ったようだ。友達から起きろコールのノックがあった。時計を見ると23時をすこし過ぎていた。浜辺に行ってみた。先ほどと同じである。

私はふと気になった。私達が前日まで泊まっていた部屋の前に、現地の若者がタムロしている。
その部屋に中国人が泊まっていると聞いていたからだ。友達がオーナーに聞くと、なんと津波の噂で逃げたとのこと。
ふーん、なんじゃそれ。驚きはしなかったが、彼らにとっては未知の出来事だからしょうがない行動かなと思った。

さ~て、いよいよカウントダウンの時が来たようだ。忘れずに、バタムで買ったトランペットを持ってきている。
       
「10  9  ・  ・  ・  3  2  1」

「ハッピー ニュー イヤー!!」
  
プゥワ- プゥワ- プゥワ-
 プゥワ- プゥワ- プゥワ-
  プゥワ- プゥワ- プゥワ-

いい響きだ~
海外で新年を迎える夢が叶って嬉しかった。


カルロスのレストラン


対岸から撮影

「プワー!プワー!!プワー!!!」「プオー!プオー!!プオー!!!」
私も体験しました。バリでの(年越し)。

街角のいたるところで紙製のトランペットが売られてます。
何に使うかというと、先述の(年越し)のときに一斉に吹きあうのです。それも会う人、通りすがる人、目に付く人・・・ターゲットは無限です。

カウントダウンが始まって、0:00を迎えた瞬間に一斉に「パオーッ!!」とトランペットがこだまします。
私は1999年から2000年に変る瞬間、「トランペットバトル」に参加しました。それも3個も手に携えて(笑)。


私(maru)のトランペット演奏(中央青シャツ)。トランペットを上に向けるとヨダレが垂れて・・・(バリ島=クタ、ハードロックカフェ前にて)


中国の年越しでも爆竹が有名ですが、日本の大晦日とは趣がまるで逆です。
日本の大晦日が(静)なら、自分が経験した海外の大晦日は(動)。もっとも日本の大晦日で「パオーッ」合戦や「爆竹まつり」をやったら、そこら中で(バトル)が繰り広げられることでしょう(笑)。

で、年越しを過ぎれば普通の日常が待ってます。
「今って正月だよね?」と道行く人に聞きたくなるくらいの(平日)ぶりです。

インドネシアでの一番のお祭りはやはり「断食明け」の祭り、(レバラン)でしょうか。 [maru]

投稿者 maru : 05:59 PM | コメント (0)

February 16, 2005

東南アジアひとり旅~macan編~【5】

macanさんの~ひとり旅~第5弾。舞台は【スマトラ島】です。

私(maru)もまだ見ぬ未踏の地。
どんな(プランニング)で楽しませてくれるでしょうか。

「yuk,kita jalan(さぁ、一緒に行きましょう)!!」

December25,2004

[ 日本が作ったバレラン橋 ]
朝8:30に友人の弟の運転で親友と相棒が迎えに来た。これから、昨日押掛けてきた二人の家に行く。
二人は近くに住んでいない。遠いらしい。

「なぜだ?」

彼女に聞いたが返答は無かった。

バレラン橋というところに来た。とても風が気持ち良い。暑くもなし、寒くもなし、ちょうど良い。
日本の5月ごろの感じ。とても常夏の国にいるとは思えない。風景は四国の瀬戸内海や鳴門海峡のように美しい。
車が少ないので、橋で停車していても大丈夫。中国系の観光客も結構来ていた。この橋の周辺に店がない。ここにレストランを作ったら商売になると思った。

友人の弟は忙しい。携帯などの有名企業で働いている。まだ若いのに管理職になっている優秀な人ようだ。仕事があるので11:00に帰ることにした。


バレラン橋にて


バレラン橋全景

親友の店で、日本語勉強のための本を見せてくれた。バタムには無いのでパダンで買ったとのこと。
インドネシア人が作った本で、ぱっと見て良い本だと思い、パダンに行ったときに買うことにした。

夜またギターの兄さんと会う。ハローバンドゥン、イワンのベントーなど7曲歌って貰った。このとき妻のリンダさんも一緒に歌ってくれた。
お礼に、飲み物代も含めて4万ルピア-渡す。(ちょっと多すぎたけど、若い二人の今後の幸せを祈って)

結局、今日クリスマスだったけど、日本のような華やかな光景はなく、いつもどおりのバタムの町だった。

ギターのお兄さん。通称、(プンガメン)。
道端で、歩道橋で、屋台で、乗り合いバスで、電車で・・・。色んなところで彼らと(遭遇)出来ます(笑)。
ただ単に友人同士でギターを弾きつつ談笑しているだけのグループもいれば、演奏を(生業)としているグループもいるようで。

私がジャワへ行ったときも、たくさんの(プンガメン)を見ました。面白かったのは、ある日の夕暮れ時に乗り合いバスに乗り込んできた彼ら。
まずそのうちの一人が、「皆さん、お仕事、学業お疲れ様!」と口上を述べた後に演奏。4~5人のグループだったのですが、役割分担もちゃんと出来てる。
ボーカル担当、ギター担当、ハーモニカ担当、パーカッション(カスタネットもどき)担当、そして残る一人は、(ポテチ)のようなお菓子の空き袋を持って客席を右往左往。
(おひねり)担当でした(笑)。

チップをあげる人、あげない人、様々ですが、気分よかったので自分も100ルピアコインを(当時約1,3円)。

ちなみに乗り合いバスには(プンガメン)以外に、ギターを持たないアカペラ専門の子供の(プンガメン)、自作の(詩)を朗読する人、お菓子や果物を叩き売りに来る人、
様々な(商売人)と遭遇できます。強烈な生活臭を放ってて楽しい!!(笑) [maru]

December26,2004

[ パダンへ ]
7:50ホテルを出発し、8:20バタムの空港に着く。タクシー料金(往復)7万ルピア。
出発まで少し時間があったので、ミナンカバウについて親友に聞いた。結婚したら男性は女性方の家に入る。姓名は結婚前と同じで変わらないということだった。

さあ、もうすぐ友達の結婚式。楽しみだ。10:00ごろにパダンに到着。予ねて連絡していた友達が連れ3人と迎えに来てくれていた。
一緒に、もう一人ジャカルタから来る友達を待つ。11時ごろに友達も着いた。

これから二人のホテルを探す。12万ルピアの部屋が見つかった。部屋は大きいツインベットとエクストラベットもある。
でも、もう少し安いところにしたいので、ここは一泊だけと決めた。荷物を置いて、皆で食事と周辺をぶらぶらすることになった。
でも、7人もぞろぞろくっついちゃってたまらん。知ってる人は3人だけなのに。

ミナンカバウ人。私の初めてのインドネシアの友人もミナンカバウ人(ブキッ・ティンギ出身)です。
一般的にミナンカバウ人の男性は、学校を卒業、あるいは成人になったら家を出て自立生活しつつ仕事で成功を収め、(婿入り)するのが誉れだとか。

・・・私には真似できそうにありません。(放蕩癖)があるので婿入りなんて。 [maru]

December27,2004

[ アンコタ野郎 ]
前日,歳出チェックしたところ計画とほぼ一致。マレーシアでのマイナス分をバタム島でカバー。
今日はもっと楽しめる海辺にあるホテルを探した。でも、部屋の質に対して料金が高い。しかも一部屋しかない。
そこで、私一人ここのホテルに泊まり、ジャカルタの友達はパダンの友達の家に泊めてもらうことになった。

パダンに来てから雨ばっかり。一日中降っている。明日はブキティンギに行く予定だが、こう土砂降りばっかりじゃ行っても意味がないかもと心配であった。
また結婚式は31日にすることが分かった。大変だ。ホテルがない。
そこで明日からは以前泊まったビーチのロスメンにすることにした。ビーチ周辺には結構ロスメンがあるとのことだった。
飛行機も心配なので、1/1出発便の手配をすることにした。ホテルと飛行機の手配も済んだので友達の家を訪問することになった。
       
パダンのアンコタ(ミニバンタイプの乗り合いバス。他にベモやミクロレットなどがある)は素晴らしい。バンバン大きな音量で音楽を流す。また、車に思い思いのペイントをしておしゃれである。
まるでトラック野郎の感じだ。アンコタは好きである。みんな友達になったような気持ちにさせてくれる。急停車する度に、隣の可愛い人との触れ合いがまた良い。
友達は馬車やオジェにも乗せてくれた。どちらも初めての体験。

ホテルに戻ってから、一人海辺を散歩した。ワルン(屋台店、露店)がずらっと並んでいるが、どれもグンタン(とうもろこし)焼きが多い。
1件だけ、バナナを焼いた後ペッタンコにして、その上にパインの粉を乗せたクリープみたいなものを売っている店があったので食べてみた。
まずまずの味。特に嫌いでも好きでもなかった。

インドネシアのタクシー。当然、日本より安いです。現地の人から見れば高価な乗り物だろうけど。
私は海外でよくタクシーを使います。好きな場所で乗り降りできるから。

ただし、インドネシアではあまりタクシーは使いません。日本に無いタクシー以外の公共機関が豊富だから。
見てるだけでも楽しいが、現地の人の乗車率100%の乗り物に乗るのが、この上なく楽しいから。
ただし、「なんだか変った奴がいるなー」的な視線は全身に浴びます。

マンウオッチングだけでも楽しめるが、ちょっとひと声かけてみると、途端に相手が満開の笑顔を見せながら【無限トークショー】が始まります。
しかも知らない間に他の乗客も入り混じって(笑) [maru]

December28,2004

[ ブキティンギ 大雨の中で車故障 ]
今日はブキティンギに行く。朝から大雨。8:30にホテルに迎えに来る予定が9:30になっても来ないので、大雨だしキャンセルしてほしいと連絡する。
だが、もうすぐ着くからとの連絡。なにか起きそうな嫌な予感がした。10分後に迎えが到着。

先ずは、ビーチのロスメンに行って1/1までの予約をする。だが31日は予約満杯のため、とりあえず30日までになった。
しかも全予約日前払い。ちょっと無礼な感じがした。(60万RP/2部屋)。31日は別途探さなければならない。

荷物をロスメンに置いて、いよいよブキティンギへ出発。10:30ごろから、うそのように晴れてきた。12:30に昼食、パダン料理を食べる。
6人で7400RP(約1000円)。ここで、ジャカルタの友達は鋭い。2品多く計上されていたのを指摘。請求書の間違いを訂正させた。

昼食が終わってから、いやな予感が当たりだした。エンジンが動かないと言ってきた。私はバッテリー液が不足しているんじゃないかと指摘。
案の上、バッテリーに液がない。でも液を補充したものの、まだ動かない。こりゃ大変だ。
別の車に引っ張って貰って、やっとエンジンが掛かった。      

でも、いつまたエンストするか心配であった。その心配がすぐ後に起きた。
勾配のきつい山道になり、また大雨が降り出してきたとき、最悪のエンスト。
危ない。次々に車が通る。男友達に、運転手が大きな石を後輪に当ててくれと頼んだ。土砂降りの中、友達も必死に大きな石を探した。
ずぶ濡れになりながら、石を抱えて後輪に当てた。これで、車がずるずる滑り落ちることはない。ちょっとほっとした。

でも、タンクロ-リー車、ダンプなどいろんな車が、私達の車の右側を上から下から交互に通って行く。また、バイクは車の左側を通って行く。危険な状態はまだ続いていた。 
こんな山の中、近くに家らしきものが見当たらない。だが、不思議に私達を待っていたかのように、一人の大きな男性がいた。
彼は交通整理をしてくれたり、警察に連絡して修理会社を呼んでくれたりした。

約30分くらい待っただろうか。やっと修理工場の人達が来てくれ、牽引して工場まで運んでくれた。
バッテリーと周辺部品の交換に2時間ぐらい待った。料金は50万ルピア。安い。
友達は新車だと言ってたが、とんでもない中古車を買わされたんだろうと思った。

友達は私にお金を出すように言う。はじめ意味が分からなかった。
人の車なのになぜ50万ルピアを私が払わねばならいのかと。逆に迷惑料としてチャーター料金を安くしてほしいと文句を言う。
だが、運転手はお金持っていないからだと言う。私はチャーター代金35万ルピアを渡した。
残り15万ルピアはジャカルタの友達が10ルピア、パダンの友達が5万ルピア出したようだ。

再出発。でももう暗くなりかけていた。とりあえず、プンドカンドゥン公園に向かった。
まだ入場は出来たが、暗くて写真撮影出来ない。また、2階に上がれない。たったの10分ほど居ただけになった。
私はブキティンギの時計台のプリントTシャツを買いたくて楽しみにしていたが、もう無理だと諦めた。

次に、パダンの友達の友達に会いに行った。家は伝統的な水牛の角をした屋根だった。可愛い娘だ。
でも声が超ハスキーボイスでビックリした。彼女も乗せて、もう一人の看護学校に寄宿生活している私の友達に会いに行った。
女の園に男が入って良いのかと気になったが、全く大丈夫だった。入口近くの園内で手を繋いだアツアツのカップルがいた。

約1年振りの再会。彼女は失恋したけど、今元気に勉強しているようだ。そんな彼女に会えて嬉しかった。

時間にゆとりの無い短期の旅行なら観光バスのツアーも楽しいですが、ツアー旅行では味わえない悪戦苦闘の移動。
これも長期旅行ならではのハプニングで、後々に笑って語れる貴重な体験だと思います。

日本と違って、(車検)制度が無いインドネシア。当然メンテナンスはセルフで(笑)。

私の何回目かのバリ島旅行は2週間ほどでしたがレンタカーを借りました(1,500円/日。ジムニー)。
その車、走行中どころかアイドリング状態からすでにファンベルトが悲鳴を上げてました(笑)。タイヤはツルツルだし。

そのレンタカーに乗って、友人と待ち合わせた場所へ行ったときに、現地のかなり手前から自分が来たことが分かったとか。
友人曰く、「車がキュルキュル鳴いてたからわかったよー!」。

「・・・・・・・・・・。」

[maru]

投稿者 maru : 05:58 PM | コメント (0)

February 14, 2005

東南アジアひとり旅~macan編~【4】

macanの~ひとり旅~第4弾!
マレーシア・シンガポールと駆け抜け、いよいよ(インドネシア)編です。
個人的にも、もっとも楽しみな所です。

「yuk,kita nikumatni bersama(さぁ、一緒に楽しみましょう)!!」

December21,2004

[ 名刺を作る ]
今日は休憩。観光せずにホテル周辺をぶらぶらする。
友達は二人でロビンソンというビル内で小さな店を始めていた。カレンダーや名刺、招待状などをパソコンでアレンジする仕事。
結構良い商売になっているようで、忙しそうだった。でも、実際に忙しいのは、パソコンで作業している相棒の方で、友達は忙しそうにしているだけに見えた。

その親友に、私の名刺を作ってほしいと頼む。
今無職で、今後どうするかも決めていないが、とりあえず思いついた旅行コンサルタントを仕事として、以前ソロ駅でジャワ演奏の人達と一緒に写した写真を貼り付けてもらうことにした。
インドネシアに行くとき、ひょっとしたら必要になるかもと思い、好きな写真や皆が写っているものを持って来ていた。

その後、友達の店の近くの携帯屋さんで、以前ジャカルタで買った携帯に7万ルピア払って、5.5万ルピア分の通話が出来るようにしてもらった。
(一回のメールで350ルピア程度使用するそうだ)
この携帯屋さんもパダン人で、ここバタムには沢山いるらしい。
パダン人は中国人みたいに商いの好きな人が多く、いろんなところでパダン人が活躍していると聞いた。

ロビンソン、自分もジャワ島などへ行くとマタハリと共によくブラブラするところです(現地のショッピングセンター)。
タイにも同じ名前の(ロビンソン)というショッピングセンターがあるのですが、同じ系列なのでしょうか・・。

余談ですが、自分の好きな歌の中に、スピッツの”ロビンソン”があります。
歌詞の内容を見ても、どうして題名が(ロビンソン)なのか分からなかったのですが、以前見たテレビで判明。
スピッツのメンバーがバンコクへ行ったとき、ショッピングセンターの(ロビンソン)が好きでよく通ったから、とのこと。
そのうち、(マタハリ)なんて曲もでたりして(笑) [maru]

December22,2004

[ ナゴヤ ]
26日にパダンに行くことにした。今日飛行機のチケットを購入。28.6万ルピア(約3800円)
結婚式が30日なのか31日なのかはっきりしない。難しい時期である。
31日なら、その晩宿泊できるか心配である。本当は、ジャカルタかシンガポールで大晦日を過ごしたいんだけど。

昼から友達はバタムの町ナゴヤを案内してくれた。白タクが多い町。アンコタに音楽がない。オジェ(バイクタクシー)の誘いが多い。ベチャがない。
あちこちで建設工事が行われている。大きなショッピングモールが分散してある。外国企業エリアがある。

夕方にパンタイ(ビーチ)に行く。涼しい。バタムは本当に涼しい。風が適度に吹いている。日本の初秋の感じ。とても常夏の島のイメージじゃない。快適だ。
親友は、明日早くもう一度こようと言う。船に乗って島に行こうと言う。なんでも船上生活の村があるとか。

インドネシアに自分の生まれ故郷、(ナゴヤ)という地名があると知って「いつかは行かねばっ!」と思ってます。
その後、図書館で借りた本で調べたらバタム島、随分とリゾート開発が進んでいるようで、昔ながらの風景、というのが少なくなってきているようですね。

現地の人にすれば、今より便利な生活を望んだりするのは当然で、「開発して欲しく無い」とか「昔ながらの~」を望むのは自分達のエゴかもしれませんが、ふと寂しくなるものがあります・・・。 [maru]

December23,2004

[ 日本語の先生に ]
親友は朝8時に迎えに来た。船の料金は2時間ぐらいで5万ルピア。安い!
船上生活者の様子を間近で見れるなんて思いもしなかった。
タイとかカンボジアとかでは有名なので、TVやガイドブックで知っているけど、こんな所に何故あるの?と不思議な感じがした。

外から眺めるだけかと思ったが、村の中に入れてくれた。決して綺麗なところじゃない。貧しい生活だと感じる。
でも、子供達からお金ちょうだいなんて言われないので少しほっとする。この船上の村に、モスクや学校や病院まであるとはビックリした。
村の中をぐるり見学していると、おばちゃんがにこにこ笑いながらハロー、ハローと声を掛けてくる。みんな貧しいけど、心は豊かだ。


船上生活の村


ナゴヤ方向に見えた船のビル

日本語の出来るインターネットカフェを探す。ホテルに近いところに、Yen Yen'S Internet Cafeという店があったので入った。
始め日本語が出来そうになかったが、触っているうちに出来た。
一方、別のちょっと遠いところに友達がよく利用している料金の安い店がある。
私も何度か利用したが、そこは表示は日本語ができるが入力が出来ないのである。この旅行中、初めて日本語でカキコできて嬉しかった。

今日は木曜日。夜は友達が日本語先生をする日であった。生徒から、是非日本人を見たいとの希望があり、来てほしいと頼まれた。
生徒は美人ぞろい。ひとりだけ男性がいた。最初の自己紹介で、いきなり女の子が「私日本人になりたい」と言い出したので、戸惑ってしまった。

一時間ほど、私の名前の紹介、日本について紹介する。残り一時間で日本の歌で勉強。
五輪真弓とキロロの歌。皆上手だ。私の日本語も理解しているようだ。インドネシアでは五輪真弓は大変人気があると聞いた。
そういえば、前回ジョグジャに行ったときも、インターネットカフェで五輪真弓の音楽が流れていた。

五輪真弓・・・。
初めて行ったバリ島でも、さんざん耳にしました。
現地のバリの友人に聞いても、もっとも有名なのは五輪真弓という返事(最近は上田正樹らしい)。
なんでも昔、(心の友)という歌がインドネシアでヒットしたらしく、丁寧にアカペラで歌ってくれる友人。
「♪あなたぁ~から、わたしぃ~へと・・・」

・・・やっぱり私はその歌知りません(笑) [maru]

December24,2004

[ リンダ と リョン ]
ホテルから歩いて2分くらいのところにパサール(市場)がある。毎朝、沢山の人で活気がある。
今日はクリスマスイブ。そのパサールをぶらぶらしていると、子供が母親にトランペットをねだっていた。
私は母親に、「何時吹くの?」と聞くと、「明日」と答えた。「どこで?」と聞くと、指であっちと方向を指しながら場所名を教えてくれたが、よく分からない。
私は新年を迎えた時だけに吹くものと思っていたので、クリスマスにも吹くのかと初めて知った。
そのお母さんは、カトリック教徒で、私に教会に来ないかと誘っているようでもあった。私も後で一つ買ってみた。3000RP(約40円)


トランペット売り

pm3:00に以前からの顔見知りの2人(恋人同士)が友達の仕事場に押掛けてきた。
私がバタムに来ることを教えて貰らえなかったことに怒っていた。
彼女の方は、初めて私がインドネシアに行った時、ジャカルタの娘と一緒にジョグジャやバリに同行した娘である。
明日6人(この二人も一緒)で、友達の弟の車でドライブすることになった。

夜インターネットをした帰りに、流しのギターの兄ちゃんが暇そうだったので、歌をお願いした。
私がCDの歌詞をカバンから取り出して、あれもこれもとお願いしたら、近くにいた女性が寄ってきて兄さんを手助けしだした。
女性に兄さんのフレンドかと聞くと、ハズバンドという。二人は若い夫婦で学生であり、カトリック教徒であった。
彼女の名前はリンダ。彼氏の名前はリョン。とてもフレンドリーに感じた。
お礼に2万ルピアを渡す。(友達に聞くと、1曲1~2千ルピア渡すそうな)ちょっと多めに渡したけど、女性がよく話相手になってくれたから良いや。

ここしばらく私は中国方面への旅行が主になっていて東南アジア方面へ行ってません。
しかし、屋台や街角の活気、喧騒などは同じアジアなんだなぁ、と実感できます。

けど、青い海と椰子の木などを目の前にすると、つくづく「ここは海外だぜっ!」と実感できるのも南国特有のゆったりした気候と時間の流れがあるからかなぁ・・・。 [maru]

投稿者 maru : 02:06 PM | コメント (0)

January 23, 2005

海外旅行デビュー【18】

片側4車線ほどあるバイパスらしきところを20分ほど走ると、サヌールという街に入った。
バイパスから路地に入ると、安宿やレストラン、屋台などが軒を連ねている。
レストランなどの店の前では、バリ人女性が民族衣装を着て客の呼び込みをしていた。

自分は地元の人などが利用しているような屋台や市場などで食事をしたかったのだが、アブディが連れて行ってくれたのは、レストランだった。
結構有名なレストランのようで、広い駐車場に観光バスが何台か泊まっている。

名前は「ペンジョール」。
レストランの敷地内に入ると、建物の中以外に、外にある大きな庭のようなスペースにも客席が作られてあった。
外の客席に面して結構広めのステージが。
このレストランでは、決まった時間になるとバリ舞踊や民俗音楽を聞かせてくれるショーなどがあるようだ。が、ストリップはないので。念のため。

外の客席に陣取り、初めて目にするバリ舞踊も悪くないな、と思い早速ビールを注文する自分達。
ここ、インドネシアでは、(ビンタン)というビールがもっともメジャーなようだ。
他にもバリ島で作られている(バリハイ)、マレーシアの(アンカー)などもあるようだがアブディに勧められるままにビンタンで乾杯!

 ☆余談だが、このビンタンビール。インドネシアがオランダに統治されていた時代に製造法などが伝わったようで、オランダのビール、(ハイネケン)と味が非常に似ている。
  また、ラベルが緑なのも同じだが。

ビールに続いて、メニューを開いてみる。インドネシア料理に対する予備知識は無かったが、写真を見ても違和感は無かった。
チャーハンのような(ナシ・ゴレン)、焼そばもどきの(ミー・ゴレン)、ラーメンみたいな(ミー・クア)など。
屋台などで日本では味わえないような(ゲテ)ものを期待していたのだが、肩透かしを食らったような感じになるほど普通の料理しか無かったのである。

何本目かのビールを飲みつつ、ナシ・ゴレンとミー・ゴレンを注文するオレ。

やがて運ばれてきた料理は、自分の大好きな唐辛子がふんだんに使われており、一口食べるごとにビリリッ!と往復ビンタを食らったくらいの刺激を与えてくれる。
気温の暑さとあいまって汗だくになってたら、鉄琴のような金属音が聞こえてきた。

「ガムラン」である。

サイズは小さいのだが、鉄琴のように金属の板が数枚並べられており、それをバチで叩いているようだ。が、鉄琴のそれより音が柔らかく、聞いてても心地よい。
やがて音色にあわせて数人の女性が民族衣装を着て、手にした小皿から花びらを撒き散らしながらステージに現れた。(レゴン)というバリ舞踊のようである。

心地よい音色に耳を洗いつつ、スレンダーな女性が見せる妖艶な腰つきに目を奪われているオレ。
音楽やダンサーについてアブディに色々聞こうと思ったら、細い目を更に細くしてビールを飲み続けているアブディ。

「オッ、ホッホッホッ・・・maruさん、かんぱいねー!」

その後、競うようにしてテーブルの上にビールの空瓶を並べていく自分達だった・・・。

○ビンタン(bintang)=星。
 ナシ・ゴレン(nasi goreng)=揚げご飯。ナシ=ご飯 ゴレン=揚げる
 ミー・ゴレン(mi goreng)=揚げ麺。ミー=麺 =揚げる
 ・・・このようにインドネシア料理は具の名前に続いて調理法を並べた呼び方が一般的だが、ナシ・ゴレンもミー・ゴレンも(揚げる)よりは(焼く)方が
 名前で直訳しても適していると思うのだが。
(焼く)はバカール(bakar)なので、ナシ・バカールとかミー・バカールのように。直訳すれば(焼き飯)に(焼きそば)になるし。笑。

投稿者 maru : 08:14 PM | コメント (0)

January 17, 2005

海外旅行デビュー【17】

これから夕飯という事でホテルを出て、アブディの車が停めてある駐車場へ。
「なんか、見たことのある車だな」
それ程深い予備知識も無かったので、こっちで走っている車は当然、メイド・イン・インドネシアだと思ってたら・・・。

「オッ、ホッホッホッ・・・さ、ノてくださーい!」

と案内された車はジムニーだった。
正確に言うと、ここバリ島では名前は違っていて(ジムニー)ではなく、(KATANA)という大きなエンブレムが自己主張していた。

あらためて駐車場を見渡すと、停めてある車のほとんどが日本車だ。しかも日本とは違う名前の。
ジムニーは(KATANA)だし、ワゴンRは(KARIMUN)、しかも日本では見たことの無いトヨタの(KIJAN)、三菱の(KUDA)なんてものまである。

・・・いきなりビックリ箱を開けたようで楽しかったが、車よりも更に多くの数のバイクが目にとまった。

ここバリ島は車よりバイクの方が庶民の足として使われているようである。
そういえば空港からホテルへの道のりでも、自分達の乗ったツアー会社のバスの両側を無数のバイクが、
蟻の行列のようにまるで何かに急き立てられているかのごとく駆け抜けていってたな。
しかも信号待ちで止まると、前の車とのわずかな車間にもほんの少しのスペースを見つけると、続々とバイクが集結してくるし。

ビックリしたのは(5ケツ)である。
おそらくその家族全員だろうと思われるが、運転手はお父さんである。多分。
で後部座席にお母さん。背中には赤ちゃんをおぶってる。しかも頭の上にでっかい荷物を乗せてるし。
そいでお父さんの前にちびっ子ひとり。お父さんとお母さんの間にひとり。計5人がバイクに乗って移動中。もちろんノーヘルである。

・・・ここって白バイいないんですか?

話はそれたが、そのバイク、これも日本では見たことの無い、カブとスクーターを足して2で割ったようなもので、ほぼ日本製。

アブディに尋ねたら、
「ヤマハ、イチバンねー!オッ、ホッホッホッ・・・」

こうして一路、暗くなった街をレストランのある(サヌール)という所へドライブです。

○キジャン(KIJAN)=鹿。
 クダ(KUDA)=馬。

 ・・・車の名前に動物。シンプルすぎて笑った。

投稿者 maru : 08:07 PM | コメント (0)

January 13, 2005

海外旅行デビュー【16】

チェックインも終わり、とりあえず部屋に行きストリップショーの主役にでもなったかのように即行で旅装を解く自分達。
今回、自分達が泊まるのはナトゥール・クタ・ビーチホテルという所である。

このホテルはバリ島の繁華街、(クタ)にあり、その中でも中心部といえる(マタハリ・クタ・スクウェア)の入り口まで歩いて2~3分という所である。
しかも、ホテルのプールからビーチまで地続きになっており、ロケーションは最高である。
その上にホテル内には自分たちの乗ってきた航空会社のオフィスまであった。

今では必要無いのだが、当時は(リコン・ファーム)という帰国する際の航空券の再予約が必要だったのだが、
自分達が乗ってきた(ガルーダ・インドネシア航空)のオフィスまで出向く必要がある。
当時、バリ島内にはガルーダ航空のオフィスはバリ州の州都、(デンパサール)か、バリ島の空港内、そしてこの(ナトゥール・クタ・ビーチ)内の3つしかなかった。
そういう意味でも、このホテルは自分にとっては5つ星どころか、流星群を投げかけたいくらい満足のいくホテルだった。(当時3つ星だが)
このホテル、今では(インナ・クタ・ホテル)と名前は変更されているが。

話はそれたが、この後アブディが夕食がてら、街を案内してくれるようである。
安いのはもちろん、辛いもの、変わった味のもの、そして屋台!!を想像していた自分はたかが夕食に心躍らせていた。

マタハリ(matahari)=太陽。 マタ(mata)は”目”、ハリ(hari)は”日”の意。(matahari)は”日の中心”という造語だろうか・・・。
 デンパサール(denpasar)=北の市場。 バリ語でデン(den)=北 パサール(pasar)=市場。

☆前にも書いたかもしれないが、インドネシア語はローマ字表記である。
 インドネシア語が分からなくても、文字を読むのに日本人に適しているのである。
 また英語のような(be)動詞等存在しないのでとてもとっつきやすい。
 
 今後、文中のインドネシア語の単語等、数例紹介していきたいと思います。

 注:中国のようにインドネシアも多民族国家で、島ごとや地域ごとに色んな民族がそれぞれの言語を使っており、(ジャワ人=ジャワ語、バリ人=バリ語等)
   公共の言語としてインドネシア語が使われている。元はマレーシアなどでも使われている(ムラユ語)が語源である。
   イスラム文化や、列強諸国の商人が東南アジア地方へ進出してきたときに、誰でも覚えやすい言語を、という事で(ムラユ語)が広まった説もあり。
   インドネシア語関連の本を読んでも、(世界の共通語を英語からインドネシア語にすれば、コミュニケーションできる人の数が膨大な数になるだろう)、
   と書いてあるほど馴染みやすい言語なのである。
   事実、今回の旅行後3ヶ月ほどで日常会話が話せるようになってるし。オレ。

投稿者 maru : 09:12 PM | コメント (0)

January 12, 2005

海外旅行デビュー【15】

空港出口へ向かうと、無数の人の顔や手のひらがガラス越しにべったりと映し出されていた。
出迎えではなく、時間をもてあました現地の人が、暇つぶしにこちらをマンウォッチングしているようだ・・・。

異様な光景にいささか驚きながら出口を過ぎると、多数のツアー会社の係員や現地の人が、観光客の名前をローマ字で書いた紙を振り乱しながら、獲物を探してるかのような熱い視線を観光客にとばしていた。鋭い眼光を全身に浴びながら初の南国に降り立つオレ。暑いのはさておき、違う意味で汗をかいていた様な気がします・・・。

「オッ、ホッホッホッ・・・」

変な笑い声が背後に聞こえてきたと思ったら、カトちゃんが変な笑い声の主と抱擁していた。
どうやら以前のバリ島旅行で知り合った友人らしい。名前はアブディ。29歳(当時)。自分と同じ年である。
自分もアブディと自己紹介しながら、初めての外国人との握手をする。なんか感動した一瞬だった・・・。

このとき以後、同じ年というのもあり意気投合して、なんちゃってインドネシア語を駆使しつつアブディと親交を深めたのだが、今ではもう会うことも出来ないのである・・・。
と、当時はそんなことになるとはつゆ知らず、初海外で浮かれている自分だった。

アブディは車で空港に来たようで、自分達をホテルまで送ってくれるらしい。が、
ツアー会社の係員も自分達を迎えにきているので、とりあえず係員を見つけホテルまで送ってもらう。
車内で現地の両替方法や買い物時の注意点などの簡単な説明を受けていると程なくホテルへ。
カウンターでパスポートを出しチェックイン手続きをしている間ロビーを見渡すと、水着のまま歩いている金髪ねーちゃんがやたらと大勢いた。

普段見慣れない光景にますますエレクトしてくるオレ。

・・・カトちゃん、リミッターはずれそうなんですけど。

「オッ、ホッホッホッ・・・」

カトちゃんを見やると、変な笑い声の主と談笑していた。

投稿者 maru : 09:24 PM | コメント (1)

November 10, 2004

海外旅行デビュー【14】

眼下に広がるのは、地図の形どおりのバリ島の景色だった。

機内アナウンスで、まもなく着陸態勢に入る旨を告げられ、シートベルトをして最後の一服をするオレ。
目の前に広がる景色をボーッと見ながら、考えるとも無くあれこれ空想していた。

「この景色の中には今まであまり接触した事も無い外国人がうようよしているのか。楽しみだぜ!日本人はどれくらいいるのか・・・。まてよ、当然、欧米からも観光に来ている外人はたくさんいるに決まってるし、
ここは外国だし、やっぱ世界の共通語の英語でコミュニケーションをとるのが普通か?もし、酒を飲んで酔っ払った時とかに、ヤンキー共と喧嘩になったら、身体の小さい自分は不利だな。
そいで、怒鳴るときでも英語で言わなきゃいけないのか・・・。
あまり英語はわからないし、向こうが英語で矢継ぎ早にパンチを繰り出してくるのに対して、自分は、「・・・ファーッキュ~!!」などと、イチイチ英語に訳して攻撃しなきゃあかんのか。めっちゃ不利やん」
・・・などと、お馬鹿なことを考えたりしていたら、飛行機はすでに空港の滑走路に入ろうとしていた。

ほどなく着陸した飛行機から見える景色は、自分達を待っててくれたかのような、見事な夕空である。夕日のシルエットになっている椰子の木が、いやがうえでも南国に来た気分にさせてくれる。
滑走路をゆっくりとターミナルを目指して走る機内から外を見ていると、子供の頃の遠足の時、電車の窓側にへばりついてワクワクしながら車窓を眺めている気分になった。何故か、滑走路を横切って歩いていく野良犬の姿が見えた・・・。

やがて飛行機も止まり、ターミナルブリッジから空港内へ行くのかなと思いきや、飛行機から一旦、外へ出てバスに乗ってターミナルへ行くようである。
一歩、飛行機から足を踏み出せば、初めて味わう爽やかな南国の風。
・・・そんな淡い初恋のような気分で外に出た瞬間、モワッ、としてねっとりと己の身体に絡み付いてくるような湿気交じりの生暖かい空気が、オレの全身をコーティングした。
しかも、排気ガスが混じったような、嗅いだことの無い甘い香りも漂っている。しかし、乗客以外の空港職員を見ると、今まで見たことも無い様な人種がたくさんいる(あたりまえである)。
「ここは外国なんだ!」と初めて日本から脱出した嬉しさが再びこみ上げてきて、妙にひとりでソワソワしているオレ。なんか、楽しいっす、カトちゃん、ナベちゃん!!

飛行機のタラップを降り、しばらく待っていると40人くらい乗れそうな大きなバスが迎えに来た。
が、定員以上の人数を無理やり空港職員に押し込まれ、詰め合わせ1パック198円!のような特売価格状態でぎゅうぎゅう詰めのバスに乗ってる自分達。バッグ担いだ肩が痛いっちゅーの!
「あ、こら押すなー!!かばんの中の煙草がつぶれるだろ!」と無言で叫びつつ、えび反りの体勢で無心にバスが止まるのを待つオレ。
・・・しかも、これだけ車内が混み合ってるのに、両開きのでっかい昇降口の扉、開けて走るのやめない??

ただでさえ熱いのに、まるで蒸し風呂状態のバスからやっと解放され、ターミナル内へ入る自分達。
日本を出てきたときと同じように、入国審査官の目をじっと真顔で凝視していたら、「お前、めっちゃガンくれとるやん。審査官を敵にまわすと面倒だぞ」。とコメントするカトちゃん。
「・・・だって、ガイドブックに、(難癖つけてきて、袖の下を請求してくる審査官に注意!)って書いてあったもん。ナメられたらあかんと思って・・・」となにか勘違いをしているオレ。

その後、ターンテーブルの前でしばらく自分達の荷物が出てくるのを待ちながら、あたりを見ていると、なにやら制服のようなものを着たおにーちゃんが、人の荷物を勝手に持ち上げ税関のほうへ歩いていこうとしているではないか。
何かと思ってカトちゃんに聞くと、どうやらポーターのようである。距離にしてターンテーブルから税関までわずか数十メートルしかないのだが、愛想笑いを振りまきつつ、半ば押し付けがましい親切を醸しだしながら客の荷物を勝手に運んでいき、
税関の前まで来るとピタッ、と止まり真顔で「500エンネ!」と言って右手を差し出してくるのである。そんな様子を見て、なぜか笑っているオレ。
ある程度のインドネシアの情報は本などで調べたりはしてきたが、細かい日常の事や、生活習慣などはまだまだ知らない。ここで健気に小遣い稼ぎをしている職員を見て、「商魂たくましいっすね。頑張れよ、にいちゃん!」と思ってしまう。

これが、オレの荷物を勝手に持っていこうとしたら、「コラ、人の荷物を勝手に何やっとんじゃー!」となるが。

税関も無事にくぐりぬけ、いよいよ送迎用のゲートである。といっても、バリ島の空港の送迎用のゲートは建物の外にあり、客を迎えにきた人は、建物内へは入れないようになっていた。ここ、バリ島に冬が無いのが幸いである。
今日ここには、ツアー会社の現地係員が迎えに来ているのだが、その他に以前、カトちゃん、ナベちゃんがバリ島に来たときに知り合った人も自分達を迎えに来ているようである。
外に出て、早く現地の人や色んな外国人の顔を見てみたいと、嬉しさと期待に胸を(サタデー・ナイト・フィーバーのジョン・トラボルタ)並みに躍らせながら、出口の方を見やると、ガラスで出来た壁一面に、異様な光景がうつしだされていた・・・。

投稿者 maru : 05:13 AM | コメント (0)

September 27, 2004

海外旅行デビュー【13】

「父さん、7時間のフライトは長いと思われ・・・。」

黒板五郎と会話しているかのごとく、一人つぶやくオレ。ディスプレイに映されている現在位置は、フィリピンを越え、太平洋の上空を飛んでいた。まだ、行程の半分くらいだ。

窓から下を覗いても、海、海、海、ひたすら青い海が見えるだけで、時々、地図に載っていないような小さな島が、真っ白なシーツに少しだけついてるヨダレの痕、の様に自己主張しているだけだった。これでは、いくら景色を見るのが好きな自分でも飽きてしまう。
気圧の関係からか、地上で飲んでいるより酔いも回って、いつしか睡魔に襲われるオレ。

国内ツアーではよくバスを利用していたが、やはり長時間バスに乗っていると、睡魔に襲われる。が、「ここで寝ると、景色が見れん。・・・勿体無いっ!」と目をこすりつつ、半ば意地で睡魔と闘っていたものだが、今は景色なんて海しか見えないので、寝ることにした。言うまでもなく、ナベちゃんは爆睡中だ・・・。

このナベちゃん。とにかく趣味は早寝かっ!?と聞きたくなるくらい、早く寝るのを、こよなく愛しているのだ。飲むと尚更である。
地元で飲んだりしても、真っ先に帰るのはナベちゃん。友人の家で飲んでも、知らない間にいなくなってるのはナベちゃん。・・・たまに、部屋の隅で寝てたりするが・・・。
普段でも夜の9時以降に携帯電話をかけても、出やしない。・・・すでに爆睡中である。で、朝も暗いうちから起きて、洗車にいそしむのである。それも毎日。
そういえば、ナベちゃんの車が汚れているのを見たことが無いな・・・。

ガイドブックをめくりながらビールを飲んでるカトちゃんに、インドネシアの島が見えたら起こしてくれるよう頼み、つかの間の安眠をむさぼるオレだった。

・・・目が覚めて、(結構長い時間寝たのかな?)と思い、時計を見ると、まだ30分しかたっていなかった。

昨夜は2時間も寝ていないので身体はダルイが、頭は結構冴え渡っていた。
バリ島に着陸するまで、まだ2時間ちょっとあるので、再びインドネシア語の単語を叩き込もうとガイドブックを手にするオレ。たまにバリ島の地図を見ながら、カトちゃんにバリ島のオススメスポットなどを聞いたりしていた。

眼下にようやく大きな島らしきものが見え始めた頃、ディスプレイを確認すると、知らない間にインドネシア上空に入っており、バリ島も目前に迫っていた。

ここに来て、なにやら運動会の時のブラスバンドが自分の中で行進を始めていた。
(おぉ~っ!!いよいよ初海外上陸かっ!!)
身体のダルさも、ビールの酔いも、頭のフケも(無いと思うが)、全て飛び去り、メートルも上がろうか(古い表現)、としているオレだった。

・・・ちなみにナベちゃんはまだ安眠をむさぼっている・・・。

投稿者 maru : 08:55 PM | コメント (1)

September 22, 2004

イスラム国家:インドネシア情報その1

インドネシアは2億人以上の人口の9割を占めるともいわれる、世界最大のイスラム国家である。

インドネシアへ初めて訪れたのはバリ島である。
バリ島は、インドネシア政府が認めている宗教(法で、宗教を信仰するよう義務付けられている。国民のすべてが持っているIDカード、身分証明書に何を信仰しているか、の欄がある)には、イスラム教、キリスト教(プロテスタント、カトリック)、ヒンドゥー教、仏教、の5種類があるが、バリ島はインドネシアの中では珍しく、ヒンドゥー教である。
(昔、ヒンドゥー国家だったインドネシアだったのだが、インドネシア東部、今のスマトラ島方面からイスラム主体の軍が攻め込んできて、当時隆盛だったマジャパイト(ヒンドゥー)王国を撃滅。
追いやられたマジャパイト軍は、スマトラ、ジャワ、を経て、西のバリ島へ移動していった。)

何回かバリ島を訪れていて、現地の人の、普段の生活の中に宗教が入り込んでいるなぁ、と感じていた。
朝のお祈りに始まって、日本で言うお盆のような風習があったり、結婚、葬式、縁起事の日取り決めなど、宗教にのっとって決められている。(これは日本でも同じだが)
また、バリのカレンダーには、日付の中に、今日はどこどこで、お祭りがある、田植えをするならこの日etc...事細かい情報が網羅されているのだ。

☆バリヒンドゥー、及びバリカレンダーについては、後日書きたいと思います。

で、バリ島で滞在していても、テレビとかで放映されるのは、イスラム教徒の多いインドネシア、やはり首都ジャカルタのあるジャワ島で製作されたものが大半なので、1日5回のお祈りが義務付けられているイスラム教のお祈りの時間になると、各局が(お祈りを始めましょう)みたいな番組を流すのである。これが断食月となるともっとすごいのだが。
また、断食の時期が近づいてくると、各スーパーでは、断食前の買い溜めを狙って商戦セールを始めたり、日本で言うメッセージカード(クリスマスやバレンタインのときに良く見るやつね)を扱ったり、またテレビでは、断食を奨励するCMなどが流されたりしていた。
選挙でもイスラム教信者の政党があるくらい、(イスラム)がインドネシアの人々の中に根付いていたのである。

寺院めぐりが好きでも、普段は無神論者の自分だが、人々の宗教に対する様を見て、妙に感心していた自分だった。これも、海外へ来なければ分からなかったことだ、となにか新たな財産が自分の中に出来たようで、単純に喜んでる自分だった・・・。

3回目のバリ島旅行で、しどろもどろながら現地の人と会話でコミュニケーションを取れるようになっていたので、たまたま泊まった安宿のスタッフと仲良くなり、彼の休日に彼の実家(田舎)へ招待された。
彼の実家はバリ島でも西部の方で、ジャワ島に近いので、バリ中心部や南部、東部など他の地域では余り見かけることの無かったムスジッド(モスク)がたくさんあった。
聞くところによると、ジャワ島に近い影響なのか、イスラム教徒が多数いるようなのだ。

で、彼の実家にお世話になり、彼の友人を紹介してもらったり、村の集会所みたいなところにお邪魔して井戸端会議に出席したり・・・初めて海外で(ウルルン)もどきを体験した自分だった。今までのツアーにはこんなプログラム無かったし(笑
img021.JPG


(ウルルン)もどき体験

現地のお宅で食事
現地の人と井戸端会議
現地での結婚式&お葬式に参加
村に唯一のショッピングセンターで、物珍しいものを見るかのように多数の人に凝視されながらの夕食
トイレには紙がないので(手動ウォシュレット)ハンドシャワーと左手でお尻の清掃(慣れると最高です!)
川で入浴&トイレ
田んぼで水牛と戯れる・・・

・・・列挙するといとまがないので本題に・・・(汗

彼に紹介してもらった友人も大半の人がイスラム教だった。この後、何度もバリ島を訪れたのだが、このときを境に知り合った人もいる上、日本では体験できない何か、を期待して決まってこの村へ来るようになった自分。この頃が、宗教に関して興味を持ち始めた自分だった。

投稿者 maru : 07:06 PM | コメント (0)

September 21, 2004

海外旅行デビュー【12】

食事タイムも終わり、何本目か忘れたが飲み続けているビールに酔いしれながら、やがて目にするであろう異国に想いを馳せている自分だった。

機内の上部に取り付けられたモニターには、現在の時刻、現地時刻、気温、高度、巡航速度のほかに、今、どこを飛んでいるのか分かるように地図が表示されていた。
地図を見ると、今は台湾を少し過ぎフィリピンに指しかかろうとしていた。と、いきなりアナウンスと共に、シートベルト着用、及び禁煙ランプが灯った。
(ん?)と思っていたら、しばらくしてからいきなり機体が揺れ始めたのである。(おぉ、えらいこっちゃ~!!)と思い、シートに踏ん張りつつ外を見ると、飛行機の羽根がワッサ、ワッサと揺れているではないか!!

(おい、おい!羽根がもげちゃうよ!!)と冷や汗をかきつつ、思わず自分の真上、手荷物が収容してあるアタッチメントを見る俺。

テレビで見たことがあるが、いきなり酸素マスクとか降りてきて、スッチーがなにやら説明し始めるんかいな!!と真剣に顔をこわばらせる始末だった。
前に座っているカトちゃんに、「何これ!!大丈夫やの?」と叫ぶように聞いてみたら、すっかり酔ってるカトちゃんは、「いつものことやて~。飲め、飲め~!!」とのたまっていた。

不安を覚えつつ、色んな想いを巡らせていたらインドネシア語、英語に続いて日本語でアナウンスがあった。どうやら乱気流のところを飛行しているようで、こんなことはよくあるらしい。
乱気流なんて体験した事のない自分は、28年(当時)生きてきてベスト1!と思えるくらい恐い体験だった。・・・今でもインドネシアへ行くと、きまってその地点は機体がよく揺れる。もう慣れたからいいけど。

・・・その後、ひたすらビールを飲みつつ、モニターに映りだされる地図と、窓から見える景色を見やっていたら、知らない間に空想モードに入っていた。
(・・・目の前にフィリピンが見えるぞ。・・地図の通りの地形やんか・・・。海、真っ青だし・・・。あ!もうちょっとしたら赤道越えるやんか!・・・あいつにもこの景色を見せてやりたいな・・・)などと、旅行前に分かれた彼女の事を想ったりしていて、センチになってる俺だった。

《☆赤道越え。初海外で初体験である。赤道、というくらいだから、その地点に赤い道でも走ってるんかいな!?と思っていたら、そんなものは無かった。が、人工的につくられたものであろうと思うが、素材はわからないが赤いものが海上を走っていた。あれは布か、あるいは海底に作られた赤い建造物か知らないが確かに赤い線が目の前にハッキリと見えた。これには感動してしまった・・・。で、南半球に行くのも初海外にして初体験だが、太陽も普段生活している日本、しいては北半球と違い、西から昇って、東に沈むのである。これには正直驚いた!!地球は広いのだなぁ~、と妙に感心してしまい、哲学的になる自分でした。・・・・・・・・・・なんてのは、赤道の話だけに真っ赤な嘘である。信じないように。》

投稿者 maru : 08:34 PM | コメント (0)

September 17, 2004

海外旅行デビュー【11】

飛行機に搭乗してからは、あまり飲んでなかったので腹がへっていた。会話で忙しかったのである。

国内線は乗ったことがあっても、国際線は初めてである。当然、機内食、なんてのも初体験だった。
やがてワゴンを押したスッチーが自分のところに来て、「アヤム?イカン?(鶏、魚、の意)」と聞いてきたので、(あ~、さっき話してたうちの一人ね。インドネシア語、使ってくれてありがとう!)と一人感謝しつつ、(名古屋発だから、名古屋名物は無いんかいっ!味噌カツ食べたいっす。)とも思った俺。

(外国語のコミュニケーション、いいっすね~)、と嬉しくなった自分は、「イカン!!(魚、の意)」と大きな声で答えていた。周りの人にしたら、(何があかんのや?)と思ったことだろう・・・。

自分の前のトレイにおいてある機内食。初めての機内食。・・・意味はないが、思わずカメラを取り出し、機内食をファインダーに収める。
メニューは、デザートでケーキとフルーツ(スイカとマンゴ)、小さいロールパンにイチゴジャムとバター、野菜サラダ、で、メインであろう魚は、ご飯の上に、頼りなげな小さい鰻の切れ端が2~3切れ、乗っているだけだった・・。
(え、こんだけ?・・・腹、膨れないっすけど・・・)と思いつつ、(お替りすればいいか!)と真剣に思っていた。・・・今でも、機内食はお替りする俺だが・・・。

ご飯やオカズの量も少ないので、たちまち平らげてしまった俺。・・・満腹感もないので、座席シートの手すりについているスイッチを押してスッチーを呼び、再びビールを2本頼む俺。
やがて運ばれてきたビールを手に、まだ機内食を食べている乗客を見るともなく見ていた。・・・先ほどから忙しそうに手を動かしているオジさんがいたので見ていたら、ロールパンにナイフを入れ、切れ面にイチゴジャムとバターを塗りたくり、間に野菜サラダを丁寧に挟みこんでいた。即席バーガーの出来上がりです!

腹の減っていた自分はそんなに手間隙かけることなく片っ端から、がっついていたので、(なるほど、そうやって食べるのか~)と妙に感心していた。と、時間にしてわずか数秒でたいらげるオジさん。・・・あんなに時間をかけて調理!?してたのに、あまりにも豪快な食べっぷり&背を丸めて食事にいそしむ姿に哀愁を感じるギャップに、思わず自分の座席の前にビール王国を作ってしまった俺。吐き出して、鼻が痛いんすけど・・・。

禁煙席しか手に入らなかったのか、機内後方に来て煙草をプカプカ噴かしている乗客もいたりして、窓から見える景色を見やりながら、こんなところでマンウオッチングしている自分だった・・・。


《☆余談だが、(味噌カツ、あるいは豚カツ)は、どの地域へ行っても食べたくなるくらい、自分の中では大好物ベスト3に常にランクインされる食べ物なのだ。以前、北海道へ行ったときに地元の食堂に入ったのだが、(味噌カツ定食ありますか?)と店主に聞いて、(どんなのですか?)と聞かれた事もある。更には、インドネシアは2億人以上の人口の8~9割を占めるほどイスラム教徒の多いイスラム国家なので、当然、今までのインドネシア旅行で知り合った友人の中にもイスラム教徒は大勢いるのである。で、(このままいくと、結婚!?)というくらい親密になった女性もいたのだが、彼女の家も敬虔なイスラム教徒なので、「一緒にはなりたいが、それでは豚カツが食べれなくなるから、自分にとっては大問題だ・・・。」と真剣に悩んでいた時期もあった。・・・結局、宗教の問題で相手の親が反対したので、結婚にはいたらなかったが・・・。だが、今ではよい友人関係である。・・・とにかく味噌カツは最高である。と、断言しておこう!!!》

投稿者 maru : 07:16 PM | コメント (2)

September 15, 2004

海外旅行デビュー【10】

機内最後方にあるトイレで用を済ませ、ガイドブックを片手にスッチーと会話を試みたら・・・。

「スラマット シアン~!!(こんにちは、の意)」とスッチーたちがたむろしているブースに突入していったら、5,6人のスッチーがいたと思うが、一斉に不思議そうな顔をして、自分の事を凝視してくるではないか。
(言葉はあってるし、発音でも悪かったかな?)と思い、さらに「アパ カバール?(元気ですか?、の意)」と会話を続けたら、笑いながらも、「バイク、バイク(良いです、の意)」と答えてくれた。それどころか、自分は本がないと会話もおぼつかないのに、なまじっか現地の言葉を使ったばっかりに、矢継ぎ早に色々質問してくるではないか。
もちろん、何を言ってるのか解るわけは無く、自分の周りで鳥がさえずりまくってる、くらいにしか思えなかった。

《☆これは今でもインドネシア、タイなど海外へ行ったときに、現地の言葉を使うと、よくある光景である。こちらが現地の言葉を出来ると思われるのかは知らないが・・・。》

自分が会話に四苦八苦しながら、ガイドブックとにらめっこしつつ、スッチーに愛想笑いしている様子に気づいてくれたのか、
「インドネシア語を話す人は、少ないです。どこで勉強しましたか?」と日本語で聞いてきた・・・。今、まさに勉強中なんですけど。
その後、スッチーたちも会話のスピードを落としつつ、一緒に本を見ながら、即席インドネシア講座をしてくれたので、つたないながらも楽しい会話が続いた。

・・・この人たち、仕事しなくていいんかいな?

とひとごとながら自分がそう思った頃、スッチーの一人が、「マカン!(食べる、食事、の意)」と言ってきた。どうやら機内食を食べる時間らしい。
「ナンティ ヤ~!!(また、あとで!の意)」と会心の笑み付で答え、自分の席に戻る俺。・・・先ほどずっと喋ってたスッチー2人の名前、住所、携帯番号をメモした紙を何故か手にしている自分だった。

自分の席に戻ったら、いったい何本飲んだのか、カトちゃん&ナベちゃんはすでに出来上がっていた。離陸してから、小2時間くらい。すでに10本近く飲んだらしい。
負けました、俺!てか、酒よりも会話に酔ってしまっていたかもしれないが・・・。

カトちゃんはすでに、渡バリ歴10回を越えるのでインドネシア語もある程度は話せるのかな?と思い、聞いてみたら、挨拶程度しか話せないようなのである。
・・・この中にある程度、現地の言葉を出来る奴がいたら、バリでのビーチライフも変わっただろうに、と何故か後悔なのか、無念やるかたないのか、肩を落としている自分だった・・・。

それより、腹へったっす・・・。

投稿者 maru : 10:00 PM | コメント (2)

September 09, 2004

海外旅行デビュー【9】

離陸直後から、飽きることなく眼下に広がる景色を眺めていたら、いつの間にやら水平飛行に移りシートベルト着用のサインも消えていた。

早速、リクライニングシートを倒し、煙草に火をつけリラックスする俺。
自分達の座席は後ろの方なので、なにやら背後でスッチー達が慌ただしそうにしているのが分かった。
「お、ドリンクサービスか」と思い、自分の横にきたスッチーに「ビル、サトゥ!」とインドネシア語で注文してみた。ビールひとつ、という意味である。

国内線しか乗ったことのない自分はビールは当然、有料だと思ってたし、前にも書いたが、離陸前に空港のレストランでカトちゃんが(ビールはタダやぞ!)と言ってたのも、笑って受け流してたのだが・・・。

ビールを貰い、スッチーに「ブラパ?(いくら)」と聞いてみたら、当然、答えもインドネシア語で返ってきた。
なにやら、「・・ティス・・・グラティス!」と意味の分かってない自分に連呼してくるので、ガイドブックで調べてみたが、そんな単語は無い。と、今度は「フリー!」と言ってきたので、ようやく意味を理解し、素っ頓狂な声を上げ驚く俺。・・・マジでビールがタダな乗り物なんてあったのか・・神様ありがとう!!てか、カトちゃんごめん。うたぐって。

後ろで寝ているナベちゃんを起こし、あらためてタダのビールで(くどい?)乾杯をはじめるうちら。そのうち、自分を挟んで前と後ろでカトちゃん&ナベちゃんが、(バリに着いたら、あの店行って、なんたらかんたら・・・)と始めたので、会話についていけない自分は、ガイドブックを手に機内の一番後ろにあるスッチーたちのスペースへ突入していった。

ある程度の単語や会話なら何とかなると思っていたのだが・・・。

☆☆☆☆☆
バリ島行きが決まったときから(少しでも現地の言葉で、現地の人と話せたら面白いだろうなぁ~)と思っていたので、少しずつではあるが、インドネシア語の勉強をしていたのである。
インドネシア語の表記は、日本人にも馴染みのあるローマ字表記なので、意味が分からなくても、とりあえず読むことは出来るうえに、英語や中国語のように、発音によってまるで意味が変わってしまう、ということが少ないので、勉強する上でも結構、助かった。
また、図書館などでもインドネシア関係の本を借りたりして読んでいたが、ガイドブック、辞書、紀行関係の本を読んでも、結構な数の本に(日本語でも覚えやすいインドネシア語)といって、似たような文章が載っていた。例を紹介すると、

~つもり(~するつもり)はアカン=AKAN
魚はイカン=IKAN
菓子はクエ=KUE
人はオラン=ORANG
死ぬはマテ=MATI(実際にはマティだが)
切るはポトン=POTONG

・・・笑えるが本当である。

投稿者 maru : 06:17 PM | コメント (3)

August 07, 2004

海外旅行デビュー【8】

やがてスッチー達が何人か、ぞろぞろと通路を行ったり来たりし始めた。

どうやら乗客がシートベルトを締めているか、乗客の荷物が収容されている座席上部のアタッチメントがしっかり閉じられているかなどの確認だった。そういえば、さっきから飛行機はゆっくりだが動き始めていた。

(いよいよ離陸かいっ!)と一人で勝手に興奮している自分。カトちゃんとナベちゃんは、自分を挟んで、前後の席に座っている。(何をしてるのかな?)、と思って自分の前に座っているカトちゃんの席を覗き込んだら、先ほど配られたイヤホンでラジオだか有線だか知らないが音楽を聴いていた。後ろのナベちゃんを見れば、すでに寝ている・・・・。
(こんなん興奮しとるのって、俺だけかいっ!)と思いつつ、窓から外を見ると、なにやら自分達に手を振っている集団が。どうやら機体整備や機内のクリーニングをした人たちのようである。

(・・・国際線ってこんな、送迎サービスがあるのかっ!)、と思いつつ、無視するのも悪いような気がしたので、飛行機の小さい窓から一生懸命手を振って会心の笑顔付きで応える自分。

機内中央の座席の上部に配されたモニターからは、先ほどからインドネシア語による緊急事態時の対処方法、のような映像が、日本語の字幕付で流れていた。

・・・今回のツアーを申し込むときに、カトちゃんが、「海外旅行保険に入るかどうする~?」と聞いてきたので、自分は「事故や事件に巻き込まれようが、そん時はそん時」と思っていたので、保険には入らなかった。海外旅行を続けている今でも保険には入らないが・・・。

先ほどからモニターで流れている映像も、自分には興味がない、というか、他人事のように思えて、まともには見なかった。それより、先ほどから手を振っている集団に、手を振って答えているほうが忙しかった。

モニターも格納され、スッチーたちも座席に座った。・・・機体が止まった、と思ったら、なにやらインドネシア語でのアナウンスが・・・。耳を凝らしても、全然意味がチンプンカンプンである。
(これぐらいは聞き取れる様にならんと!)とさらに自分にハッパをかけ、ガイドブックのインドネシア語コーナー!?に目をやる自分。

と思ったらいきなり機体が加速を始めた。
(・・・お、おぉぉぉぉ~っ!!すっげぇ、加速やんっ!!)と窓の外の景色を見つつ、何故か手足を踏ん張らせている自分。
やがて機首があがり、滑走路から離れたであろうという瞬間、自分の中に、「日本から出ちまったぜっ!」という意識があったのか、思わず、「グッバイ、ジャパ~ン!シーンズ、ナインティーン、ナインティセブンッ!!」と口に出してる自分(マジ話である)。

(おっ、もう町がこんなに小さく・・。おっ、自分の町が山向こうに見えるっ!おっ。おっ、お~っっ!!)とひとりでものすごく興奮していた瞬間だった。

投稿者 maru : 10:41 AM | コメント (0)

August 03, 2004

海外旅行デビュー【7】

いよいよ自分達の乗る飛行機の搭乗開始のアナウンスが聞こえてきた。
喫煙室を出て、ゲートに向かう自分達。同じ飛行機に乗り、バリ島へ向かうであろう観光客の数はまばらだった。

機内に乗ろうかというときに、インドネシア人であろう、フライトアテンダント(以後面倒なので、以前の愛称でスッチー、と書かせてもらう笑)が「オハヨ、ゴザイマス」と
カタコトの日本語で出迎えてくれた。「おっ、さっそく覚えたインドネシア語を使わねばっ!」と思い、向こうが日本語で話しているにもかかわらず、ろれつの回らない口で
「す、スラマッ、パギ~!」と言ってみた。意味が通じたのか、会心の笑みで、「スラマッ パギ」と返してくれるスッチー。
外国語でコミュニケーション・・・自分の話した外国語が、自分の目の前にいる外国人に伝わり、また外国語で帰ってきた返事を自分が理解できる、という何ともいえない快感を覚えたのはこのときが初めてだった。

旅行に来る前に、色々バリ島について情報収集などをしていたが、バリ島のリピーターの声の中で記憶に残ってたのが、「バリへ行くなら、日系の飛行機より断然、ガルーダ航空!喫煙席もあるし、飛行機に乗った瞬間、バリの雰囲気が感じられる!」という情報を得ていた自分は、機内に入った瞬間、「おぉ~っ、すでにバリ島だぜ~っ!」という雰囲気になるのかな、と思ってたのだが、実際はスッチーがインドネシア人、というだけで、なんともいえない香水臭さが鼻につくうえに、異状にエアコンがきいてるのか寒かった・・・。
(・・おいおい、バリ島って常夏の島だったような・・・バリ島って香水臭くて、寒いのか!??)と酔ってた自分は真剣に考えていた(アホだな俺。んなわけないっちゅ~の)

狭い通路をバックパックを担いで奥の方へ。自分達の席に座り、とりあえず荷物を置く。他の乗客が乗り終わった頃、周りを見渡せば結構空席が目立っていた。
自分は通路側の席だったのが、初めて乗る国際線の上、「赤道って本当に赤い線でも引いてあるのかな?」などとその時酔っていた自分は、こんなたわけた事を考えたりしていたので、「これは窓側に座って確認しないと!」、と自分にハッパをかけ(なんのこっちゃ)、空いている窓側の席へ移動して、バックパックを足元に置いた。

・・・今後自分から仕掛けるであろうスッチーへのインドネシア語によるコミュニケーション、ならびに、上空のどこら辺を飛んでいるのか確認したかったので、バックパックからガイドブックを取り出し、離陸するときを今か、今か、と、酔っぱモードで待っている自分だった・・・。

投稿者 maru : 09:38 PM | コメント (0)

July 29, 2004

海外旅行デビュー【6】

離陸時間の1時間くらい前に、ようやくレストランを後にする自分達。いよいよ、自分にとっては(初めての出国)、というイベントだ。

イミグレーションでは何人かが列を作っていたので、その後に続く俺。
・・・様子を見ていると、検査官だか審査官だか知らないが、難しそうな顔をしてパスポートと、出国しようとしている人の顔をジロジロ見ていた。

(はは~ん、密出入国者がいると大変だから、検査も厳しいのやな~)と感心しつつ、自分の番になった時、(パスポートの写真と同じ顔をしなきゃ!)、と思い、
急に真顔で審査官の目を凝視する俺。
何事もなく出国審査を終え、まっさらなパスポートに初めてのスタンプが押してあるのを確認したとき、なんともいえない興奮が自分の中に感じ取れた。
(・・・この後、旅行先のスタンプは(インドネシア)のスタンプだらけ、になるとは、この時は予想できるはずもないが(笑)
出国審査のゲートを抜けたら、自分より先に出国審査を済ませていたカトちゃんが、「おい、マル。何を審査官にガンつけとるんや~!」と言ってきた。・・・自分はいたってマジメな顔をしたつもりだが・・・。

イミグレーションのゲートを抜けた場所、それは日本ではないのである(多分)。すでに出国審査を終えているし。
(ここで犯罪とか起きたら、どこの管轄になるのかな?)などと変なことを考えながら、うろうろしていた自分。カトちゃんとナベちゃんは喫煙室で煙草をふかしている。
搭乗時刻までには、まだ時間に余裕があるので、初めて免税店、というのを覗いてみた。
が、自分が興味を持つようなものは何一つない。
ただ、煙草だけが安かったうえに、カトちゃんに聞いたところによると、インドネシア(バリ島)では日本の煙草はマイルドセブンしか売ってない様なのである。愛煙家なら理解していただけると思うが、煙草の銘柄が自分の愛煙しているものと変わる、というのは非常にショックで、耐えられないのである。(一部、誇大表現あり)
・・・当時、自分はセブンスターを愛煙していたので、(11泊なら2カートンは必要だな)、と思い、煙草のみを購入。・・・インドネシアに入国するに当たって、タバコの持ち込みは200本、1カートンまで、という制限も知らずに。カトちゃんもナベちゃんも教えてくれんかったし。

免税店から出て、売店でビールを3缶買い、喫煙室へ。
朝から何本目のビールかすでに知らないが、冷えたビールの缶を開け、新たに乾杯する自分達。
カトちゃんとナベちゃんが、(バリの~に着いたら、あれやろう。)とか(あそこの店の~は・・・)とか言ってたが、自分はチンプンカンプンなので、
(ちくしょう~、今度バリ島へ行く機会があったら、俺がそれまでにインドネシア語を覚えてガイドしてやるぜっ!)と変な闘志をむき出しにして、再びガイドブックの(役に立つインドネシア語~)、とかいうページを読み直していた俺。

・・・ふと目の前を見ると、今、煙草を吸い終わったばかりなのに、新たに煙草に火をつけて、スパスパしているオジさんが。
(・・・この人、禁煙席の人かいな!?)と思いつつ、(バリ島までの7時間、禁煙席だったら地獄だな・・・俺だったら、喫煙席のふりをして空いてる席に座るけどね~!)、と思いつつ、
酔った赤い顔でオジさんを観察する自分。・・・ぷっ、そのオジさん、また煙草に火をつけてるし!
(そんな煙草、マズイだけちゃうの?)と思いつつも、心境は分からなくもない自分だった・・・。

投稿者 maru : 07:39 PM | コメント (4285)

July 26, 2004

海外旅行デビュー【5】

いよいよ、旅行当日である。目覚めて時計を見ればまだ朝の5時半である。

昨夜寝たのは、空が白み始めた4時頃だったので正味2時間も寝ていない。深酒がたたったのか頭が重く、目の焦点もピントがずれまくりである。
だが、(旅行へ行ける!)という期待感で身体は軽かった。

シャワーを浴び、荷物の点検を再度してから、集合場所のナベちゃんの家に。カトちゃんもすでに来ていた。
この後、同じ会社の海外旅行好きの先輩に、名古屋空港まで車で送ってもらうのだが、ここでも3人揃うとすぐに(乾杯~!)が始まった。
2本目の缶ビールを飲みかけの頃、迎えの車が。飲みかけのビールを手に車に乗り込み、他人の車の中で宴会を始めるうちら。

朝の早い時間なら1時間とかからずに名古屋空港へ。車を降り、空港内へ。国際線ターミナルはテレビのドラマ等でよく別れのシーンなどで使われているのを見たことがあるので、
(どんなんかな?)と思って足を踏み入れたら・・・今の名古屋空港は最近改装したのだが、このときは、それ以前の古くてボロっちい、小さいターミナルだったので、いささか拍子抜けした。

とりあえずチェックインカウンターで、座席のリクエストだけしておこう!という事になったので、迷わず喫煙席でトイレに近い席を確保。
今では海外へ行くときは、当然のようにリクエスト等してるのだが、この時は、飛行機の座席をリクエストしたり、今では残念な事に無くなってしまったが、ガルーダインドネシア航空には、喫煙席、というのがつい2年位前まで存在していたのだった。

3人が3人ともバックパックで荷物は機内持ち込みのみだったので、チェックインも早く終わり、搭乗時間までの1時間以上の間をレストランで過ごす事に。
朝食もろくにとってなかったので、モーニングセットを頼む3人。もちろんビールもだが。

飲食をしつつ、ガイドブックを眺めたり、インドネシア語の単語を口に出してのたまい始めたりしていた自分。
いきなりカトちゃんが、「おい、マル!国際線の飛行機は靴を脱がなあかんぞ~!」とか言ってきたので、「はい、はい。初めて飛行機に乗る奴に絶対言う冗談ね~」、と
あしらってたら今度は、「知っとるか~!国際線はビール飲み放題やぞ~!!」、とか言ってきたので、「はいはい、分かりますた~!・・・だったら、ここで金を払ってビールを飲んでるうちらはな~に??」とか酔っぱモードで会話していた。
・・・ビールが飲み放題の乗り物。「そんな夢のような乗り物があったら、毎日乗るっちゅ~の!!」、とこの時は思っていた。

朝食も終え、さらにビールを飲むおいら達。周りの客の白い視線にも気づかずに、ますますヒートアップして、でっかい声で、「サヤ マウ プルギ ク ~~「私は~へ行きたいです」などと、
ガイドブックに書いてあるインドネシア語を、ろれつの回らない口で朗読していた俺。

投稿者 maru : 07:28 PM | コメント (2)

July 24, 2004

海外旅行デビュー【4】

バリ島から帰ってきたら、一度は自分から彼女へ連絡を取ってみようとは思っていたのだが、いきなりの電話だったので驚いたのと同時に、自分の中に、悪い予感も走った・・・。

今回の旅行の話が出る前は、3年以上付き合ってたこともあり、言葉にはしなかったものの、(結婚)という意識はすでに自分の中にあった。が、これほど長い間彼女と連絡を取らなかった期間、というものも無かったのだ。

携帯のスピーカーから聞こえてきた返事は・・・・・予想通りのものだった。さすがに楽天家の自分もこの時ばかりは凹んだ・・・。
その日から数日は落ち込んでいたものだが、悩んだり考えたりしても気分が悪くなるだけなので、(時間がたてば忘れられるだろう・・・)と自分に言い聞かせ
あまり考えないないようにしていた。この日を境に、カトちゃん&ナベちゃんは、自分の強引な「飲みにいこう!」という半ば強引な誘いに付き合わされることに(笑)

旅行の前日に、今まで旅行用に買い揃えていたものを収容するものを、ということで、(海外に行くならやっぱりスーツケースかなぁ・・)と思い、カバン専門店へ。
実際にスーツケースを見てみると、キャスターがついて便利そうだが、いかにもゴツイうえに、冒険好きであちこちに行く自分としてはいかにも不便そうなので、結局手ごろなバックパックを購入。・・・これ以後海外旅行を繰り返していた時期に、この選択は正しかった!と知るのだった。

家へ帰り、用意したものなどをバックパックへ詰め込み、何度も忘れ物はないか、などと点検をし、早めに寝ようと思っていたのだが横になっても旅先での空想などをして、半ば興奮しているので、なかなか寝つけれずに時間だけが過ぎていった。・・・小学生の頃、遠足の前日にワクワクして寝れなかった頃があったような気が。・・変わってないな、自分と思ってみたりする(笑)
「少しでも寝とかないと」、と思い、ビールに手が伸びる俺。

「とにもかくにも、明日は初海外!」ということで、空になったビール缶を横目に、更に(プシュ~ッ!!)と缶を開ける自分・・・。これが翌日、体調に響いたのだが(笑)

投稿者 maru : 11:34 PM | コメント (4)

July 21, 2004

海外旅行デビュー【3】

これまで行った事のない海外へ行くのだから、ガイドブックなどを買って、情報収集に明け暮れる毎日&少しでも現地の言葉を話せたら旅も変わるかな、と思い、バリ島の(インドネシア)言語を勉強しはじめる夏が始まった。

今の会社では、有休と特別休暇を使って夏期休暇の申請をすれば、7月から9月までの3ヶ月の間の好きな時に連休が取れるので、カトちゃん、ナベちゃんと話し合った結果、
「どうせなら少しでも長く行きたい!」ということになり、土、日曜日と9月の祭日を絡ませれば13連休になるので、9月中旬に行く事に。
7~8月と会社の同僚などが夏期休暇で旅行に行くのを、羨ましく思いながら、(あと4週間、あと3週間・・・)と日々、指折り数える暑い夏だった。

この年の夏、彼女と連絡を取らなくなってからすでに2ヶ月がたっていた。仕事の休日の日なども、自分の中では「どうしているだろう。元気でいるだろうか?」などと思いつつも、
自分から連絡を取ることもなく、カトちゃん、ナベちゃんと飲み歩く日々を過ごし、頭の中ではサンセットで有名なクタ・ビーチでサーフィンなどをしている姿を想像したりしていた。

次第に旅行の日も近づき、8月の終わりごろにパスポートの申請をした。パスポートの有効期間は5年より10年の方が安くなってるので迷わず10年の方を選択・・・
そのおかげで、未だパスポートの写真は7年前のロン毛の自分の写真が・・・(自分で見ても笑ってしまう)

9月に入り、旅行用の洗面道具や海外でも使用できる電化製品(シェーバー、ドライヤーなど)を買ったり、ガイドブックを見ては、(海外へ持っていったら役に立つもの)なるものを
買い揃えたりして、自分はすっかり(旅行モード)に入っていた。海外旅行へ行くときは、当日の朝、5分ほどで用意する今では考えられないが。

旅行の用意や、本などで情報収集などをして、いよいよ来週はバリ島へ!というときに突然、彼女から電話がかかってきた・・・。

投稿者 maru : 09:23 PM | コメント (1)

July 04, 2004

海外旅行デビュー【2】

もとより趣味優先の自分が、彼女より旅行を選ぶのは必然だった!?かも・・・

夏も近づいてきた6月、旅行も現実味を帯びてきたので、元から旅行好きの俺も図書館に足を運んだりしながら、バリ島の情報などを調べていた。

この頃、普段なら週末は彼女が家に遊びに来ていたのだが、最近は来ないどころか電話すらない。
自分は自分で、彼女に電話などをして近況を聞いたりはしていたのだが、淡々と話すだけであまり突っ込んだ事などは聞かずにいた。
それより、図書館や、一緒にバリ島へ行くカトちゃん、ナベちゃんと飲みに行ったりしていた。

6月末にボーナスが支給されるので、海外へ行く前に北海道とかに彼女を誘おうと思い、電話をしてみる。
・・・久しぶりに聞く彼女の声は、「しばらく会いたくない」との事だった。
自分もそれ以上は詮索する気になれず、「何かあったら電話してくれ」としか言わなかった。

元から、あまりマメで無い上に、彼女とよりも男友達と居酒屋などで飲んだりするほうが好きだったのである。
しかも、自分の趣味にはトコトンこだわる方なので、今まで付き合ってきた彼女達には、「私より、○○(趣味)の方が大事なんでしょ!!」などと言われてきたのだ。
その度に、一抹の寂しさを感じながらも、「うん、確かにそうだ・・」などと思う俺。

あまり器用ではない上に、どっちかをおろそかにする、なんてことはしたくないし・・・。今の楽坊へのハマリ具合を見れば一目瞭然である(笑)

そんなこんなで、彼女とも連絡を取らなくなってからバリ島旅行は目前に迫っていた。 (続く)

投稿者 maru : 12:44 PM | コメント (3)

July 03, 2004

海外旅行デビュー!【1】

【海外旅行】インドネシア編(ハマっちゃったんだな、こりゃ・・・)

今の会社へ入る前は海外は全く興味が無かった。旅行は好きだが、もっぱら国内で温泉めぐりなどが好きだったのだ(ジジくせ~!)。パスポートを取得するのも面倒だし、英語も出来ないし、言葉の通じるところを旅して、現地の特産物を食べるのが好きだったからだ。何時間も飛行機に乗りたくないし・・。
そんな自分が海外へ行くきっかけになったのは、今の会社の先輩のおかげである。

今の会社には年に数回、海外旅行をする人が何人かいた。
ある年の新年会にて、仲のいい先輩と旅行の話をしていたら、すっかり酔っている先輩(カトちゃん)は、「おぅ、マル。今年の夏もバリ島行くで、来いっ!」と絡んできた。

自分もすっかり酔った勢いで、「いいっすよ~、どこでもついて行きまっス!」などと調子のいい事を言って、旅の話で盛り上がっていたのである。その会話に違う先輩も絡んできて(ナベちゃん、ちなみに年下)、知らないうちに、翌月から毎月(給料日)に積み立てをする、という話になった。
翌日、あまり先日の会話の記憶が無い自分は、毎月の積み立ての件を改めて聞いて、しぶしぶ応じる事に・・。すっかり素面に戻っている自分は海外旅行なんて興味が無かったのである。

が、カトちゃん、ナベちゃんはすっかり盛り上がっていて、バリ島のガイドブックなどを何冊か持ってきて、「よかったら目をとおしておけよ~!」と自分に渡してきたので、「こりゃ、マジで行かなあかんのか・・」と半ば諦める俺。

数日後、当時すでに3年半付き合ってた彼女に、「今年の夏休みは会社の人とバリ島へ行くから・・」と言ったら・・・彼女とは、少し前からすれ違いを感じるようになっていたのだが、このときの彼女も冷めた反応で、
「じゃあ、私は友達と沖縄でも行こうかな・・」などと言い放った。

その後数ヶ月の間は特に変わった事も無く、普通に仕事をして、普通に彼女と会い、普通に過ごしていた。時折、一人で図書館や本屋などでガイドブックを手に取り、バリ島のことについて調べたりしていた。
・・・彼女との溝は深まっているとも知らずに。これが7年前の梅雨時の事だった。  (続く)

投稿者 maru : 02:20 PM | コメント (0)

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