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May 23, 2006

今後の旅行の方向性

新疆ウイグル自治区に行ってからというもの、さらにイスラム教徒の生活に興味を持ち始めた。
3年前、西安で回族の町を散策し、それまでイスラム文化すらろくに知らない私の関心を惹いたのはこの時だった。
礼拝時刻、羊肉、アラビア文字。中国を旅していて初めて目の当たりにするものばかり。
顔立ちこそ漢族となんら変わりない回族の人たちがイスラムの風習で生活している。見るもの全てが新鮮な観光だった。

maru副館長が何度も行き来しているインドネシア。地理的にも気候も違うもののウイグル自治区と同じ信仰。東アジア系の顔立ちから西洋の顔立ちの人まで分布するイスラム文化は、ユーラシア大陸が所有する財産だと実感した。
私は最近になって旅の目指す舵の方向が替わってきたような気がする。今までは綺麗な町並みを撮りまくっていけばよかったものが、画的には表現できない、例えばそこで食べたものや、知り合った人との会話を味わうようになり始めた。

これを記事として書くには相当の表現力を必要とするので稚拙な文章の私が四苦八苦していることには何ら変わりないが・・・。

生活の都合上、最近どこにも出かけられていないがそのうち中国以外のイスラム文化圏に突撃する日が来るだろう。

投稿者 keidoh : 07:09 PM | コメント (2)

August 13, 2004

keidohはなぜ中国にハマったのか

私が初めて中国人と接したのは、現在勤務している会社をパート従業員でやっていた時でした。そのあと何回か転職して復職した事になるのですが。
そこで初めて中国人男性を見たときは、正直言ってあまり働かないヤツだなと思いました。祖国に妻子を残し、出稼ぎで来ているのにサボることばかり考え、そこの責任者に怒られるとそそくさと帰ってしまうんです。


次に転職した先で出世し、中国人労働者数人を遣った作業の責任職をすることになりました。
これがまたサボるんですよ、とにかくすぐどこかにいなくなる。注意すると全員で歯向かって来る。溜まらず上司に報告しましたが「彼らがいなくなったらもっと苦労するのは自分だぞ」と説得されました。
当時まだ若輩者の私は「自分がいなくなったらどうなるか思い知らせてやる」と強気に出て退職しました。
上記は余談でしたが、私にとって良い印象を持たなかった中国人民。

その印象を変えてくれたのが一人の上海人女性だったと思っています。
その職場での疲れを癒す夜のスナック。そこでは日本人女性に混ざり、中国・フィリピン・タイなどの外国人女性が5,6人働いていました。私は1ヶ月に数回のペースで飲み、歌い、騒いでいました。いつの間にか常連と化し、お決まりの女性も付くようになっていましたが、その上海人の女性とはいつも話す機会はありませんでした。
でも実はその子に近付きたくて通っていたのですが・・・笑
ある日、いつもどおり飲んでいて、お決まりの女性(フィリピーナ)と私は軽い口論になりました。それを見つけたママさんはほかのお客さんに悟られないよう入れ替え(チェンジ)をしてくれました。その時、来たのがその上海人女性でした。私が酔って軽はずみな事を言ったことで口論になったのですが、さすが商売人、そんなことは聞きもせず楽しい話題を提供してくれています。その時、初めてゆっくり彼女と話しました。1年近くも店に通い詰めているのに。
閉店後、ごく自然な流れで(酔った勢いで)私は彼女を飲みに誘いました。
往きのタクシーの中でポケットベルの番号を訊き出そうとしたら、他のお客さんには教えていない家の電話番号を教えてくれたのです。
「俺に番号なんか教えたら本当に電話しちゃうよ」
「別にいいよ、でも内緒ね」
あの言葉が今でも忘れられません。私はと言えば職場で中国人に対して偏見しか持っていなかったのに、彼女は私の事を信頼してくれている。嬉しくてたまりませんでした。
いつの間にか私たちは交際を始めました。
13歳の時、父を亡くし、母と弟のために17歳で来日し、被服の専門学校に通いながら夜遅くまで働き、仕送りしていることを聞きました。
しかし、生活のリズムの違いと私のワガママで、付き合いは1年足らずで消滅してしまいました。私は彼女の都合を考えず電話するたび「今すぐ会いたい!」ばかり。会ってくれない彼女を疑ったり責めたりしていました。
今思い出しても取り返しのつかない恥ずべきことをしたと思っているし、できることなら今すぐ謝りたい。
当時22歳だった彼女も今年で31歳。早いものです。

初めての海外旅行はその半年後、彼女の生まれた上海でした。別に行ってみたい気持ちがあったわけではなく、前述した職場を辞め、退職して暇だったからです。言葉も通じず、筆談も通じず、ただ途方に暮れただけの旅でした。良い印象の旅だったとはお世辞にもいえません。
働かず、お金もなく、以前のように飲みに行くこともなくなり、複数のアルバイトで生活をしていた時、上野・御徒町のチャイニーズパブに職場の仲間と行く事になりました。外で飲むこと自体、久しぶりでした。
そこで私に付いてくれたある上海人の女性は私が上海で泊まったホテル(中心地より郊外)の近くの出身という事で意気投合、私が市内バスの路線の話をすると「なぜそんな事まで知ってるの」と驚いていました。
のちにアルバイトが終わってからその店に飲みに行く機会が増えました。私は中国語の発音の難しさをあらかじめ痛感していたので、学習する気は毛頭ありませんでした。
でも、その店で自然に遊んでいくうちに覚えていったのです。(とは言え、後で上海訛りの普通話だということを実感するのですが)
さらに私はパブでたくさんの会話がしたくて簡単なCD付きのテキストを買って学習し始めました。これが始まりです。言葉が通じるかどうか試しに行ってみた台湾で見事通じ、しかも簡単な言葉は聞き取れる!メチャクチャ嬉しかったのです。
それからというもの、中国旅行は年間行事の一つになりました。
まだまだ中国の先っぽに触れただけですが、今では中国にドップリと漬かっています。
もしあの彼女が私がこういうHPを開いていると知ったら、たぶん驚くでしょうね。
いつか彼女が現在住んでいる上海で、中国語で思い出話しができたらいいと願っています。
もちろんその前にきちんと謝りますけどね。
 
参照リンク:
中国への熱い思い
中国人と筆談でどこまで通じるか

投稿者 keidoh : 06:55 PM | コメント (2)

February 21, 2004

編集後記

言葉を多少でも覚えていておいてこれほど良かったと思ったことはなかった。
蘇州のホテルで様態の悪くなった和田店長のために、フロントで現地係員の電話番号を訊いて連絡した。


南京で腹を壊した和田店長は帰りの上海浦東国際機場でもトイレに篭城していた。



2004年2月11日、私と和田店長は15日以内の滞在ならビザなしでいかれるようになった中華人民共和国へ出掛けた。
中国へ行くと慎重に行動する私を尻目に和田店長は往きの機内からハイテンションだった。
ビールをガンガン追加し、代謝が速い私はトイレに何度も行った。
旅行中、トイレに何度も行くはめになったのは私ではない。


中国で私はこれほどの美人を見たことは無かった、彼女は現地係員で日本語はほとんどできないが、いつも笑顔を絶やさなかった。
帰路の蘇州で自由時間になった我々はホテルのロビーにいる彼女に会った。いつのまにか上着を着替えているように思った。
しかし、数秒と経たないうちにそれが別人物であることに感嘆した。
ここまで云えばお判りだろう、双子だったのだ。
双子の美人姉妹を初めて見た私は無意識にレンズを彼女達に向けていた。
美人でしかも双子だったので、現実的には店長との奪い合いは回避できる(ひとりづつ分け合う)ように思えたが、男という動物は妄想の世界ではなぜ2人1セットでないと気が済まないのだろうか。


西安のデパートでトイレに行きたくなったのに場所がわからない、言葉が通じなければ漏らしていたかも。
向こうは看板表示などが日本と比べて不親切。デパート内で店員に場所を尋ねても「あっち」くらいしか教えてくれない。

投稿者 keidoh : 11:02 PM | コメント (0)

March 24, 2002

中国への熱い思い

私の勤務する会社の社内報に私の中国での体験が掲載されました。

毎年恒例になってきた中国旅行、今年は母を連れて北京に行きました。母は初めての外国なので行く前までは戸惑いがちだったものの、現地ではのびのび楽しんでいて、帰国後も興奮いまだ覚めやらぬ感じです。今でも私が実家に帰るとずっと北京の話をしている姿は、親孝行した甲斐がありました。

私はこれまで中国、台湾など写真撮影目的で一人旅をしてきました。1997年に上海に行ったのが初めてで、筆談とジェスチャーでなんとかなると思う安易な気持ちで出掛けたのが不運の全てでした。レストランに行き言葉のわからない私はメモ紙とペンを相手に差し出すと、「几位?」と書かれ何の事か解らず、箸で物を食べるジェスチャーをしても店員は何度もその文字を指差すだけでした。これは「何名様?」の意味で、同じ漢字使用圏でもこんなに表意字が違う典型的な例です。滞在7日間中、食事もろくにありつけない散々な目に度々会い、上海の冷たい風が吹き付ける広場で途方に暮れた悔しさから、一念発起で北京語(普通話)を覚え始めました。まだ片言ですが今回の北京では母と二人でレストランに入り、私が笑顔で店員と会話している姿を母がポカーンと口を開けてこう言い放ちました。「あんた中国人に見えるよ!」私が現地の人に話しかけると決まって「なぜ言葉を勉強したの?」と返ってきます。まだ言葉のできる日本人は稀少のようです。私は「ただの趣味だよ」とか「中日友好の為」などと答えその場を和らげます。レストランやホテル内では私のことが噂で流れるようで、関係のない従業員までもが「中国は何回目なの?」などと話しかけて来ます。言葉を覚えた事で私はこんな気さくな人々と出会う旅ができるようになりました。世界貿易機関(WTO)に加盟し、2008年にオリンピック開催を控え、更なる発展を遂げる中国を私はこれからも撮り続けていきます。

投稿者 keidoh : 12:00 AM | コメント (0)

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